土偶
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土偶 青森県亀ヶ岡遺跡出土(重要文化財東京国立博物館所蔵)/遮光器土偶の代表例。cf. 一覧での解説

土偶(どぐう)は、最狭義では、縄文時代頃の日本列島[1]作られていた土人形[* 1]を指す[4][5]
定義

この定義上では、的存在(精霊)と思しきも人型であればこれを含む一方、人および人型の存在以外の生物ならびに非生物は含まれないことになり、例えば動物道具をかたどったものは「土偶」ではなく「土製品」(どせいひん)という扱いになり[6]、「動物形土製品」(例:形土製品[7])、「○○形土製品」(例:鐸形土製品[8])などと呼ばれる。ただし、やや広い別の定義では、上述したうちの非生物以外も全て「土偶」と呼んでおり、従って、「人物土偶[9]」「動物土偶[9]」などという名称が用いられるほか、古墳時代に作られた(生物系の)埴輪も「埴輪土偶[9]」と呼ばれている。しかし「埴輪土偶」を過去の名称であると明言する資料もある[4]。要するに、現状における「土偶」の定義はこの点で曖昧と言わざるを得ず、文化庁が文化財指定時に付与する名称でさえ未だに統一されていない。もっとも、動物や非生物を土偶に含めない定義(最狭義)が主流になって久しい。これらの定義上の土偶は、北海道本州四国九州といった日本各地で出土している一方、これらから遠く離れた島嶼部南西諸島など)からは発見されていない。

最広義では、縄文時代や日本列島に限らず、時代地域を問わない世界史上および世界各地における同様の考古遺物を指し[9]、古くは新石器時代まで遡ることができる[10][11][9]。しかし上述の通り、狭義の用語としての「土偶」の曖昧さは、最広義の「土偶」にも反映されてしまう[* 2]

本項では、特筆しない限り、最狭義の「土偶」すなわち「縄文時代頃(※弥生時代等に属する出土物は疑わしく認定されていないが、定義する時点で排除されるべきものではない)の日本列島で作られていた、人および人型の霊的存在を表現したと思しき、素焼きの土製品」について解説し、必要に応じてそれより広義の土偶についても後述する。

なお、材質が土でなくであれば「岩偶」(がんぐう)[12]もしくは「石偶」(せきぐう)[13]と呼び、縄文時代の出土品ではこれも多い[12]。他方、木材による「木偶」(もくぐう)は、縄文時代の出土例は無く、弥生時代以降のものが知られている[14]
概要.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}ギメ東洋美術館フランスパリ)が所蔵する縄文土偶


メトロポリタン美術館米国ニューヨーク市)が所蔵する縄文土偶

世界的には、こうした土製品は、新石器時代農耕社会において、乳房臀部を誇張した女性像が多いことから、通常は農作物の豊饒を祈る地母神崇拝のための人形と解釈されることが多い。ただし、世界史的には、狩猟・採集段階の時代のものとしての類例はあまりない。

日本では、海外の考古学書の翻訳において、"ceramic figurine" や "terracotta (figurine)" の訳語として「土偶」を使用することもある。

縄文土器と同様、土偶も出土地域や時期によって様々な様式のものがある。

現在知られている限りで日本最古級の土偶は、三重県で2箇[15][16]滋賀県で1箇[17]が出土した縄文時代草創期後半のもの、すなわち、粥見井尻土偶相谷土偶である。

次いで上野原遺跡から縄文時代早期の土偶が出土した[18]が、鬼界カルデラの大噴火の影響か九州では後期まで姿を消す事になる。

早期には近畿、関東東部にも広がっている。中期終半には、東北地方を除いてほとんど作られなくなるが、後期には東日本を中心に復興する。

晩期には東北地方亀ヶ岡式文化と呼ばれる文化が発達し、遮光器土偶等、従来のものより、より精巧な土偶が作られるようになった。[19]この亀ヶ岡式文化の土偶が沖縄県の遺跡でも発掘されており、その当時に全国的な交流があったものと思われる。[20]

弥生時代には東北地方を除いてほとんど作られなくなり、同地方でも盛んに作られたのは弥生時代前期までで、中期には衰退する[21]山梨県笛吹市御坂町上黒駒出土/ポーズ土偶(仕草や行為を表象した土偶)の代表例。縄文時代中期。東京国立博物館所蔵。[22][23]

国立歴史民俗博物館千葉県佐倉市)の調査によれば、日本全国の出土総数は15000体ほどである。武藤、譽田(2014)は、18,000点程度としている[24]。出土分布は東日本に偏っており、西日本での出土はまれである。千葉県佐倉市にある吉見台遺跡からは、600個以上の土偶が出土している。また、「土偶とその情報研究会」(八重樫純樹)の調査によれば、全国で約1万1千個程度が資料化され、それから類推して、縄文時代につくられた土偶総数を約3千万個とする説もある[25]秋田県北秋田市伊勢堂岱遺跡出土の板状土偶

現在までに出土している土偶は大半が何らかの形で破損しており、故意に壊したと思われるものも多い[* 3][26]。特に、部の一方のみを故意に破壊した例が多い。そのため、祭祀などの際に破壊し、災厄などを祓うことを目的に作成されたという説がある。また、大半の土偶は人体を大きくデフォルメして表し、特に女性の生殖機能を強調していることから、安産・多産[27]などを祈る意味合いがあったものと推定する説もある。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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