土屋礼央
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土屋 礼央
出生名土屋礼央
別名レオ、レオレオ
生誕 (1976-09-01)
1976年9月1日(47歳)
出身地東京都国分寺市
ジャンルJ-POPア・カペラ
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歌手

作曲家

シンガーソングライター

ラジオパーソナリティ

タレント

著作家

活動期間2001年 -
レーベルトイズファクトリー[1]
事務所ワタナベエンターテインメント

土屋 礼央(つちや れお、1976年9月1日 - )は、日本のア・カペラグループRAG FAIRのリードボーカル、インディーズバンドのZboned Zubon、ソロプロジェクトのTTREで活動するシンガーソングライター
人物

東京都国分寺市出身、東京都立国分寺高等学校卒業。2018年4月1日から国分寺市観光大使を務める[2]。愛称はレオ、レオレオ。名前の礼央はレオナルド・ダ・ヴィンチから父親が命名した。父は日本画家の土屋禮一、母は絵本作家の土屋侑美、祖父は日本画家の土屋輝雄、詩吟を嗜む祖母はタレント新山千春の縁戚[注 1] にあたり、ほかに妹がいる。

当時土屋が所属していた別バンド、ズボンドズボンは衣装としてファーを纏っており、デビュー時からファー(英語版)とサングラスをトレードマークにしRAG FAIRでデビューしているが、これはズボンドズボンの一員だということを表していた。

自らを「体は固いがお客様への対応は柔軟」「夢見る乙女座左利き」と語る。後に『なんだ礼央化ダヴィンチ版』の企画[3] で身体を柔軟に動かした。2017年に右肩が四十肩になり治療をうけ、2019年3月のニッポン放送土屋礼央 レオなるど』の最終回で治ったことを報告。2021年には左肩が四十肩になり[4]、7月にサイレントマニュピレーションの施術を受ける[5]

毎日コミュニケーションズの『Mac Fan』連載で、バスのボタンを押すiPhone用アプリ『次、とまります』の制作に携わる。2009年11月のバージョンアップ版はAKB48柏木由紀が「次、とまります」とアナウンスし、まれに土屋の声でアナウンスする。GPSで測定した移動距離のタクシー料金を表示する『タクシーメーター・リアル』をハドソンと開発して2011年5月27日に配信開始する。2012年8月に配信された『ダアシェリエス』はダウンロード数が累計40万を超えた。
野球

少年時代から埼玉西武ライオンズを愛好して石毛宏典を応援している。西武国分寺線沿線で育ち、小学生の頃からライオンズのファンクラブに入りファンブックを繰り返し読んでいた、1983年広岡監督V2時代からの生粋のライオンズファン[6]。リモコンの"4[注 2]を無効とするほどに、読売ジャイアンツをライバル視し、父の記事が掲載された読売新聞もライオンズファンとして購入しなかった。
2007年6月20日の東京ヤクルトスワローズと西武ライオンズの試合で、西武ひいきで知られる文化放送の『ライオンズナイター』にゲスト出演し、ヤクルトスワローズがチャンスの時に応援団がJITTERIN'JINNの「夏祭り」を演奏することに対抗し、JITTERIN'JINNの曲「プレゼント」を替え歌で披露すると、6回裏、1アウト満塁、代打真中満の場面で「あなたが私にくれたもの、ボテボテ内野のゲッツーよ」と歌うと真中がゲッツーでアウトになり、次の7回、2アウト2塁3塁で青木宣親を迎えて「あなたが私にくれたもの、ファウルで粘るも三振よ」と歌うと青木が三振となり、いつもは冷静に解説する東尾修も興奮した[7]。プロ野球西武戦の放送を行う文化放送『ライオンズナイター』や『NACK5 SATURDAY&SUNDAY LIONS』にゲスト出演することが多い。

2008年9月10日に西武ドームの西武対日本ハム戦で、自ら作詞作曲を手がけた埼玉西武ライオンズサポートソング「全員がヒーロー[注 3]」のお披露目と試合開始前に国歌を独唱した[8]。関係者入口で警備員に「何をしに来ましたか」とたずねられて「国歌を歌う者ですが」と告げて球場に入った[9]。2009シーズンの西武ドーム開幕セレモニーでは、RAG FAIRで国歌斉唱している[10]

2018シーズンから2019シーズンにかけて『LIONS MAGAZINE』でコラムを連載[注 4]。2019年12月からNHK BS1で放送されている『レジェンドの目撃者』で司会進行を務め、球界のレジェンドをゲストに迎えて「目撃者」の証言を元に話を伺っている。

2022年3月より2022シーズン【スカパー!埼玉西武ライオンズ応援団長】に就任[11]。同年4月10日にベルーナドーム特設ステージで行われたトークショー[12]で憧れの石毛宏典と共演を果たした。
サッカー

