地球平面説という神話
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この項目では、中世の人々が地球は平らだと信じていたという歴史的な誤解について説明しています。地球が平らであるとする現代の信仰については「en:Modern flat Earth beliefs」を、反証された宇宙論的モデルについては「地球平面説」をご覧ください。
「地球平面説」を表す著名なフラマリオン版画はしばしば15?16世紀頃の作品として紹介されるが著書『L'atmosphere: meteorologie populaire』(1888; p. 163)が初出の、フラマリオン自身の手になる木版画である。ゴーティエ・ド・メッツ『L'Image du monde』(1246年頃)の写本に収録された、地球球体説を表す模式図

地球平面説という神話(ちきゅうへいめんせつというしんわ)は、近代に生まれた誤解で、中世西欧では地球球体説ではなく地球平面説がはびこっていたという謬説である[1][2]。地球平面説と天動説を混同したのであろうこの説は20世紀前半に広範に流布されたとみられており、イギリスの歴史学協会の1945年の会報に以下のように述べられている:.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}

「地球が平らだとコロンブスの時代の教養人が信じていたという説や、同時代人がそう信じていたことがコロンブスの障害となったがやがてコロンブスはそれに打ち勝っていったという説は、歴史教育において最も強固な間違いである」[3]

中世初期には既に、元々古代ギリシア人たちが示した球体説をほとんど全ての学者が支持していた。教養人たちの間では14世紀までに地球平面説が完全に死滅した。ただし、ヒエロニムス・ボスによる著名な三連祭壇画快楽の園』の外面が、ルネサンス時代における地球平面説の一例となっている。そこには透明な天球の中に浮かぶ円盤状の大地が描かれている[4]

スティーヴン・ジェイ・グールドによると、「(古今の社会一般において私達の住む惑星がどのように概念化されたかはさておき)学者たちの間で『地球平面説が信じられた暗黒時代』など存在しない。古代ギリシア以来の地球球体であるという知識が消え去ったことなどなく、中世の主だった学者は皆、宇宙論上確立された事実として地球が丸いことを支持していた[5]。」 科学史家のデイヴィッド・リンドバークとロナルド・ナンバーズも「中世のキリスト教徒の学者で〔地球が〕丸いことを認めず、地球の近似的周長を知らないものなどほとんどいなかった[6]」と指摘している。

歴史家のジェフリー・バートン・ラッセルは、中世に地球平面説が流行したという誤解は1870年から1920年にかけてはびこり、また、進化論によって作り出されたイデオロギー的な状況とも関係したと述べている[7]。ラッセルは、「まれな例外を除けば、紀元前3世紀以降の西洋文明の歴史に連なる教養人で地球が平面だと信じたものなどいなかった」と主張し、ジョン・ウィリアム・ドレイパー、アンドリュー・ディクソン・ホワイトワシントン・アーヴィングらが地球平面説という神話を流布したのだと考えている[8][9]
歴史

著書『地球平面説の発明』(英語: Inventing the Flat Earth)でジェフリー・バートン・ラッセルは、前近代文明、特に中世西欧を攻撃するための作り話として地球平面説が使われたのだと述べている[10]

ジェームズ・ハンナムはこう書いている:

中世の人々が地球は平面状だと考えていたという神話は、プロテスタント達によるカトリック教会の教えを攻撃するキャンペーンとして17世紀ごろに現れた。しかしこの神話が広く信じられるようになったのは19世紀のことで、ジョン・ウィリアム・ドレイパーの『宗教と科学の衝突の歴史』(英:History of the Conflict Between Religion and Science、1874年)やアンドリュー・ディクソン・ホワイト『キリスト教国における科学と神学の争いの歴史』(英:History of the Warfare of Science with Theology in Christendom、1896年)によって流布された。無神論者や不可知論者はコンフリクト命題(英語版)を故意に擁護した[...][11]
近世

フランスの劇作家シラノ・ド・ベルジュラックは『別世界又は月世界諸国諸帝国』(死の2年後の1657年に発表)の第5章で、アウグスティヌスが「彼の時代には地球はストーヴのふたのごとく平らで、半分に切ったオレンジのように水面に浮かんでいた」と言っているのを引用している[12]。 ロバート・バートンは著書『憂鬱の解剖学』(英:The Anatomy of Melancholy)で[13]、以下のように書いている:

ザルツブルクの司教であった(アウェンティヌスの述べるところでは745年のこと)ヴァージルは、メンツの司教ボニファティウスから疑義を問い質された、というのは彼は対蹠地(その存在はキリストが死んだ理由について疑義を生じさせる)というものがあると考えており、地獄の地位を減じ、あるいは天国に釣り合わなくなるほどにまでそれを縮小させるために、地球は(アコスタや大衆があらかた反駁しているのだが)トレンチャーのように円いが球体のように丸くはないとしたオースティン〔聖アウグスティヌス〕、バジル〔バシリウス〕、ラクタンティウスの意見を否定したのである。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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