地獄
監督神代辰巳
脚本田中陽造
出演者原田美枝子
岸田今日子
栗田ひろみ
石橋蓮司
林隆三
音楽眞鍋理一郎
主題歌山崎ハコ
撮影赤塚滋
製作会社東映京都
配給東映洋画
公開 1979年6月3日
上映時間131分
製作国 日本
言語日本語
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『地獄』(じごく)は、1979年6月3日に公開された日本映画。東映京都撮影所製作、東映洋画配給。カラー、131分。
岡田茂東映社長(当時)が日活ロマンポルノ出身の神代辰巳監督を東映に招いて撮ったホラー映画[1][2]。 姦通や近親相姦の罪を犯して2代にわたって地獄に堕ちていく母娘を卑俗趣味たっぷりに描く[3][4][5]。 企画は岡田茂東映社長(当時)[1][6]。岡田は、曼陀羅に描かれた因果応報の世界地獄を、常に人間を赤裸々なナマの姿で描き続けてきたと神代辰巳監督を起用し「外部から新しい血を導入、体質改善、新分野開拓を図る第一弾」と話した[1]。また大作路線への移行を目指し一本立て作品として準備したが[1]、若松孝二監督、内田裕也主演の『餌食』(獅子プロ製作)との二本立てで公開された[7]。神代は「岡田社長からは、地獄絵を見せてくれと言われた。地獄を舞台に『エクソシスト』みたいな恐ろしさが出せればと思っています」と話し製作に挑んだ[1][8]。 春日太一の著書『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』では、「岡田が当時の外国産のオカルト映画に便乗して本作品を企画した」と書かれているが[6]、本作品の企画自体は、この10年前の1969年に岡田が異常性愛路線の一本として石井輝男に撮ってもらおうと企画したものであった[9][10][11][12]。10年前のタイトルも同じ『地獄』で、これが流れて代わりに撮られたのが異常性愛路線の最終作『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』[13]。1969年3月14日にあった東映定例会見で、岡田がその年の秋の大作予定として「『地獄』を石井輝男監督で時代劇で作る。東映東京の特撮をフルに動かして三途の川、血の池、針の山などを出して、その昔子供たちが絵で見、親に聞いた話をこってり天然色で描いてみたい。そうしたものだからもちろん時代劇であり洋服で三途の川を渡るなぞの珍景は出ない。これには東西の本願寺にバック・アップをしてもらいたいと思う。とに角『親鸞』以来の大作にしたい」と、本作品とほぼ同じコンセプトを話している[9][10][11]。石井輝男版『地獄』は金がかかり過ぎるという理由でこの時は製作されず[14]、内容が大きく変わり[14]、『地獄』として1999年に映画化されている[14]。 1977年秋に岡田から依頼を受けた神代は、田中陽造と打ち合わせに入り同年11月から脚本に取り掛かり、初めはサーカスの女をヒロインに据えた悲恋物語を書いたが[8]、岡田から「そんな話が当たるか」の一言で不本意な改訂を余儀なくされた[8]。この準備稿はサーカスのテントの中で観客が全員焼死するという映画化不可能な内容だったとされる[15]。不倫の無間地獄に陥った女の因果報復譚に書き換え、1978年4月下旬に第二稿が出来[16]、岡田に提出しOKが出た[2]。 当時、東映洋画宣伝室に在籍し、本作品の宣伝に関わった野村正昭が神代に「僕は『やくざ観音・情女(いろ)仁義』が大好きですが『地獄』もよく似ていますね」と言ったら、神代が「両方とも陽造が書いてるからなあ」と答え、野村はひどく感動したという[17]。
概要
スタッフ
監督:神代辰巳
企画:翁長孝雄・日下部五朗・松平乗道・奈村協
脚本:田中陽造
撮影:赤塚滋
特撮監督:矢島信男
美術:鈴木孝俊
音楽:真鍋理一郎
主題歌:山崎ハコ『「地獄」心だけ愛して』
挿入歌:山崎ハコ『きょうだい心中』
録音:溝口正義
照明:金子凱美
編集:玉木濬夫
製作:東映京都撮影所
キャスト
水沼アキ:原田美枝子
生形ミホ:原田美枝子
生形シマ:岸田今日子
生形松男:石橋蓮司
生形幸男:林隆三
生形久美:栗田ひろみ
生形竜造:西田健
生形雲平:田中邦衛
山尾治:加藤嘉
芳:岡島艶子
尼僧:佐藤友美
メカニック:福本清三
懸衣翁:浜村純
閻魔大王:金子信雄
茶吉尼天:天本英世
鬼:大前均
鬼:マンモス鈴木
鬼:大位山勝三
製作
企画
脚本
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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