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やノートページでの議論にご協力ください。地球空洞説(ちきゅうくうどうせつ、Hollow Earth)とは、我々の住むこの地球は、中身の詰まった球体ではなく、ゴムボールのように中空であったり、別世界へ繋がっているという考え方。古くから概念として存在する。「アガルタ世界」や小説「地底旅行」(後述)が有名である。
大航海時代と20世紀の科学の発展により根拠を失い衰退した。測地学の分野では長期間にわたって議論されたが、科学者たちは一様にこれを疑似科学であるとして、退けた。これには球殻の内側の凹面は人間などの居住が可能だというアイデアを含んでいる。
アイザック・ニュートンの万有引力の法則に従えば、球状に対称な凹面の殻内部では、殻の厚さに関わりなく、全ての地点で無重力となってしまうことがわかっている(地球の自転から生じる遠心力は“外”方向へ人を引きつけるが、回転半径が最も大きい赤道地域でさえ、この力は通常の地球の重力の0.3%にすぎない[1])。したがって、空洞内の地表に人や建物が存在するような世界は物理的にあり得ない。 神話などで、地下世界(Underworld
古代の思想
地球空洞説の歴史ハレーの提唱した空洞地球のモデル。地球内部にはひとつの中心核と二層の中空の球核があり、それらが空気を挟んで隔てられて浮かんでいる。オイラーが提唱したとされる空洞地球のモデル。地球の中心には直径1000kmほどの輝く星がある。
以下、まずは主な説を年代順に挙げる。
エドモンド・ハレー(1692年)
イギリスの天文学者。極地方の変則的な磁気変動を説明するために地球空洞説を考案、イギリス学士院で「地球空洞説」を発表した[5]。これは、「水星と同じ直径の中心核と、金星および火星と同じ直径で厚さ500マイルの同心球状の二つの内核とからなる空洞地球」、という説であった。これらの殻同士は空気の層で切り離され、各々の殻はそれぞれ磁極を有しており、さらに異なる速度で自転しているとされた。また、この説では、「地球内部は明るく、おそらくは居住可能であること」、さらに「そこから逃げてくる発光性ガスによって、揺らめくオーロラが生じる」とされた。
レオンハルト・オイラー(1770年頃)
スイスの数学者。地球空洞説を提唱したと主張されることがあるが、オイラー自身がそのような説を提唱した証拠となる文書は存在せず、後世の創作だと思われる。その主張によると、こちらは多重球殻を採用せず「地球内部の高度な文明を照らす、一個の内部太陽」を仮定していた。
ジョン・クリーブス・シムズ(英語版)(1818年)
アメリカ陸軍の大尉。『同心円と極地の空洞帯』という本で、地球空洞説をとなえた。これによると「地球は厚さ800マイル (1,300km)、各々の両極に直径1400マイル (2,300km) の開口部を持つ五層の同心球である」とされ、地表の海はそのまま裏側にまでつづいているとされた。このシムズの説は、初期の地球空洞説のなかでも最も有名なものになった[6]。シムズは自説を裏付けるために北極の探検行を計画し、「自分は精神病者ではない」という医師の診断書までつけた500部の趣意書を、アメリカやフランスの政界、財界、学者に配布した。結局、費用が集まらなかったため、この北極探検は頓挫した。1828年、ロシア皇帝から文書が届き、ロシア帝国主催の北極探険隊の隊長就任を要請される。しかし、シムズは1829年に死亡し、この計画には参加できなかった[7]。現在、オハイオ州ハミルトンには、彼の地球空洞説を記念する碑が立っている[8]。
ジョン・レスリー(1829年)
スコットランドの物理学者。『Elements of Natural Philosophy』において地球空洞説を発表(pp. 449?53)。地球内部に2つの太陽を持つモデルであった。それぞれの太陽は、冥界の神とその妃に由来してプルートとプロセルピナと名づけられていた。
その他の出来事と以後の流れは、次の通り。
1826年
アメリカのジェームズ・マクブライトは、シムズの講演を筆記して『シムズの同心球理論』(Theory of Concentric Spheres) を出版[8]。
1868年
W・F・ライオンズ (W. F. Lyons) が『空洞地球』(Hollow Earth) を出版。
1878年
シムズの息子アメリクス・シムズ (Americus Symmes) は、ライオンズの書籍に父親の名が抜けていることに激怒し、『シムズの同心球理論?地球が空洞であり内部は居住可能で、両極に広大な口があることの論証』を出版[8]。
1906年
アメリカのウイリアム・リード (William Reed) が、『極地の幻影(英語版)』を出版。内部の太陽を持たない、単層の空洞地球のアイデアを提唱した。
1908年
アメリカのウィリス・ジョージ・エマーソン(英語版)の『煙の神、ザ・スモーキー・ゴッド』(The Smoky God) は、地下の文明があるという発想の源泉となった文学作品のひとつである。本書はオラフ・ヤンセンという名のノルウェー人船員の手記という体裁を取っている。この本はヤンセンの帆船が北極にある地球中央への入り口を通って航行したと主張している。彼は地下コロニーのネットワークにいる住人と2年間を共に過ごした。エマーソンは彼らの身長が12フィートもあり、その世界は「煙がかった (smoky)」中心太陽に照らされていたと書いている。エマーソンは彼らの首都が本来のエデンの園(のちに「アガルタ」)であると主張した。(Agartha - Secrets of the Subterranean Cities)
1913年
アメリカのマーシャル・B・ガードナー (Marshall Gardner)[注 1] は、『地球内部への旅・両極は実際に発見されたか』を自費出版。1920年には、挿絵や図版を大幅に増やした改訂第二版を出版した[9]。彼のモデルは、両極に直径1400マイルの開口部をもつ厚さ800マイルの殻と、直径600マイルの内部太陽を配置したものであり、彼はこの模型を造って特許を取得した。ガードナーの書籍にはリードへの言及はなく、シムズ説が採られている。
1920年
ポーランドのフェルディナンド・アントニー・オッセンドフスキーは1920年の旅行記『獣・人・神々』において、当時広く信じられていた地下の理想郷神話「アガルタ」について記している。「アガルタ」神話はインドで「シャンバラ」 Shambhala とも呼ばれており、そこはイニシエートたち(initiates、秘儀参入者)が住まい、人類の霊的指導者である「大師たち」(the Masters) が率いるという。
1927年
フランスのルネ・ジャン・マリー・ジョゼフ・ゲノンは『世界の王』(The King of the World) で、世界の王の資質を語るにあたり、中央アジアにある「シャンバラ」から至る地球内部にある理想の王国「アガルタ」を引用し深く考察している。
第二次世界大戦終結時
「アドルフ・ヒトラーと少数の側近が、南極にある開口部を通って地球の空洞内部に脱出した」という空想的な記事が流布された。
1968年11月23日