土屋操
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土屋 操(つちや みさお、明治14年(1881年5月1日 - 昭和22年(1947年4月20日)は、山梨県出身の郷土史家。号は節堂。目次

1 略歴

2 著作

3 親族

4 脚注

略歴

山梨県東山梨郡七里村(現・甲州市塩山)に、父「作甫」、母「ただ」の長男として生まれる。明治28年(1895年)4月に山梨県立甲府中学校(現在の山梨県立甲府第一高等学校)に入学し明治33年に卒業とともに早稲田大学に進学し明治37年(1904年)3月に卒業した。

卒業後、山梨県立高等女学校(現・山梨県立甲府西高等学校)に勤務、明治38年12月には一年志願兵として近衛歩兵第2連隊に入隊。除隊後の明治40年5月に甲府市立商業学校(現在の甲府市立甲府商業高等学校)、大正13年5月に山梨県女子師範学校、大正15年10月に山梨県立山梨高等女学校(現在の山梨県立山梨高等学校)に勤務し、昭和15年(1940年)3月の退職後も山梨県立農林学校、山梨県立日川中学校において嘱託講師として勤務するなど、40年にわたり歴史の教員を務めている。

1915年(大正4年)に若尾財閥の三代目・若尾謹之助により企図された「山梨県志」の編纂事業では広瀬廣一や赤岡重樹らと編纂委員として参加する。「山梨県志」の刊行は関東大震災と若尾家の没落により頓挫するが、編纂事業で調査、蒐集された史料は土屋と功刀亀内により「甲州文庫」として集成され、今日に伝わっている。また、土屋は広瀬、赤岡らとともに「山梨県志」の事業を受けて1920年(大正9年)に山梨県により実施された「史跡名勝天然記念物」調査にも参加し、1930年(昭和5年)9月に設立された「甲斐郷土研究学会」にも参加している。
著作

『年代基準甲斐国史解』徴古堂 明治40年(1907年)刊

『歴史地理の甲斐』徴古堂 明治43年(1910年)刊

『悲壮史談 武田落』磯部甲陽堂 大正2年(1913年)刊

『甲斐史』郎月堂 大正4年(1915年)刊

『武田史跡』柳正堂 大正8年(1919年)刊

『趣味の甲斐史』柳正堂 大正13年(1924年)刊

『日本歴史と郷土史との連絡』山梨県 昭和8年(1933年)刊

『国史連絡甲斐郷土史』柳正堂 昭和8年(1933年)刊

『甲斐の勤皇家山縣大弐』柳正堂 昭和18年(1943年)刊

親族

長男:
土屋嘉男(俳優)

脚注

典拠管理

NDL: 00086985

VIAF: 252571701

WorldCat Identities: viaf-252571701



更新日時:2018年12月15日(土)12:04
取得日時:2020/11/23 01:00


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