さかね まさひろ
坂根 正弘
生誕広島県広島市
(1941-01-07) 1941年1月7日(83歳)
広島県広島市
国籍 日本
出身校大阪市立大学工学部卒業
職業元小松製作所代表取締役社長
(現:顧問)
元産業革新投資機構取締役会議長
元武田薬品工業取締役会議長
元日本経団連副会長
受賞デミング賞本賞
栄誉旭日大綬章
大阪市立大学名誉博士
テンプレートを表示
坂根 正弘(さかね まさひろ、1941年1月7日 - )は、日本の実業家。小松製作所代表取締役社長、産業革新投資機構取締役会議長、武田薬品工業取締役会議長、日本経団連副会長、経済産業省総合資源エネルギー調査会会長、公立大学法人大阪名誉特別顧問等を歴任。広島県広島市生まれ、島根県浜田市育ち。 広島市生まれ、1945年原爆投下の2ヵ月前に島根県浜田市に疎開しその後は同市で育つ[1]。島根県立浜田高校を経て1963年、大阪市立大学工学部卒業。ブルドーザーの設計技術者として小松製作所入社。1989年取締役、1990年小松ドレッサーカンパニー(現コマツアメリカ)社長、1994年常務取締役 1997年専務取締役、1999年代表取締役副社長を経て2001年、同社代表取締役社長兼CEO就任[2]、2007年同社代表取締役会長就任、2010年同社取締役会長就任、2013年同社取締役相談役就任。2013年同社相談役特別顧問[3]。2009年度から義務付けられた役員報酬開示制度では、報酬額1億2000万円であることが公表された。 コマツ創立以来初の赤字800億円計上という厳しい時期の就任であったが、構造改革の断行により2003年3月期には約330億円の営業黒字というV字回復を達成。欧米はもちろん、中国、東南アジア、インド、アフリカなどの新興国にグローバル展開を進め、2007年度は1700億円の経常利益を記録[4]、2009年3月期には売上高2兆円、世界第2位の建設機械メーカーに導く。日本経済新聞の企業評価ランキング「PRISM(多角的企業評価システム)」で、2001年231位だったコマツを2007年、2008年連続1位とした[5]。2008年デミング賞本賞受賞。2009年には米ハーバードビジネスレビュー誌の「在任中に実績をあげた実行力のある最高経営責任者(CEO)」のトップ100に、日本人トップの17位に選出された[6]。 日本経済団体連合会(経団連)評議員会副議長、環境安全委員会委員長、日本ロシア経済委員会副委員長、公益財団法人日印協会理事・副会長[7]。国家戦略特別区域諮問会議議員、まち・ひと・しごと創生会議構成員[8]、日中経済協会副会長などの要職を務め、経団連サブサハラ(サハラ以南)地域委員会委員長として対人地雷除去活動なども行っている[9]。 2008年6月野村ホールディングス取締役、東京エレクトロン取締役[10]。2010年2月、大阪市立大学名誉博士[11]。2010年5月、経団連副会長就任[12]。同年6月小松製作所取締役会長[13]。2011年3月旭硝子取締役[10]。2011年日本品質管理学会
経歴
またコマツと縁の深い松井秀喜と2003年キャラクター契約を結び、現在も継続してサポートを続ける[20]。
週1回はどこかで講演をおこなう[21]。
著書
『限りないダントツ経営への挑戦-強みを磨き弱みを改革』 坂根正弘 日科技連出版社 2006年
『ダントツの強みを磨け ―私の履歴書―』 坂根正弘 日本経済新聞出版社 2015年
脚注[脚注の使い方]^ 中国新聞、2009年10月25日21面
⇒特集:わが道・わが友/コマツ会長・坂根正弘氏(1)
^ 現代日本人名録2002、日外アソシエーツ、2002年1月、1176頁
^ ⇒代表取締役の異動に関するお知らせ
^ ⇒【IT Japan】「経営者には現場感覚が重要」--コマツの坂根正弘会長
⇒コマツ会長 坂根正弘 : LONG-NET.COM