土浦連続殺傷事件
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関係者の実名は、出典のcitation文字列も含めて、厳に記載しないでください。

土浦連続殺傷事件
場所 日本茨城県土浦市
民家および東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線荒川沖駅
日付2008年3月19日(民家)/ 同23日(荒川沖駅)
標的一般人
攻撃手段包丁サバイバルナイフ
死亡者2人(19日、23日に各1人)
負傷者7人(23日のみ)
犯人男K(29歳没)
動機死刑にされたかったから
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土浦連続殺傷事件(つちうられんぞくさっしょうじけん)とは、2008年平成20年)3月19日同23日に、茨城県土浦市で発生した通り魔事件。

男K(犯行当時24歳、2013年に死刑執行)が、持っていた刃物で相次いで人を刺し、2人が死亡、7人が重傷を負った。
犯人の人物像

K・M
生誕
1983年10月13日
東京都
死没 (2013-02-21) 2013年2月21日(29歳没)
東京都葛飾区東京拘置所
死因刑死絞首刑
出身校霞ヶ浦高等学校
職業コンビニエンスストア従業員
罪名殺人罪
刑罰死刑
親外務省職員の父親、パートの母親

標的一般人
死者2人
負傷者7人
収監場所東京拘置所

死刑囚Kは1983年10月13日に生まれ、2013年2月21日に法務省法務大臣谷垣禎一)が発した死刑執行命令により収監先・東京拘置所にて死刑を執行された(29歳没)[1]

Kの一家は、父(公務員)、母(パート勤務)、K、妹、妹、弟の6人家族[2]。幼少期は父の仕事の都合で、上海、次いでニューオーリンズで生活する。小学校は横浜市内の公立校に通うが、この頃から父は仕事が多忙になって家族と触れ合う時間が無くなり、育児は母に任せきりとなる。しかし子供が小さい頃は子煩悩であり、土日には子供たちと触れ合う時間も持っていたが、子供の学力やしつけに関しては厳しい態度をとっていた。Kの子育てについては、小学3年生頃からKに対する期待と実際のKの成長ぶりとのギャップに悩むようになり、小学6年生の時の学習評価は「真面目に取り組むが、限られた時間内での学習が苦手」であった[3]

一方で母は頭の良さを追求する父とは異なり、生きる力、人としての力を伸ばすことを考えて子育てをした。対人関係についての評価も徐々に改善してゆき、人間的な成長がうかがえた[4]。小学5年生の時に土浦市にマイホームを購入し、引っ越す。中学時代はおとなしく控えめな性格で、反抗期はなかった。高校は近くの私立霞ヶ浦高等学校に入学、弓道部ではこつこつ練習に打ち込み、後輩から弓道部でナンバー2と呼ばれる腕前になる。高校2年生の時には全国大会に出場した。しかしこの頃からKの内面に変化が起こってくる。夏ごろから超常現象に興味を持つようになり、部室で座禅瞑想にふけるようになる。この年の沖縄への修学旅行の感想文では(戦争に限らず)人類への敵意をむき出しにした内容であったため、担任からは書き直しを命じられるが、書き直しの文章でも中傷は半分までしか減らなかった。Kは担任に注意された時、「心のままに書いただけ」と答えた[5]

この頃、父から『子どものための哲学対話』(永井均)を買い与えられる。常識を疑い、世界の新たな見方を提示する、という趣旨で書かれた本で、Kが「死刑になるための殺人」を実行するにあたって思想的なバックボーンになったとされている[6]