JリーグFC東京の熱狂的サポーターでSOCIO会員。2009年には『東京中日スポーツ』で月1回程度コラム「トーキョーSOCIO目線」を連載していた。
2011年から2017年までMXテレビF.C. TOKYO魂![注 5]』にメインMCとして出演する。FC東京に向けて書いた曲「エクスポーズ」が2014年3月7日から番組のオープニング曲として使用され、FC東京応援ソングとして周知された。
2012年7月28日には味の素スタジアムで「You'll never walk alone」(通称 ユルネバ) をアコースティック・ギターの弾き語りで歌い上げ、2014年8月2日には味の素スタジアム内青赤横丁特設ステージでエクスポーズを披露した[13]他、様々なイベントで歌われた。

2015年2月13日には著書『熱狂サポーター・土屋礼央が愛するクラブのために全力で妄想するとこうなっちゃうよね FC東京のために200兆円で味スタを満員にしてみた』を出版。2018年にはFC東京のクラブ創設20周年を記念して飛田給駅の列車接近メロディにFC東京の応援歌「You'll never walk alone」と「東京ブギウギ」が導入され、制作を手がけた。
2022年3月には息子の少年サッカーのサポートのため、山梨県石和温泉でサッカー4級審判員の資格を取得している[14]。取得当初は山梨県でのみ有効だったが、その後東京に所属を移し審判をしている。同年5月8日には準公式戦で副審を務めた[15]
年表.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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出典検索?: "土屋礼央" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2022年11月)

2000年 8月19日 RAG FAIRに加入。

2002年12月24日から25日までSHOGOグローバー西川貴教と、ニッポン放送のラジオ・チャリティー・ミュージックソンで番組内コーラスグループ「しぐれに」を結成する。

2005年8月16日からJFNCインターネットラジオなんだ礼央化RADIO!』でパーソナリティを務める。

2008年4月から毎日コミュニケーションズの月刊誌『Mac Fan』で「快発会社 pAple.Inc」を連載する。

2011年6月1日、ソロプロジェクトTTRE(Today Tsuchiya Reinvent Entertainment)として活動開始。

2018年4月1日、国分寺市立cocobunjiプラザ開館記念式典に出席し【国分寺市観光大使】に任命される[16]

同年7月の公演[注 6] をきっかけに本格的に落語を始める。

2020年3月2日、ANA Wonder FLY内にて、クラウドファンディング『「TTRE LIVE?2020年初ライブ!おそらく最後のあけましておめでとう!?」中止お助けプロジェクト』を立ち上げる[注 7]

同年5月23日、YouTubeにて『土屋礼央レオらくごチャンネル おうちらくご』を開設。

同年8月、7月3日に司会進行役として出演した『タモリ倶楽部』「ストリートビューでオンライン撮り鉄! 偶然鉄道フォトコンテスト」が2020年7月度ギャラクシー賞月間賞を受賞した[17]

2022年3月より 2022シーズン【スカパー! 埼玉西武ライオンズ応援団長】に就任[11]
活動
TTRE「TTRE」を参照

2011年6月1日から始動したソロプロジェクト[18]

毎年9月1日の土屋の誕生日付近に開催される『TTRL』をはじめ、全国弾き語りツアー『H.I.S.ツアー』などのライブを行なっている[19]
RAG FAIR「RAG FAIR」も参照

1999年結成、2001年メジャー・デビュー

2011年4月の『That's RAG FAIR??』ツアー最終公演をもって活動休止していたが、2012年12月に再集結し活動を再開した[20]

2020年には配信ライブ『RAG FAIRの音楽室』をスタート[21]

2021年12月19日にデビュー20周年を迎え、『RAG FAIR&INSPi 20周年感謝LIVE?Love is here?』を開催[22]。20周年記念コンテンツとして、2001年12月19日に同日デビューしたINSPiの杉田篤史と新曲を共作[注 8]し、その過程が「hamo-labo」YouTubeチャンネル [1] にて配信された[注 9]。2021年11月3日に完成した楽曲『20/20 ?あなた キミ 僕?』『今しか言えない』を配信リリースした[23]
ズボンドズボン「ズボンドズボン」を参照
落語

2018年、第4回下北沢ワタナベエンタメフェス『志らくに挑戦!はじめての落語 ?座布団に飛び込む 歌手と俳優五人衆!…と、見届け人 志らく?[注 10]』をきっかけに立川志ら乃に師事し、本格的に落語を始める。 出囃子RAG FAIRの「恋のマイレージ」。

2019年は毎月のように寄席に出て新作をネタ下ろししており、2020年2月には土屋礼央作の創作落語『津軽海峡冬景色』を初披露した[注 11]

2020年5月23日、YouTubeにて『土屋礼央レオらくごチャンネル おうちらくご』[2] を開設。自宅で撮影する落語を中心に、師匠との稽古の様子なども定期的に配信[24]。動画編集も自身でしている。

同年7月29日『レオらくご うぇぶ版』に出演の際、雑誌「MONOQLO」での連載の取材でBOSEのFRAMES[注 12] を使用しながら会場入りしてメガネを忘れたのをきっかけに以降落語の時はメガネを外している[注 13]


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