地下鉄サリン事件
事件発生時の築地駅前
場所 日本・東京都
帝都高速度交通営団(現:東京メトロ)の一部路線
日付1995年3月20日
標的営団地下鉄(現:東京メトロ)丸ノ内線・日比谷線・千代田線の乗客および乗員・駅員など
攻撃手段地下鉄の列車にサリンを撒くことによる化学テロ・宗教テロ
兵器サリン
死亡者14人
負傷者約6,300人[1]
犯人オウム真理教
首謀者:麻原彰晃
総括役:村井秀夫
調整役:井上嘉浩
実行犯(散布役・送迎役):林郁夫・新実智光・横山真人・外崎清隆・広瀬健一・北村浩一・豊田亨・高橋克也・林泰男・杉本繁郎
サリン製造役:遠藤誠一・土谷正実・中川智正
その他:女性信者2名
動機教団への捜査の撹乱と首都圏の混乱
対処首謀者らに死刑判決および執行
テンプレートを表示
地下鉄サリン事件(ちかてつサリンじけん)は、1995年(平成7年)3月20日に日本の東京都で発生した同時多発テロ事件。警察庁による正式名称は地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件(ちかてつえきこうないどくぶつしようたすうさつじんじけん)[注 1]。日本国外では「英: Tokyo Sarin Attack」と呼ばれることがある[2]。 地下鉄サリン事件では、東京の帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)の営業運転中の地下鉄車両内において、宗教団体のオウム真理教の信者らにより神経ガスのサリンが散布され、乗客及び職員、さらには被害者の救助にあたった人々にも死者を含む多数の被害者が出た。1995年当時としては、平時の大都市において無差別に化学兵器が使用されるという世界でも稀に見る大都市圏における化学兵器を利用した無差別テロ事件であった。 毎日新聞では、坂本堤弁護士一家殺害事件、松本サリン事件と並んで『オウム3大事件』[3] と表現されている。 1995年(平成7年)3月20日午前8時ごろ、東京都内の帝都高速度交通営団(現東京メトロ、以下営団地下鉄)丸ノ内線、日比谷線で各2編成、千代田線で1編成、計5編成の地下鉄車内で、化学兵器として使用される神経ガスのサリンが散布された。乗客や駅員ら14人[注 2]が死亡、負傷者数は約6,300人とされる。 営団地下鉄では、事件発生に伴い日比谷線の運転が不可能となり、霞ケ関駅を通る丸ノ内線・千代田線については同駅を臨時に通過扱いとして運行することにしたが、一時的に部分運休した(後述)。運転再開後はほぼ所定通りのダイヤで運行したが、終電まで霞ケ関駅を通過扱いする措置を執った。 3月20日は月曜日で、事件は平日朝のラッシュアワーのピーク時に発生した。これは村井秀夫と井上嘉浩が乗客数および官公庁の通勤のピークが8時10分ごろであると考えたためである[4][5]。各実行犯は500?600gの溶液(うちサリンは35%程度)の袋詰めを2つ、林泰男だけは3つ運び、犯人は各々に命じられた列車に乗り込み、乗降口付近で先端を尖らせた傘を使い、袋を数回突いて下車[6]。それぞれの犯人が共犯者の用意した自動車で逃走した。これらの路線の車内はラッシュ時には非常に混雑するため、危険回避のために乗客が車両間を移動することは困難であったと推測されている。 この事件は教祖の麻原彰晃が首謀、村井が総括指揮を担当、そして井上が現場調整役を務めた。サリンは遠藤誠一を中心に土谷正実と中川智正の補佐によって生成したものが使われた。 事件から2日後の3月22日、警視庁はオウム真理教に対する強制捜査を実施し、事件への関与が判明した教団の幹部クラスの信者が逮捕され、林郁夫の自供がきっかけとなって全容が明らかになり、5月16日に教祖の麻原が事件の首謀者として逮捕された。地下鉄サリン事件の逮捕者は40人近くに及んだ。 リムジン謀議(後述)には、麻原・村井・遠藤・井上・青山吉伸・石川公一の6人がいた。謀議に積極的発言をした麻原・村井・遠藤・井上の4人の共謀が成立するとし、同乗しながら謀議に積極的な発言が確認できなかった青山と石川の共謀の立件は見送られた。 東京地方裁判所は、首謀者の麻原をはじめ、サリン製造に関与した3人(遠藤・土谷・中川)、散布実行犯5人のうち林郁夫を除く4人[注 3] と、送迎役5人のうち新実智光[注 4] に死刑を言い渡した一方、新実と逃走中の高橋克也を除く送迎役3人(いずれも求刑は無期懲役)と井上嘉浩[注 5](求刑:死刑)には無期懲役が言い渡された。東京高等裁判所の控訴審では、井上[注 5] にも死刑判決が言い渡された。サリン製造役3人および実行役4人、新実・井上の計9人に言い渡された死刑判決はいずれも最高裁判所で、2011年(平成23年)に遠藤の上告が棄却されたことをもって確定した。 2012年(平成24年)6月15日、この事件に関与したとして特別指名手配されていた高橋克也が逮捕され、地下鉄サリン事件で特別指名手配されていた被疑者は全員逮捕された。高橋が逮捕されるまでに、前述した新実を除く送迎役は全員求刑通り無期懲役判決が確定しており、高橋も他の送迎役同様一・二審で無期懲役判決(求刑:同)を受け、最高裁に上告中であったが、上告が退けられた。 2018年(平成30年)7月、事件に関与した死刑囚の死刑が執行された。 本事件を受けてサリン等による人身被害の防止に関する法律が制定されたほか、営団地下鉄の駅構内からゴミ箱が撤去されたが、2005年に中が見えるようになって復活した。 しかし、その後2010年代後半からまた駅構内からゴミ箱は撤去されている。
事件の概要
事件の流れ
事件当日
オウムの関与判明後
事件の計画
生物兵器・化学兵器の開発状況「オウム真理教#沿革」および「オウム真理教の兵器」を参照
Size:196 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef