「坂元正幸」、「坂本昌行」、「坂本昌之」、あるいは「酒本雅之」とは別人です。
坂本 雅幸
2019年10月・立花(Ricca)舞台にて
基本情報
出生名坂本雅幸
別名まーくん
生誕 (1984-08-01) 1984年8月1日(39歳)
出身地 日本・岡山県津山市
学歴岡山県立津山東高等学校
ジャンルインストゥルメンタル
現代邦楽
邦楽
J-POP
ロック
歌謡曲
民謡
職業ミュージシャン
太鼓奏者
作曲家
演出家
担当楽器太鼓
和太鼓
活動期間2005年 -
配偶者里アンナ(2022年 - )
共同作業者鼓童(-2017)
堀つばさ×坂本雅幸
現代散楽
THE FOURCE
坂本雅幸×梶原徹也×阿部一成
・神鳴(Kami-Nari)
・津山城ビート
鼓童(2023-客演)
公式サイトMASAYUKI'S OFFICIAL
坂本 雅幸(さかもと まさゆき、1984年8月1日 - )は、岡山県津山市出身の和太鼓奏者。東京都在住。血液型B型。
奏者としての活動のほかに、作曲や舞台演出、楽器の新作を次々に提案するなどクリエイティブな活動も行っている。
自身の発案により国内楽器メーカーと共に開発した調律桶太鼓「奏(かなで)」や電子和太鼓「TAIKO-1」は共にグッドデザイン賞を受賞。
2022年10月、奄美出身の歌手、唄者、ミュージカル俳優の里アンナと結婚。 10歳でドラムスを始める。小学校5年生の時、プロドラマーになりたいと父の従兄弟にあたる和太鼓奏者兼ドラマーに相談したところ、和太鼓グループ「鶴山桜太鼓」の稽古に参加するよう誘われた。これを機に太鼓をはじめとする和楽器への興味を深める。中学校、高校と勉学にもスポーツにも励むかたわら、バンド活動と和太鼓に打ち込み、ロックやパンク、ジャズ、フュージョンなど幅広く学んだ。 小学生から高校生にかけてTHE BLUE HEARTS、村上“ポンタ”秀一、神保彰など多くのアーティストに影響を受け、そして、高校時代に「鼓童」のステージを見たことで将来を決意した。 2002年、高校3年生の秋、小さい頃から一心に思い続けてきた、プロの演奏家になる夢に自分を近づけるため、世界中の舞台で活躍する日本の代表的な太鼓集団「鼓童」の研修生に応募し、審査に合格。岡山県立津山東高等学校を卒業後、2003年春より新潟県・佐渡島にある鼓童文化財団研修所に入所、2年間にわたる研修生活では太鼓の稽古をはじめ、笛や舞踊、そのほか国内外の民俗芸能の文化と技能を学ぶこととなった。2005年、狭き門である鼓童の採用審査を通過、レギュラー奏者への登竜門といえる1年(程度)の準メンバーの座を獲得。 2005年春、『鼓童・ワンアース・ツアー2005』からツアーメンバーに抜てきされ、ステージプレーヤーとしてプロデビューを果たした。翌年、国内外の公演でレギュラー奏者となってからは、2017年の退団まで、鼓童・ワンアース・ツアー(国内・海外)のほか、アース・セレブレーション(佐渡)、坂東玉三郎・鼓童共演「アマテラス」、坂東玉三郎演出「打男 DADAN」などの特別公演の舞台において中心的なポジションを務めた。 2008年10月7日、津山文化センター(岡山県)で母校の岡山県立津山東高等学校開校60周年記念式典に鼓童の記念公演が開催され、在校生に対して舞台挨拶を行った。 2011年1月22日発売、鼓童の6年ぶりとなるオリジナルアルバム「暁」で、初めてレコーディングに参加。また、自身が作曲した鼓童の新曲「Vanguard(ヴァンガード)」も収録された。 2015年6月27日、津山市加茂町文化センター(岡山県)で開催された、津山市合併10周年記念・鼓童交流公演では、スケジュールの調整がつかず登場できないため、公演の中で舞台スクリーンに本人からのビデオメッセージが映写された。 