土田浩翔
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土田 浩翔2019年撮影
基本情報
出身地大阪府 大阪市
生年月日 (1959-08-05) 1959年8月5日(64歳)
プロ入会1986年
所属団体最高位戦日本プロ麻雀協会 (2011)



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土田 浩翔 (つちだ こうしょう、本名:土田 興司、1959年8月5日 - ) は、競技麻雀のプロ雀士、麻雀解説者である。現在は最高位戦日本プロ麻雀協会に所属。土田が生み出した独自の戦法土田システムを操る。Mリーグ公式解説者。キャッチフレーズは、トイツ王子。[1]
略歴

1959年大阪府大阪市に生まれる。小学校1年生の頃から麻雀に親しんだ。

小樽商科大学卒業直前に出場した「第3期日刊スポーツアマ最高位戦」において優勝したことがきっかけでプロ雀士を志す[2]

1986年 日本プロ麻雀連盟のプロテストに合格。

1990年 同団体の鳳凰戦トップリーグであるA1リーグに昇級し、準優勝。

1991年 姓名判断を受け、土田浩翔に改名。

1992年 第2回プログランプリに優勝し、タイトル戦初優勝。

1994年 第11期鳳凰戦でリーグ優勝を果たし、連盟最高のタイトル鳳凰位を獲得。

1996年 札幌市に雀荘「夢道場」をオープン(その後経営を譲渡している)。

1997年 第9期麻雀最強戦で優勝。最強位を獲得。

1999年 THEわれめDEポンにプロとして参加し優勝。

2000年 第26期王位戦にて優勝。王位を獲得。

2002年 第3回モンド21杯で優勝。

2005年 第22期十段戦で優勝し十段位を獲得、さらに第22期鳳凰戦でリーグ制覇を成し遂げ鳳凰位を獲得。これにて現鳳凰位・現十段位というG1タイトルの2冠同時戴冠を達成。

2006年 第23期十段戦を制して2連覇。さらに第7回モンド21杯で優勝し再び2冠。この年、日本プロ麻雀連盟から独立し、日本麻雀機構を創設した。

2007年 同年に設立されたRMUに参加。第8回モンド21杯で優勝し2連覇。

2008年 第4回モンド21王座決定戦で優勝。モンド21王座を獲得。これで自身3度目の2冠を達成した。

2010年 RMUを退会。当時理事長を務めていた日本麻雀機構の活動休止。

2011年 最高位戦日本プロ麻雀協会に移籍。

2019年 この年から前年創設されたMリーグの公式解説者を務める。

2022年 YouTubeの公式チャンネルを開設。

改名

土田はプロとなって5年目の春に本名の「興司」から「浩翔」へ改名している。土田によると、タイトル戦でなかなか優勝できずにいた中、師匠の仲澤青龍から紹介された姓名判断師に、「興司」という名を「いつも2番手で終わる名前」と評され、「青希」と「浩翔」を提示された。土田は後者を選択し、その翌年に第2期プログランプリを優勝、タイトル戦初勝利を収めた[3]
雀風

対子・刻子を非常に好み、対子が1つでもあれば七対子を意識すると公言している。順子手になりそうな配牌を平然と崩し、対子手・刻子手に向かう事もある。その雀風のため捨て牌が異様となることが多く、通常の捨て牌読みが効かず土田を苦手としている雀士も多い。また、対子以外にも土田独自の打ち方が様々あり、総称して土田システムになっている。その中でも特に対子に関する打ち方が有名なのでトイツ王子というキャッチフレーズがついた。
土田システム (対子編)

土田曰く、対子に関する理論の原点は土田自身がタンキを好むことにあり、「3シャンテンあたりからシャンテン数が進むに従って、『この先の未来は私自身が決められるんだ!』というワクワク感が好き」なのだという。

土田は、麻雀の手作りにおいて基本に据えるべき手役はピンフ[4]としつつ、以下のように述べている。

「いつもいつもピンフが作れるほどマージャンはヤワなゲームではないのも事実。

ツキが落ちてくればピンフ作りは困難なものとなり、トイツやコーツが否応なしに増えてくることくらい少し打てるものならば皆知っている。にもかかわらずテンパイ形となるとなぜかしら<リャンメン形>にこだわってしまう。私には不思議でならない。」

?土田浩翔(「麻雀が強くなるトイツ理論」(2005年 毎日コミュニケーションズ) p.152より)

誕生のきっかけ

土田によると、トイツに目覚めたきっかけとなったのは流れが悪い中で以下のような手牌を抱えたことであった。

   ツモ    ドラ 

迷う土田は「コーショー、いいことを教えてあげるよ。を切ってごらん!」という"囁き"を耳にし、驚きながらもそれに従った。すると土田の手牌は

   ツモ 

   ツモ 

と変化し、を捨ててチートイツを聴牌。ここで「コーショー。甘いゾ。まだ早いゾ!」という「威厳に満ちた神の声」を耳にし、リーチを見送った後で

   ツモ 

となった。ここで「これだよ、これ!」という声を耳にし、を捨ててリーチをかけたところ、一発でツモ和了した。土田によると、「チートイツ恐るべしを痛切に感じた瞬間だった。そしてその日を境に私はトイツの神様が存在することを信じるようになった」。この出来事をきっかけに、土田はチートイツ作りの「システム」を開発することに成功した[5]
シュンツを捨てる・切り裂く


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