地獄谷野猿公苑
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株式会社地獄谷野猿公苑
Jigokudani Yaen-koen Inc.
温泉につかるニホンザル
種類株式会社
市場情報非上場
本社所在地 日本
381-0401
長野県下高井郡山ノ内町平穏6845
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度43分58.1秒 東経138度27分45.7秒 / 北緯36.732806度 東経138.462694度 / 36.732806; 138.462694座標: 北緯36度43分58.1秒 東経138度27分45.7秒 / 北緯36.732806度 東経138.462694度 / 36.732806; 138.462694
設立1964年昭和39年)6月3日
業種サービス業
法人番号6100001012243
事業内容遊園地・植物園等観光施設の経営、諸物品販売及び飲食業
代表者代表取締役社長 萩原 敏夫
資本金1,000万円
従業員数9名
主要株主長野電鉄株式会社(71%)
外部リンクjigokudani-yaenkoen.co.jp
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地獄谷野猿公苑(じごくだにやえんこうえん)は、長野県下高井郡山ノ内町地獄谷温泉にある、野生[1]ニホンザルの観察のための公園。冬にはサルが温泉に浸かる様子が知られる、国際的な観光地。英語圏ではSnow Monkey Mountainとも呼ばれる[2]
地理と歴史

1964年(昭和39年)に開苑し、開苑当初からの「猿と人間の共生を観光客に見せること」を徹底し[2]、野生のニホンザルの生態を間近で観察できる[3]野猿公園と国際的に知られる。志賀高原を源とする横湯川の渓谷にある地獄谷温泉の一番奥に位置する。公苑の手前には、100度近い源泉を吹き上げる渋の地獄谷噴泉がある[4]。標高850m、1mを越える積雪があり、厳冬期は最低気温が-10 ℃を下回る。冬場に温泉に入るニホンザルの姿は“snow monkey”(スノーモンキー)などと呼ばれて非常に有名であり、日本国内外のメディアの紹介でよく地獄谷温泉の画像が使用され、タイム誌などにも掲載される。また日本国内外からの観光客も不便な道のりにも拘らず訪れる観光地で、年間約10万人が訪れる[5]。公苑では夏冬の区別なく山から下りてきた野生のニホンザルが観察できる。

1998年長野オリンピックでのスノーボードハーフパイプ競技会場となった「かんばやしスノーボードパーク」がそばにあったため[6]、長野オリンピックの頃から各国のメディアが紹介し[7]、日本国外にも公苑が知られるようになった[8]。観光客の内、約2割が日本国外からで、サルが風呂に浸かる冬季は、多いときは3-4割が日本国外の観光客で、中でもスキー観光の際に訪日するオーストラリア人観光客が多いと報道される[8]。また、日本国外の観光客は、2006年は約14,000人[2]、2009年には約18,000人、2010年には約23,000人いた。公苑によると、2010年の1月の時点で、冬季の平日の平均来場者が約150人で、うち半数以上が日本国外人で、多いときは7割を超える日もあり、週末や休日などは、観光客が多い日は500人前後が訪れるが、うち約半数は日本国外人で占められていると話していた[7]

2011年(平成23年)3月に東日本大震災が起きると「ほとんどゼロになった」(苑)ほど急減した[9]。しかしその後、再び震災前の水準まで回復している[9]。スキーで多数訪れていたオーストラリア、台湾、欧米からの観光客に加え、シンガポールやタイなど東南アジアからの旅行客も増えてきているが[7]、地元観光関係者が東南アジアで誘客に力を入れているためだと説明する[9]

また朝日新聞社は報道で、日本国外からの観光客は特に冬季に来ていると指摘し、サルたちは日本国内よりも日本国外で有名であり[1]、訪日者に“Snow Monkey”は、「日本で是非とも見たいもの」の上位にランクインしているようだと書いている[1]。日本テレビの番組では「外国人が感動した日本の観光地」(トリップアドバイザー調べ)で3番手となっていると放送した[10]。公苑は「野生の動物をこれだけ近くで安心して見られる所は世界でもあまりない」と毎日新聞で紹介した[9]
開苑まで

戦後の林業により、サルが食料にしていた奥山の木々が切り倒され、サルは生息地を無くし、山から地獄谷付近まで下りて来るようになった。ところが、山を下りたサルの頭数が多すぎて食料が足らず、更に下流の湯田中温泉付近のリンゴ畑(田畑)[2]が被害を受けた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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