2015年9月16日に発売開始された、坂本自身の発案により製作された調律桶太鼓【奏(かなで)】が2015年度グッドデザイン賞受賞。また、グッドデザイン・ベスト100にも選ばれ、特別賞(中小企業庁長官賞/グッドデザイン・ものづくりデザイン賞)を受賞している。なお、申請上は鼓童と共同開発した浅野太鼓楽器店がプロデューサー、ディレクター、デザイナーとなっている[3]。 2017年5月、日本舞踊・花柳流五世宗家家元・花柳壽輔とシテ方観世流の能楽師・津村礼次郎から能楽囃子の指導を受ける。 2017年、ローランド株式会社と共同で、世界初の電子担ぎ太鼓の開発に着手。8月には佐渡の野外フェスティバル「アース・セレブレーション2017」の特別フリンジで、プロトタイプを使用し「電子と原始」を発表。フラメンコダンサー・末木三四郎、スタイリスト・藤崎コウイチらと新感覚の舞台を表現した。 2017年12月24日、文京シビックホール「打男 DADAN 2017」公演の千秋楽をもって鼓童の舞台を去った。 2018年からソロ活動を開始。東京に音楽芸能の活動拠点を置く。 2019年4月、ロンドン在住の写真家・平田真弓[4]の企画によりロンドン市内で3日間、Masayuki Sakamoto Taiko Boot Camp(坂本雅幸タイコ・ブートキャンプ)を開催。 2019年、音楽家・雅楽演奏家の太田豊を中心に、奈良時代の古代芸能「散楽」を再解釈する「現代散楽」の結成に加わる。 2020年、舞踊家のATSUSHI(元Dragon Ash)、ギタリストのKOHKI(BRAHMAN & OAU)、ギター・ボーカルの佐藤タイジ(THEATRE BROOK)と共に、ロック系グループ「THE FOURCE」を結成。 2021年1月15日、坂本の発案により開発された「電子和太鼓・TAIKO-1」が、ローランド社から製品化されて発売された。 2022年、坂本雅幸オンライン太鼓サロンを公式サイトに開設した。 2022年4月、岡山県美咲町北コミュニティセンターで、ドラムの梶原徹也、篠笛の阿部一成とのトリオでプロモーション動画を収録した。ライブ感を追求するため、カメラマンはコセリエ[5]、レコーディングはR&D・金光一孝[6]による一発撮りが行われた。
経歴
エピソード
岡山の地元には、鼓童でプロデビューしたことを記念に発足した後援会がある[7]。
学生時代の愛読書(雑誌)は『リズム&ドラム・マガジン』であるが、当初は限られた小遣いの中での購入は難しく、知人に借りるなどして掲載してある譜面などを丸暗記し、忘れないうちに試演してみるといったことで読譜能力が向上したために、中学生のある時期から音楽の成績が突然上がった。このことで定期購読料の分だけ小遣い上乗せ交渉に成功した。
高校までの片道20キロメートルの距離をドラムのスネアとキックペダルを両肩に下げ、自転車で通っていた。
鼓童の研修生活を回想し、「1年次の終わりに当時としては珍しい進級保留になったくらいなのでいわゆる問題児だったのかも」と退団する時の挨拶文[8]で述べている。
主な舞台(抜粋)
「鼓童」名義
鼓童・ワンアース・ツアー2005(2005年、舞台デビュー)
フジロック・フェスティバル(2006年7月、新潟県・苗場スキー場)
坂東玉三郎・鼓童共演「アマテラス」(2006年?、東京・歌舞伎座、京都・南座、福岡・博多座)
Blendrums Special Live レナード衛藤×鼓童アンサンブル(2008年12月、東京・草月ホール)
鼓童・打男 DADAN(2009年?、世田谷パブリックシアター、パリ・シャトレ座など)坂東玉三郎芸術監督作品