地獄のヒーロー
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この項目では、シリーズ第1作について説明しています。シリーズ全体については「地獄のヒーローシリーズ」をご覧ください。

地獄のヒーロー
Missing in Action
監督ジョセフ・ジトー
脚本ジェームズ・ブルーナー
製作メナハム・ゴーラン
ヨーラン・グローバス
ランス・フール
出演者チャック・ノリス
M・エメット・ウォルシュ
音楽ジェイ・チャタウェイ
撮影ホアオ・フェルナンデス
編集ジョエル・グッドマン
ダニエル・ローエンタール
製作会社キャノン・フィルムズ
配給 キャノン・フィルムズ
日本ヘラルド
公開 1984年11月7日
1985年6月8日
上映時間101分
製作国 アメリカ合衆国
言語英語
製作費$2,550,000[1]
興行収入$22,812,411[1]
次作チャック・ノリスの 地獄のヒーロー2
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『地獄のヒーロー』(Missing in Action)は、1984年アメリカ映画アクション映画。原題の Missing in Action とは軍隊用語で「作戦行動中行方不明」または「戦闘中行方不明」を表し、MIA とも略される。『地獄のヒーロー』シリーズの第1作である。
ストーリー

ベトナム戦争の“英雄”ジェームズ・ブラドック大佐は、7年間もの間、北ベトナムの捕虜収容所に抑留されていた。脱出に成功した彼は、10年後、ベトナムへ向かう“戦闘中行方不明兵士”に対する米政府調査チームに同行する。

ホーチミン市において、米上院議員を含む政府調査チームとベトナム政府との会談が持たれるが、ブラドックから提出された米兵士の解放要求は、ベトナム政府から事実無根であると退けられる。更にベトナム政府は捕虜の存在を認めないばかりか、逆にブラドックを戦争犯罪人として訴える用意があるとの見解を示すのだった。

政府間交渉での解決は困難とみたブラドックは、単独で捕虜救出を行うことを決意。タイに赴き、武器商人を営む軍人時代の友人から武器や軍用ボートを調達し、ベトナムのジャングルの奥深くへと単身、救出任務を開始する。
解説
製作決定と公開までの経緯

公開第一週での興行成績は$6,101,000を上げ、ボックスオフィス・チャート初登場一位を記録。当時としては記録的な大ヒットで、チャック・ノリスの人気を決定的にした。また、その後も多くのチャック・ノリス主演作を製作することになる、キャノン・フィルムの初主演作でもあり、彼の看板シリーズとなった。

当初は続編にあたる『地獄のヒーロー2』(1985年)が本来シリーズの一本目であり、逆に本作が続編として製作されていた。物語の時系列的にも、ブラドックの捕虜収容所からの脱出劇をプロットとする『地獄のヒーロー2』が本作以前に位置している。公開順の変更は、メナハム・ゴーランのプロデューサー判断で行われた。

この公開順番の変更の名残りはクレジットにも認めることができる。一本目に予定されていた『地獄のヒーロー2』のオリジナル脚本を担当した、スティーブ・ビングがキャラクター原案としてクレジットされ、スティーブ・ビングの脚本をチャック・ノリスに持ち込み、企画実現に奔走『地獄のヒーロー2』の監督を担当したランス・フールが原案・製作総指揮としてクレジットされている。

キャスティングの特徴としては『ブレードランナー』(1982年)出演の役者陣の登用が目立った。『ブレードランナー』で眼球製作者のハンニバル・チュウ役のジェームズ・ホンがトラウ将軍にキャストされ、ブラドックの相棒タック役にも、『ブレードランナー』のセバスチャンを演じたウィリアム・サンダーソンにオファーが出されていたが、彼が断った為に、同じ『ブレードランナー』でブライアント署長を演じたM・エメット・ウォルシュに決定した。
ランボーとの関係

シルヴェスター・スタローン主演、ジョージ・P・コスマトス監督による『ランボー/怒りの脱出』(1985年)の前年の公開にもかかわらず、類するプロットから、『ランボー/怒りの脱出』の亜流作品との見方が多く見受けられる。日本においては、米国の事情や公開年度も知らない無知故の根拠のない印象論が殆どを占めるが、米国では『ランボー/怒りの脱出』の熱心なファンから盗作であるという具体的な批判まで起きた。その場合、「『ランボー/怒りの脱出』の脚本は、ジェームス・キャメロンによって1983年に書かれていた」という、ある映画批評家による記事が“ランボー派”の根拠として取り上げられてきた。そして、そのキャメロンの脚本に、キャノンの責任者メナハム・ゴーランがインスパイアされ製作した映画が『地獄のヒーロー』であり、著作権侵害をかわす手立てとして、本来一本目に予定されていた(『ランボー/怒りの脱出』とは異なるプロットである)『地獄のヒーロー2』と同時に二本撮りされ、公開順を入れ替えることで『ランボー/怒りの脱出』よりも6ヶ月も早く公開された。というものである。

エクスプロイテーション映画で多く見られる常套手段であり、事実であったとしても何ら驚くべきことではない。しかも、この説は、キャメロンによって先行して書かれていたという“MIA救出”というプロットも決してオリジナルではなく、更に先行作品が存在するという点を大きく見落としている。キャメロンが脚本を執筆したとする年と同年に公開されていた、テッド・コッチェフ監督、ジョン・ミリアス製作による ジーン・ハックマン主演の『地獄の7人』(1983年)である。さらにその前年、J.C.ポロックによるMIA救出を題材にした小説『ミッションMIA』[2]が存在する。
チャック・ノリスの自叙伝による述懐

チャック・ノリスの自叙伝によれば、ベトナム戦争で戦死した弟ウィーランドに捧げる映画を作りたいと以前から切望していた彼のもとに、ランス・フールによって『地獄のヒーロー2』の脚本が持ち込まれた。悲壮を極めたベトナム戦争によって行方不明になったままの2000人もの米軍兵士のためにも、ぜひこの映画を作りたいとの意で、ランスとチャックの2人は熱心に映画会社を口説いて回ったが、ハリウッドの誰もがそんな脚本に関心を示さなかった。

1980年代初頭の時代背景と言えば、イランで1年以上も拘束されているアメリカ市民のニュースがトップ扱いであった。その後、ロナルド・レーガンの大統領就任により拘束されていたアメリカ市民が解放されたことで、国民の気分は高揚していたにもかかわらず、アメリカ兵士が外国で囚われるような映画はもう誰も観たくないであろう。それが当時のハリウッドの主流の考え方であったという。

チャックは諦めずに映画会社を回り、この映画はベトナムで戦った兵士を讃えるだけではなく、興行的にも大成功間違いなしだと説得した。ようやくキャノン・フィルムが映画製作に同意した。

チャックは完成した映画の反響を確認するため、ハリウッドの試写会ではなく、一般の映画館の公開初日に『地獄のヒーロー』を観に行った。いつものように彼は、プロの評論家の意見よりも観客の反応が知りたかったからである。ブラドックがクライマックスで、いまだに米兵たちがベトナムで捕らえられていることを証明した時、観客全員が総立ちで拍手喝采した。その歓声を聞いてチャックは、自分たちがそれまでに映画に注いだ努力が報われるような思いがした。

『地獄のヒーロー』は、公開1週目で600万ドルの興行成績を叩き出し、当時としては記録的な大ヒット作となった。また、チャックのそれまでの主演作と違い、好意的な映画評が多数書かれた。しかしチャックにとっての最高の賛辞は、ベトナム帰還兵の父を持つある女性の言葉だった。「父が泣いたのを生まれて初めて見ました」

チャックは、ベトナムで死んだ弟ウィーランドと、その他数多くのベトナム戦死者の霊を慰めることができたのなら本当に嬉しいと思った。と綴っている。
M・エメット・ウォルシュの証言

『メイキング・オブ・ブレードランナー』(1997年、ポール・M. サモン著)に記載されているM・エメット・ウォルシュのインタビューによれば、メナハム・ゴーランの経済性を優先する余りの早撮りの指示に対し揶揄するコメントがある。

『ブレードランナー』は、リドリー・スコットの撮影への拘りから、4ヵ月も撮影が超過、予算が500万ドルをもオーバーしたことで完成保証人の現場介入を招き、シークエンスの簡素化や部分によっては丸ごと削ることさえ余儀なくされたという。その混乱に対しエメットは次のように述べている。「今でも友人には、『ブレードランナー』の仕事はまるでキャノンの仕事をしているようだったと話すんだ」「(キャノンを)経営していたのは、メナハム・ゴーランとヨーラン・グローバスという2人組だったが、予算が厳しくなると脚本のページを破り捨てて、『次のページを撮ろう!』と叫ぶんだ」
ブレイク作となったスタッフ・キャストのその後
チャック・ノリス

本作を皮切りに多くのアクション映画に主演し、1980年代のコマンドヒーローブームを、シルヴェスター・スタローン、アーノルド・シュワルツェネッガーと共に牽引した。


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