さかもと ゆうじ坂元 裕二
プロフィール
別名.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}大野(おおの) 大福(だいふく)
誕生日 (1967-05-12) 1967年5月12日(56歳)
出身地 日本・大阪府
主な作品
テレビドラマ『東京ラブストーリー』
『二十歳の約束』
『ラストクリスマス』
『西遊記』
『わたしたちの教科書』
『Mother』
『それでも、生きてゆく』
『最高の離婚』
『Woman』
『問題のあるレストラン』
『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』
『カルテット』
『anone』
『大豆田とわ子と三人の元夫』
『初恋の悪魔』
映画『世界の中心で、愛をさけぶ』
『西遊記』
『花束みたいな恋をした』
ゲーム『リアルサウンド ?風のリグレット?』
受賞
カンヌ国際映画祭
脚本賞
2023年『怪物』受賞参照
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坂元 裕二(さかもと ゆうじ、1967年5月12日 - )は、日本の脚本家・作詞家・戯曲家。東京芸術大学大学院教授。
大阪府出身。妻は森口瑤子[1](1998年結婚)。 自動車整備工場を営む両親のもと、3人兄弟の長男として育つ。奈良育英高等学校卒業。高校時代、映画では相米慎二監督作品、小説では中上健次作品を軸に色々な監督や作家の作品を見たり読んだりしていた[2]。 高校卒業後、フリーターをしながら脚本を学ぶ。1987年、「第1回フジテレビヤングシナリオ大賞」を19歳で受賞しデビュー[2]。同時期にディレクターズ・カンパニーが行っていた脚本募集にも応募していたが、そちらでは採用されなかったためすぐに上京できるテレビの道に進んだ[2]。上京後はテレビ局のアシスタントをしながら脚本の腕を磨いた[2]。 1991年、23歳の時に脚本を担当した『東京ラブストーリー』(フジテレビ)が大ヒットし、最高視聴率は32%。「月曜日の夜9時は街から女性(もしくはOL)たちが消えた」と言われるほどの社会現象となる。ラブストーリーの脚本の依頼が次々舞い込むようになり、トレンディドラマの旗手として脚光を浴びた[要出典]。 また、織田裕二、松たか子、小室哲哉などの楽曲の作詞も行なっている。 1996年、「明らかにテレビが嫌で逃亡した」との理由で脚本家業を休養し、一度テレビ業界から離れる[2]。当初は飯野賢治率いる株式会社ワープに所属してゲーム関連の仕事に携わり、『リアルサウンド ?風のリグレット?』などのシナリオを手掛け、1998年に同社を退社。付き合いのあった文芸誌の編集長から勧められ小説家への転向を試みるが、3年間一つの小説をずっと書き続け原稿用紙2000枚ほどの分量になるも終わらせ方がわからず未完成のまま、発表には至っていない[2]。『きらきらひかる』(フジテレビ)のドラマ版(脚本は井上由美子)を見たことでそのドラマに刺激を受け、それがテレビ脚本の世界に戻るきっかけの1つになった[2]。
経歴・概要