土器(どき、英語: earthenware)は、粘土に水を加え、こねて練り固めることによって成形し、焼き固めることで仕上げた容器である[1][2][注釈 1]。
土器は、一般に胎土が露出した状態の、いわゆる「素焼き(すやき)」の状態の器であって、陶器、磁器ないしb器に対する呼び名である[3]。登り窯のような特別な施設を必要とせず、通常は野焼きで焼成される[注釈 2]。釉薬(うわぐすり)をかけて作る磁器のように器面がガラス化(磁化)していないため、粘土の不透明な状態がそのまま残り、多孔質で吸水性がある[2][5]。焼成温度は1000℃未満のものが多く、特に600 - 900℃くらいで焼かれることが多い[3][5]。
粘土に水を加えて均質に仕上げた素地(きじ)は可塑性に富むことから、様々に造形され、その器形や文様には民族的・時代的特徴が濃厚に遺り、考古学・歴史学の重要な資料となる[3][5]。ことに文字出現以前の先史時代にあっては、土器様式の変遷によって時代区分の編年作業が行われている[3][5]。日本において、縄文土器や弥生土器などは考古学の研究対象のほか、国宝を含む文化財や美術品として保護・収集の対象となる[6]。
なお、土器は現在でも世界各地で実用民具や土産物として製造されており、日本でも素焼き(テラコッタ)の植木鉢といった園芸用品など[7]のほか、調理器具や飲食器として利用されている[6]。 日本では一般に、粘土を窯で焼かず、野焼きによって600 - 900℃程度で焼いた器を「土器」と称し、1200℃以上で焼いた「陶器」や1350℃以上で焼いた「磁器」とは区別する[1][8]。また、古墳時代より製作が始まった日本の須恵器のように、窯で焼成したものであっても土器よりは高く、陶器よりは低い温度(1000℃以上)で焼成された焼き物は、胎土として使用された本来の粘土の性質が露出しているために「陶器」とみなさず、土器に含めることがある[8]。この場合、須恵器は「陶質土器」と称される[8](朝鮮半島においても、俗に「新羅焼」と称されるやきものの呼称として「陶質土器」の表現を用いる[8])。土器は通常、微小な孔や隙間がたくさんあいた多孔質であり、中に液体を入れると滲出する[1][5]。それに対し、耐熱性の強い素地を用いて1000℃以上の高温で焼き締めた、多孔質でない無釉のやきもの、たとえば備前焼、常滑焼、丹波焼、信楽焼、越前焼の一部などは「b器」(せっき)と称し、日本では中世に盛んに作られた[1][5][9]。現在でも常滑焼は、b器を多く生産していることで知られる[9]。陶器は素地が不透明で吸水性を持ち、原則として釉薬(うわぐすり)がかけられているものを呼ぶ[1]。なお、日本語の「磁器」とは、長石や珪石などの石の粉や骨灰・粘土からなる材料を用い、胎土にはケイ酸分を多く含んで、施釉して高温で焼成することによってガラス化(磁化)が進んだ焼き物の呼称であり、陶器(しばしば「土もの」と称される)とは異なり吸水性がなく、光沢があって、叩くと金属的な澄んだ音がするものを指し、江戸時代初期の肥前国有田をもって嚆矢としている[1][5][10]。 これに対し、中国では、焼き物は「陶器」と「磁器」(現代中国語では「瓷器」)の2つに大別され、一般に「土器」という分類呼称は用いられない。中国では無釉、すなわち、釉薬を掛けない焼き物は焼成温度の高低にかかわらず「陶器」と呼ばれ、漢代の緑釉陶器などのように釉の掛かったものでも、低火度焼成のものは「陶器」に分類される。中国では、胎土のガラス化の程度にかかわらず、高火度焼成された施釉の焼き物が「瓷器」である[注釈 3]。新石器時代において世界各地で製作された、日本語で「彩文土器
土器・b器・陶器・磁器
以下、本項では日本語で「土器」と称される焼き物について説明し、焼き物の種別に関する用語は基本的に日本語の参考文献における表記を用いる。
土器(縄文時代中期の深鉢形土器、新潟県出土)
土器(弥生時代@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}中期[要出典]の壺形土器、東京都出土)
土器(古墳時代前期の壺、土師器、兵庫県出土)
陶質土器(古墳時代の装飾付脚付壺、須恵器、岡山県出土)
b器(南北朝時代の壺、丹波立杭焼)
b器(現代作品、壺、楽焼)
陶器(安土桃山時代の皿、美濃焼「鼠志野」)
陶器(江戸時代(18世紀)の壺、伊賀焼)
磁器(江戸時代(17世紀)の徳利、有田焼・染付「初期伊万里」)
磁器(江戸時代(1675年-1725年)の瓶子、有田焼・色絵「柿右衛門」)
土器誕生の人類史的意義縄文時代草創期の深鉢形土器( 横浜市花見山遺跡出土) 煮炊きの道具として生まれた土器は、当初、丸い底であった。