高校3年生に進級した時は、私立大学文系への進学を希望する。学力では十分に合格しうる状態であったが、9月頃に「大学には興味がなくなった」と、就職希望に転換する。教諭の紹介で市内の和菓子会社に応募するが、面接の予定が会社の判断で工場見学だけで帰された。事件後の面会でKはこのことを大きな挫折と捉えており、紹介した教諭に対して不満を持ち続けていた。また、実際には和菓子会社側から採用を断られたのだが、Kは「自分から面接を受けるのを止めた」、といい続けていた。更に卒業単位が揃わない可能性が出てきて、教諭がレポートでの単位認定などを持ちかけた。しかしKは自暴自棄に「卒業しなくてもいい」と返答して応じず、母に相談しても解決しなかった。最終的には弓道部の友人の説得によって翻意したが、この時期のKは自身のプライドと周囲の現実の折り合いをつけることに苦悩していた。何とか卒業にはこぎ着けたものの、教諭の説得にもかかわらず就職はしなかった。この頃、Kは友人に自殺願望を明かしている[7]

高校卒業後はテレビゲームをしたりマンガを読んだりして過ごしていた。同じころに上の妹や弟も不登校になっており、母も子育てについて迷う時期が続いた。夫は相変わらず多忙で家庭については非協力的で、「学校に余計なことは言うな」とクギを刺すだけだった。Kについては、進学断念や就職、卒業についての騒動についても母に具体的に話すことはなく、母も対応に困り、立ち入った相談をすることは出来なかった[8]。兄弟姉妹間の会話もほとんどなく、上の妹は母に声を聞かせたくないとコミュニケーションは筆談で行うという状態だった。Kも家族とも関わりを避けて食事もひとりでとっていたという。

以降Kは、ゲームを買うための小遣い銭が必要になるとアルバイトを始め、金がたまると辞める、という生活を送るようになる。どこの職場でも勤務評価は良かった。2003年8月に行われたゲームの関東地区の大会で準優勝となる。しかし、Kはやがて生きる目的を見失い、自らの死を望むようになる。そこで、確実に死ぬ手段として死刑を選択し、確実に死刑になるために複数人の殺害を選択した。父の定年退職を控えた2008年1月16日、コンビニのアルバイトを辞める。数日後、近くのホームセンターで文化包丁を、ネットオークションでサバイバルナイフを、デパートでリュックサックをそれぞれ購入した[9]。また、逃走資金40万円を引き出し、変装用のスーツやネクタイを購入した[10]

当初は気に入らなかったKの妹を殺し、次に近くの学校を襲撃する予定であった。3月17日、決意を現すために2台もっている携帯電話の片方からもう片方に犯行声明を送った。18日に決行予定であったが、朝に起きると妹はすでに外出していたため、翌日に決行を延ばした[11]
事件の経緯

3月19日、朝起きたがまたしても妹はいなかった。小学校襲撃を決めてマウンテンバイクで向かったが、丁度終業式で大人が多かったため、失敗を恐れて回避した。中学校や高校も同様であると想定して向かわず、ターゲットを探して住宅街を走らせた。住宅街のうちの一軒のインターホンを押し、出てきた男性(72歳)に自転車の空気入れを借りた。男性から空気入れを受け取ったKは、男性が家の中に戻るために背中を向けたその隙に首筋に包丁を突き刺した。Kは動悸が激しく、そのまま路地を走り抜けた。服に返り血がついていたため一旦自宅へ戻ることにしたが、間もなく救急車のサイレンが聞こえてきたため自転車を回収するのはあきらめて徒歩で自宅に戻った。当初はオズの魔法使いで気に入っていた「OZ」のマークを、連続殺人だとわかるように現場に残す予定であったが、動転して忘れてしまったため、自宅の部屋の壁に赤ペンで描いた。2人目を殺すまでは捕まることを避けるため、自宅で着替えたあと荒川沖駅から常磐線で東京へ向かい、秋葉原の理髪店で丸坊主にし、ビジネスホテルにチェックインした。当日の夕方のニュースで被害者が死亡したのを知り、「死んで良かった」と思ったという[12]

一方、被害者の側では娘がすぐに通報し、現場のマウンテンバイクからKが被疑者として浮上した。Kの自宅に踏み込んだ捜査員は、血染めの服、壁に描かれた「OZ」の模様、携帯電話の犯行声明などから犯人であると断定するに至る。


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