さかぐち ひろのぶ
坂口 博信
Japan Expo 2007(フランス・パリ)にて
生誕 (1962-11-25) 1962年11月25日(61歳)
日本 茨城県日立市
出身校横浜国立大学工学部電子情報工学科中退
職業ゲームクリエイター
シナリオライター
映画監督
活動期間1983年 -
代表作『ファイナルファンタジーシリーズ』
『クロノ・トリガー』
『パラサイト・イヴ』
『ブルードラゴン』
『ロストオデッセイ』
『ラストストーリー』
『テラバトル』
『FANTASIAN』
活動拠点 アメリカ合衆国 ハワイ州ホノルル
日本 東京
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坂口 博信(さかぐち ひろのぶ、1962年11月25日[1] - )は、日本のゲームクリエイター、シナリオライター、映画監督。ゲーム制作会社ミストウォーカーCEO。 茨城県日立市出身[2]。『ファイナルファンタジーシリーズ』の生みの親である。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
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出典検索?: "坂口博信"
1962年、九州出身の両親のもと茨城県日立市に生まれる[2]。
茨城大学教育学部附属中学校、茨城県立水戸第一高等学校を経て、横浜国立大学工学部電子情報工学科へ進学するも中退。
小学生の時はピアノを、中学生の時はフォークギターを嗜み、高校時代はミュージシャンを目指す(当時ゲームは嫌いで触りもしなかった[3])。
大学ではApple IIで『ウィザードリィ』『ウルティマ』の虜になり、オールBASICのアドベンチャーゲームなどを作っていた[3]。
の東京営業所(神奈川県横浜市)に大学の同級生田中弘道と共にアルバイトとして入社。ソフトウェア制作部門“スクウェア”のスタッフとなる。その後、取締役企画・開発部長に就任する。PCソフトやファミコンソフトを制作していたが振るわず、市場からの撤退や大学への復学を考えていた時期に最後の望みを託して坂口が制作したのが、『ファイナルファンタジー』である。このソフトの大ヒットの結果、ゲームと映画の垣根を取り払うスクウェアは大手ゲーム開発会社へと成長していった。
『ファイナルファンタジーIII』制作時、実家が火災に遭い母親を亡くしたこと、『週刊少年ジャンプ』編集者の鳥嶋和彦に「なぜ『FF』はダメなのか」を説教されたことをきっかけに、物語を重視するようになった[4]。
長年スクウェアの開発トップとして『FF』シリーズ、『クロノ・トリガー』などの制作を主導した。人材の育成やスカウトでも手腕を発揮し、タイトルラインナップや作品クオリティが強化された同社は1990年代“RPGの牙城”として黄金時代を築くことになる。
当時の『FF』チームは体育会系のノリであり、新人がこのチームに入ると「みんなで甲子園をめざしているような気分になる」と話すことから、熱気・パワーがゲームの中に入っていたと答えていた[3]。また、仕様書・企画書を書かず、坂口自身は古いやり方を壊すのが好きだった[3]。
2001年、スクウェアの同年3月期決算が創業以来初めての赤字、また店頭公開以来初めての無配転落になる見通しとなったため、責任を取って代表取締役会長らと共に副社長を辞任。以後同社とは専属契約のエグゼクティブプロデューサーとして関わるようになった[5]。
監督を務めた映画『ファイナルファンタジー』は人物を含む全てをリアルな3DCGで描いた異例の映画として話題を呼び、国内のみならず全米でも公開されたが興行的には厳しい結果となった。映画を作ろうと思い立ったきっかけはCG技術におけるハリウッドとの力の差だった。国内最高のCGスタッフを集めて作られた『ファイナルファンタジーVII』だったが、同年公開された『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』を見て、レベルの差を痛感。ハリウッドのCG技術に追いつくには彼らと一緒に仕事をするのが一番と考え、日本とアメリカの間に位置するハワイにスタジオを設立。両国からスタッフを集め、映画制作に乗り出したのである[6][7]。
ミストウォーカー設立