地方博覧会
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「地方博覧会」はこの項目へ転送されています。国際的な博覧会については「国際博覧会」をご覧ください。
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博覧会(はくらんかい)とは、物品や資料などを集めて一般公開する催しのことである。

様々な物品を集めて展示する博覧会(国内博覧会)は、1798年フランス革命の時期のパリで開催された[1]1849年までにパリで11回にわたり開催され、徐々に規模が大きくなっていった[2]。同様の博覧会がベルギーオランダなど各国でも開催されるようになると、1849年フランス首相国際博覧会を提唱し、1851年第1回国際博覧会ロンドンで開催された。

本項では、日本における主な博覧会を歴史的に記述する。世界における国際博覧会の開催については「国際博覧会」を参照
日本の博覧会の歴史「博物館#日本の博物館」も参照
日本の博覧会前史

江戸時代1757年宝暦7年)、本草学者の平賀源内の提案、田村藍水の主催で、江戸湯島で物産会(薬品会ともいう)が開催された[3][4]。物産会は一般公開はされなかったが、全国から薬用になる動植物、鉱物を集めたもので、日本初の物産会であった。物産会はたびたび催され、1761年(宝暦11年)には湯島において源内主催の大規模な壬午の会が開かれた。また物産会以外にも、寺院での開帳などが行われていた[5]
国際博覧会への参加1873年明治6年)ウィーン万博の日本館

1867年慶応3年)、第2回パリ万博に幕府および薩摩藩佐賀藩が参加し、出品した[6]。また、水戸藩徳川昭武渋沢栄一らもパリに赴いた。1873年明治6年)のウィーン万博には日本政府として初めて公式参加し、日本館を建設した[7]。明治期の国際博覧会では日本の展示品が好評をもって迎えられ、日本ブーム(ジャポニスム)を広めた。
内国勧業博覧会第五回内国勧業博覧会の美術館

近代日本では新しい文明の成果や他国の文化を人々に伝える啓蒙的な役割を果たすことになった。1871年(明治4年)、5月の九段下の西洋医学所薬草園にて行われた大学南校主催の物産会(当初博覧会の名で企画されたが直前に物産会に名称変更[8])や10月の京都西本願寺で開催された京都博覧会(京都博覧会社主催)が国内の博覧会最初期のものである[9]。同博覧会は以後も京都御苑などを会場に行われた。1872年(明治5年)には東京で初めての博覧会、もしくは文部省博物局が主催した初の官設博覧会として湯島聖堂博覧会が開催された。また廃仏毀釈によって荒廃した奈良でも1875年(明治8年)第一次奈良博覧会が東大寺大仏殿及び回廊を会場として県内寺社・個人所蔵の文化財を集めた異色の博覧会として開催されたが、こちらは正倉院御物などの複製を通じた伝統工芸に対する再評価の場となった(奈良博覧会社により以後毎年第十五次まで開催)。詳細は「内国勧業博覧会」を参照

東京では1877年(明治10年)に、上野公園で第1回内国勧業博覧会(政府主催)が開催された[10]。内国勧業博覧会は以後、1881年(明治14年)上野1890年(明治23年)上野、1895年(明治28年)京都、1903年(明治36年)大阪と5回が開催された。第5回の大阪での博覧会は、日本が工業所有権の保護に関するパリ条約に加盟したことから海外からの出品が可能となり、14か国18地域の参加と出品点数31,064点[注釈 1]と予想以上の出品が集まった。この数字は、1900年(明治33年)パリ万博の37ヶ国、1902年(明治35年)グラスゴー万国博覧会の14カ国と比べてもあまり遜色なく、事実上小さな万国博覧会とみなしても差し支えないとされる[11][12][13]上野公園では、その後も1907年(明治40年)に東京勧業博覧会、東京大正博覧会1914年大正3年)、平和記念東京博覧会1922年(大正11年)と、東京府主催の大規模な博覧会が続いた。明治大正の博覧会場は、ほとんど東京京都だったが、大阪名古屋仙台などでの開催例もある。

また、日本統治下に入った朝鮮台湾でも、日本統治の成果を示すことを目的とした博覧会が開かれた。1915年(大正4年)に京城府(現在のソウル特別市)で開催された始政五年記念朝鮮物産共進会を始め、1929年昭和4年)には同じく京城府で朝鮮博覧会1935年(昭和10年)には台北始政四十周年記念台湾博覧会が開催された。
民間主催の博覧会

それまで官庁による主催の博覧会によって投資の呼び込みや消費拡大に効果があることも示されたことで、大正期以降には民間会社主催の博覧会も催されるようになった。新聞社百貨店鉄道事業者などが博覧会を主催するようになった。


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