地上デジタル音声放送
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

「地デジラジオ」はこの項目へ転送されています。

特定のインターネットラジオ番組については「地球発デ・ジ・キャラットラジオ略して地デジラジオ」をご覧ください。

この項目では、日本の過去の放送について説明しています。

地上デジタルラジオ全般については「デジタルラジオ#地上波」をご覧ください。

地上デジタルテレビ放送の音声部分とは異なります。

地上デジタル音声放送(ちじょうデジタルおんせいほうそう)とは日本2003年から2011年まで行われていた、地上波によるデジタルラジオである。通称、地上デジタルラジオ(ちじょうデジタルラジオ)・デジタルラジオ(BSデジタルラジオと混同しないときのみ)・地デジ(地デジテレビと混同しないときのみ)。

2003年10月10日ISDB-TSBによる実用化試験放送が東京地区大阪地区で開始したが、2010年6月30日に大阪で、2011年3月31日に東京でそれぞれ終了。

代わってV-Low帯[注 1]に使用周波数を変更してISDB-TSBによるマルチメディア放送i-dioとして2016年3月1日より放送を開始したが、2020年3月31日に終了した。
概要

従来の地上波ラジオの特徴に加え、ノイズのない高音質な音声・多チャンネル放送・5.1サラウンド放送や文字・静止画・簡易動画を含むデータ放送、リアルタイム投票などの双方向性機能が特徴。移動体・携帯型端末での受信時にもノイズの少ないクリアな音声で受信できた。簡易動画放送も可能だった。一方、専用の受信機が必要であるとともにその受信機も限られたものしか発売されなかったという問題点もあった(後述「受信機」も参照)。

2003年10月10日に実用化試験放送を開始して2011年7月以降の本放送開始を目指していたが、使用する周波数を変更してマルチメディア放送へ転換を行うことを理由として2011年3月31日をもって放送終了した。

地上アナログテレビジョン放送とは異なり、従来のアナログラジオ放送(中波短波によるAM放送、超短波によるFM放送)は地上デジタルラジオ本放送開始以降も継続して放送される予定だった。これは災害時の情報伝達手段として従来のアナログ方式のラジオ放送が重要視されていたためであり、デジタルラジオ放送は従来のラジオ放送の置き換えではなく4番目の新しいラジオ放送という位置づけになっていた。またデジタルラジオの普及を推進するため、マスメディア集中排除原則の対象ではなかった。
方式

日本の地上デジタルテレビ放送ISDB-Tを拡張したISDB-TSBを採用していた。1セグメントの占有周波数帯域は467kHz、伝送速度は4つの変調方式のうち移動体に適した方式で 280kbps圧縮方式MPEG-2 AAC。中継局を同一周波数で使用できるSFNが使用できた。

テレビが13セグメントでUHF帯を使用するのに対しラジオでは1または3セグメント(規格上は最大13セグメントまで連結可能)を1単位として利用し、VHF帯の7チャンネル(190.214286MHz)を8セグメント(91?98チャンネル)に分けて使用した。
年表

1998年10月 - 総務省の地上デジタル放送懇談会で、地上デジタル放送の推進が検討された。

2000年11月 - 放送普及基本計画に地上デジタル音声放送が追加された。

2003年9月26日 - デジタルラジオ推進協会に、東京・大阪地区の予備免許を交付。

2003年10月10日 - 東京・大阪地区において、VHF7chで実用化試験放送を開始。

2005年5月20日 - 総務省のデジタル時代のラジオ放送の将来像に関する懇談会で、報告書案にて2006年から本放送を開始する案を答申。

2005年10月31日 - エフエム東京、TBSラジオ&コミュニケーションズ、文化放送、ニッポン放送、J-WAVEの5社が、デジタルラジオ事業会社「マルチプレックス・ジャパン」の発起人会を設立。

2006年9月 - 割り当てられる周波数が不確定になったため、マルチプレックス・ジャパンの発起人会を解散[1]。2006年中の本放送開始は見送りに。

2006年9月21日 - 専用受信機Prodia PIX-DR050-P00(ピクセラ製)を、評価機として先行発売。

2006年12月8日 - 携帯電話型端末のW44S(KDDI ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズ製)発売。民生品の端末として、初めて発売される。

2007年3月9日 - パソコン接続型チューナーPIX-ST050-PU0(ピクセラ)発売(ただし、ワンセグテレビチューナーの機能の一部)。

2007年6月17日 - 携帯電話型端末の契約台数が100万台に達する[2]

2007年6月27日 - 総務省の情報通信審議会で、VHF7chが自営通信に割り当てられたため、2011年以降の本放送が困難になる。

2008年3月31日 - サービスの方向性の違いから、エフエム東京エフエム大阪が放送休止。

2008年9月29日 - TBSラジオデジタル・文化放送プラスニッポン放送DIGITALにて、地上波AMラジオのサイマル放送開始。

2010年6月30日 - マルチメディア放送の実現を目指し東京での実用化試験放送に人的資源等を一元化するため、大阪での実用化試験放送を終了。

2011年3月31日 - 東京での実用化試験放送を終了。全てのサービスを終了。

計画の変遷
実用化試験放送

デジタルラジオ推進協会免許人・運営者となり、2003年10月10日から東京タワー(800W)と生駒山(240W)から共にテレビVHF7chの周波数で8セグメント使用して放送された。2007年2月19日より東京タワーの出力が800Wから3倍の2.4kWに増力された。
本放送計画
本来の計画

当初の本放送開始は2011年7月25日地上アナログテレビ放送終了後の予定であった。試験放送はVHF帯の4MHz分(東京・大阪地区ではアナログテレビの7chに相当する帯域)を8セグメントに分割しすべてのセグメントを社団法人デジタルラジオ推進協会に割り当てていた。

テレビ兼営の民間放送には、テレビと同じチャンネル番号(リモコンキーID)が割り当てられる可能性もあった。
前倒し計画

地上波デジタル音声放送の本放送開始は本来2011年の地上アナログテレビ放送終了後の予定だったが、海外ではすでにデジタルラジオ放送が開始されていることや2006年度から携帯端末向けデジタルテレビ放送(ワンセグ)が始まることになったため、日本におけるデジタルラジオの普及を懸念し、総務省は2004年9月に「デジタル時代のラジオ放送の将来に関する懇談会」を開催した[3]。そして、2005年5月に懇談会の中間答申で、ラジオも当初の計画を5年前倒しして試験放送を停止し2006年に本放送を始めること、VHFの7chを8個のセグメントに分割しNHKに1セグメントを割り当て残りの7セグメントを全国で1つだけの民間免許主体(マルチプレックス事業会社)が受け持つこと等が報告書としてまとめられた[4]

2005年10月31日、この中間答申を受け、エフエム東京、TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送、J-WAVEの5社が、全国で地上デジタルラジオ放送を提供するマルチプレックス事業会社「マルチプレックスジャパン」の発起人会を設立[5]。2006年には民生用初のデジタルラジオ受信機(KDDIの携帯電話・W44S、2006年12月発売)が登場した。

計画では2006年の東京・大阪に続き、2008年頃までには札幌の一部(札幌は現在7、8チャンネルとも使用されていないため札幌市内の共聴で7、8チャンネルとも使用されており障害対策を考えるサービスエリアは極端に狭くなることが指摘されていた)・仙台静岡の一部(静岡・浜松両地域で放送するものの、静岡市周辺の当初の放送エリアはかなり狭い計画だった)・名古屋広島福岡地区で開始する予定だった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:61 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef