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出典検索?: "地母神"
地母神(ちぼしん、じぼしん)、母なる神(ははなるかみ)は一般的な多産、肥沃、豊穣をもたらす神で、大地の豊かなる体現である。「大地の母」として描かれる。
母権制と女神の歴史ヴィレンドルフのヴィーナス像
母なる神は多くの社会において深く崇められてきた。ジェームズ・フレイザー(『金枝篇』の著者)や彼に影響された人々(ロバート・グレイヴズや マリヤ・ギンブタス)は論を進め、全ての欧州とエーゲ海沿岸地域の母神信仰は、新石器時代に遡る先インド・ヨーロッパ人(英語版) (Pre-Indo-European) の母系社会を起源とすると論じた。
遊牧民族征服説「クルガン仮説#解釈」も参照
19世紀末、比較神話学上の仮説として、フリードリヒ・エンゲルスとJ・J・バッハオーフェンが遊牧民族征服説を唱えた。この仮説はジェームズ・フレイザーの『金枝篇』における文献的研究によって更に促進された。父なる天への信仰は遊牧民に特徴的で、母なる大地への信仰は農耕民に特徴的であると信じられた。
この学説によれば、遊牧民が武力をもって農耕社会を征服し、女神たちを男性の神に置き換えた。この過程で、女性の地位と母権制は軽んぜられ、父権制がもたらされたというのである。性別によった地位が逆転したことで宗教上の変化がもたらされたと想定した。この学説はインド・ヨーロッパ語族の発見と結び付けられ、軍事的な征服過程がこれらの言語の拡散の背景にあったと想像されたのである。父なる天はインド・ヨーロッパ文化の理想とみられた。この時点では「インド・ヨーロッパ人」と「アーリア人」は同義語だった。 遊牧民族征服説を覆したのが考古学と人類学の研究だった。多くの研究者がこの説では初期のヨーロッパでの宗教生活を説明できないとした。考古学的な記録から見て、インド・ヨーロッパ語は軍事力だけでヨーロッパとアジアに広がっていったものではないと考えられた。非インド・ヨーロッパ文明にも男性優位の神殿があり、それは占領や征服の結果ではなかった。女神信仰と女性の社会的地位の間に想定された歴史的な関係も、直接的には証明できなかった。そればかりでなく、農耕民だから女神を、遊牧民だから男神を崇拝するという証拠もそれほど多くはなかった。インド・ヨーロッパ人が、先住民より家父長的で男性優位な信仰を行っていたことを信ずるに足るいかなる理由もなく、他の多神教以上に、女神を追い払い男神をその代わりに据えようとしたとも考えられなかった。 たしかに、*dyeus-ph?têr というインド・ヨーロッパ祖語名で再構成された男性の父なる天が、ギリシア神話にゼウスの名で、ローマ神話ではユーピテルとして現れたことは事実であり、北欧神話ではテュール、ヴェーダの伝えるインド神話ではディヤウス・ピターとして現れたのも事実である。
実証主義的反論