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出典検索?: "土田プロダクション"
株式会社土田プロダクション種類株式会社
本社所在地 日本
東京都練馬区富士見台2丁目5番4号
富士見台第一ビル(1984年時点)
設立1974年
業種情報・通信業
関係する人物土田治(創業者)
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株式会社土田プロダクション(つちだプロダクション)は、かつて存在した日本のアニメ制作会社。 放送動画制作出身の土田治が、オフィス・ユニ(アニメの背景・美術を手掛ける企業、スタジオ・ユニとは別)のスタッフを経て、作画・演出・仕上げを手掛けるアニメ下請制作会社として1974年頃に創立。設立当初は、『ドカベン』等の日本アニメーション作品のグロス請け等を中心に活動していたが、1980年、『がんばれゴンベ』より元請制作を開始した。1982年制作の『さすがの猿飛』以降は、NAS制作作品の実制作を主に手掛けた。なお、本社は1984年時点では、東京都練馬区富士見台2丁目5番4号に所在した「富士見台第一ビル」内にあった(同ビルは、後に撤去され、現存していない)。 1983年から制作に関与した『キャプテン翼』で一躍脚光を浴びるも、経営不振に陥る。『キャプテン翼』と同時進行で制作していた『ハイスクール!奇面組』は、当作の制作スタッフ(茂垣弘道、三沢伸、金沢比呂司、原田一男など)が独立し、立ち上げたスタジオコメットが引き継いだ(制作体制が整うまで、ぎゃろっぷも制作に参加していた)。 その後『キャプテン翼』の放送が終了してからは資金繰りが悪化し、経営が破綻。1986年7月11日に倒産した。 開始年放送期間タイトル備考 公開年タイトル 発売年タイトル
概要・沿革
主な作品
テレビアニメ
1980年4月 - 9月がんばれゴンベ
9月 - 1982年10月おじゃまんが山田くん
10月 - 1982年6月まんがことわざ事典
1982年10月 - 1984年3月さすがの猿飛
1983年4月 - 1984年4月まんが日本史
10月 - 1986年3月キャプテン翼
1984年4月 - 9月らんぽう
10月 - 1985年9月あした天気になあれ
1985年10月 - 12月ハイスクール!奇面組第7話まで制作
劇場アニメ
1981年おじゃまんが山田くん
1985年キャプテン翼 ヨーロッパ大決戦
キャプテン翼 危うし! 全日本Jr.
1986年キャプテン翼 明日に向って走れ!
キャプテン翼 世界大決戦!! Jr.ワールドカップ
OVA
1984年黒い雨にうたれて
1985年酎ハイれもん LOVE30S
制作協力
昆虫物語 新みなしごハッチ(制作協力、制作元請:竜の子プロダクション、共同制作:和光プロダクション、アートスタジオ、1974年)
ゲームセンターあらし(制作協力、制作元請:シンエイ動画、1982年)
科学救助隊テクノボイジャー(パイロット版制作協力[注 1]、制作元請:じんプロダクション、1982年頃)
愛の戦士レインボーマン(制作協力、制作元請:愛企画センター、1982年)
注釈^ 本編はグリーン・ボックスとAICが制作。
関連人物
渡辺はじめ
福本潔
川島彰
小川博司
岡迫亘弘(現:スタジオ・ヴィクトリー代表)
茂垣弘道(現:スタジオコメット代表)
三沢伸(現:スタジオコメット所属)
別府幸司(現:スタジオコメット所属)
一川孝久(現:スタジオコメット所属)
興村忠美(現:スタジオコメット→スタジオエル所属)
山田雄三(馬場健、現:スタジオコメット所属)
金沢比呂司(現:スタジオコメット所属)
竹内昭
関連項目
プロレスの星 アステカイザー
アニメ制作会社一覧
同社スタッフ・OBが独立・起業した会社
現在
スタジオコメット - 制作の茂垣弘道が演出家の三沢伸、アニメーターの金沢比呂司、音響プロデューサーの原田一男らと共に設立。
スタジオ雲雀 - 仕上の光延幸子が設立。
スタジオ501 - アニメーターの小川博司が設立。
スタジオ・ヴィクトリー - アニメーターの岡迫亘弘が設立。
ブリッジ - 制作の大橋千恵雄がサンライズを経て設立。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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