この記事は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。免責事項もお読みください。
地震保険(じしんほけん)は、損害保険の一種で地震・噴火・津波による災害で発生した損失を補償する保険。
政府(財務省が所管)が民間損害保険会社に再保険を提供する保険で世界的にも珍しく1966年6月1日に発売された。民間の損害保険会社は地震保険を火災保険にセットして販売する。地震保険は単独では加入できない[1]。また火災共済などの商品にはセットできない。地震・噴火・津波による被害規模が大きくなることから、たとえ国が再保険を引き受けることが可能でも限度があり、地震保険の保険金額は、火災保険の保険金額の30%から50%の範囲内で加入することができる。
なお、近年、単独で加入できる地震補償保険という名称の保険商品もあるが、民間保険会社の独自設計のものであり、地震保険に関する法律の対象外であるため、これを地震保険と呼ぶのは厳密には誤りである。
この項目では特に断りのない限り、財務省所管の「地震保険に関する法律」で定められた固有名詞としての「地震保険」について記述する。 火災保険約款では、通常地震・噴火・津波によって生じた火災による損害を免責事由としているため、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災や1964年(昭和39年)6月16日の新潟地震の場合などで、火災保険は罹災者救済策として役立たなかった。そこで地震保険の創設に対する社会的要望が高まり、新潟地震から2年後、1966年(昭和41年)5月18日に「地震保険に関する法律」の公布・施行を受けて、国が再保険を引き受ける形で国と民間の損害保険会社が共同で運営する制度として誕生した。 1964年(昭和39年)の新潟地震がきっかけとなり、当時の大蔵大臣田中角栄のリーダーシップにより1923年(大正12年)の関東大震災以後でも実現できなかった災害保険である地震保険の創設となった。国会の衆議院大蔵委員会の答弁で田中角栄は、「地震保険、災害保険、根本的にはやはり考えなければならない段階であろう」、「大きな都市、東京とか大阪とか、こういう都市の住民のためにも災害保険、地震保険は何らかのことで考えなければいかぬ、具体化さなければいかぬだろうというふうな考え方に立っております」との地震大国日本の将来を見通していた。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災では地震保険が十分に普及しておらず多くの被災者の生活に影響を及ぼした。しかし、阪神・淡路大震災を契機に普及が進み2011年(平成23年)の東日本大震災では地震保険の保険金が多くの被災者の生活に役立った。地震保険が誕生していなかったならば国民の多くが地震災害により大きな損害を受けていたことになる。 1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災以降加入の動きが広まった。また、2007年(平成19年)1月より地震保険料控除制度がスタートした。 損害保険料率算出機構によれば2012年(平成24年)度の火災保険新規契約者のうち地震保険にも加入した割合(付帯率)は56.5%と過去最高を記録した[2]。 地震保険は、被災者の生活の安定を目的とする保険であるため、保険の対象は住宅及び生活用動産に限られ、保険事故は地震・噴火またはこれらによる津波を原因とする火災・損壊・埋没・流出による全損・半損・一部損である。なお、マンションの共用部分も対象となる。 この保険は、独立の保険ではなく、火災保険(住宅総合保険、店舗総合保険など)の契約に付帯する形(オプション)になっている。但し付帯を原則とするため、付帯を希望しないときには確認欄への押印が必要である。地震損害の巨大性に対処するため、政府が再保険することとなっており、保険金の支払いの確実を担保している。
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