土俵
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この項目では、相撲の競技場について説明しています。土を詰めた袋については「土嚢」をご覧ください。
讃岐国一宮 田村神社 (香川県高松市) の相撲場

土俵(どひょう)とは、土を盛って作る相撲の競技場[1]。本来は米俵を細く加工して土を詰めたものをいうが、相撲では盛土となっている土壇の部分も含めた全体を土俵という[2]

相撲の勝負規定では、原則として、土俵内では足の裏以外の体の一部が砂についた場合、土俵外では砂に体の一部がついた場合に負けとなる[1]。ただ、古く節会相撲やその後の鎌倉時代以降の武人相撲では、相手を投げ倒すか、力士を取り囲む人垣を意味する人形屋(ひとかたや)に押し込んだ者が勝ちとされ、相手を土俵内で倒すか、土俵の外に出すという相撲技の大本が出来上がったのは、勝負の境界線としての円形の土俵が確立する江戸時代以降のことである[1]
構造二重土俵現在の土俵土俵と周囲の各配置相撲競技場全体図

土俵の形状は丸土俵が一般的であるが、四角土俵が用いられたこともあった[3]。丸土俵は「丸芝」、四角土俵は「角芝」あるいは「角土俵」ともいう[3]。例えば岩手県の南部相撲について記した『相撲極伝之書』には、8種の相撲が記載されているが、遊覧相撲や追善相撲には四角土俵が用いられていた[3]岡山県勝央町植月地区では、角土俵による奉納相撲が小学校行事として現在も行われている[4]

また、土俵の盛土は一般的には一段であるが、歴史的には三段の三重土俵(三重丸土俵)や二段の二重土俵(二重丸土俵、蛇の目土俵)も用いられた[2][3]。大相撲でも1931年(昭和6年)4月に二重土俵から一重土俵に改められた[5]

現代の大相撲において本場所で用いる土俵は、日本相撲協会の定める「土俵規定」に基づいて作られる。一辺が6.7メートル(22)の正方形に土を盛り、その中央に直径4.55メートル(15尺)の円が勝負俵(計16俵)で作られ、その円の東西南北4か所に徳俵(計4俵)と呼ばれる、俵1つ分の出っ張りが設けられている。円の外側には正方形の形で角俵(計28俵:各一辺7俵の俵)を配置、その正方形の角には、あげ俵(計4俵:各角にそれぞれ1俵)が配置され、土俵に上がる段のための踏み俵(計10俵:土俵の周りに東・西・南部分に各3俵、北部分に1俵)、南西・南東には力水のための水桶を置く水桶俵(計4俵:各2俵)が配置され、合計して66俵を使用する。俵は6分を地中に埋め、4分を地上に出す。土の硬さは四股を踏んでも足跡がつかない程度とされる。俵の外線が競技上の土俵内外の境界線となる。

勝負俵の内側には若干の砂質の土が撒かれている。力士の足首への負担を減らすなどの安全対策でもある。また、勝負俵の周囲にも円形に砂が撒かれている。これは勝負俵から力士の足が出たかどうか判別する時に砂に足跡が残り、審判が判定を下しやすいためでもある。これを蛇の目(じゃのめ)と呼ぶ[6]

土俵中央には幅6センチメートル、長さ90センチメートルの仕切り線が70センチメートル間隔で2本。エナメル・ペイントで描かれている。この仕切り線も呼び出しが描く。仕切り線は力士たちの取組によって踏み荒らされて剥がれてしまうため、2?3日に一度(1場所当たり5?7回)描き直しの作業が行われる。仕切り線は1928年1月場所から始まったNHKラジオの実況中継にあわせて設けられた。

大相撲の土俵は地面から俵の上部まで60センチメートル、俵を除けば土俵の上から下まで55センチメートルになるように作られているが、土俵の高さが落ちた時の怪我を生むという指摘もある。なお、国技館の土俵下周辺には1954年の9月場所[7]から力士が転落した際の怪我防止としてゴム系のクッション材が敷かれている[8]。九州場所の土俵下は全6場所のうちでもっとも柔らかい素材が敷かれており、国技館よりも幅が広い。土俵の高さと土俵下の安全性については2019年11月場所終了後の記事でも親方衆の間で意見が分かれる。14代二子山は「条件は昔から変わっていない」「(九州場所の場合)東京より幅が広いから、むしろ着地しやすい」と指摘、15代浅香山は「ケガをしない高さで造られている」「ケガをするのは体の鍛え方や基礎運動が足りないから」と証言した。一方、7代立浪は「高さがない方がケガはしないんじゃない」「ケガのことだけ考えるなら、土俵の外をもっと広くしてもいい」と話し、8代安治川は「土俵の高さがあるから、土俵際をうまくつかえる」と主張した[9]

個々の俵(小俵)は米俵を開いて三分の一の細さとし、土を詰めて七か所を縄で結んだものである[2]高砂一門に属する部屋の稽古土俵には、俵を用いない「皿土俵」という形式が採用されている。

俵に太ももを打つことを角界の隠語で「メリケンが入る」という[10]
屋根・房照明機材が並ぶ国技館の吊天井の裏側
相撲開催時以外は天井まで巻き上げられる。

本場所の土俵には神明造の吊屋根があり、四隅から四房が下がっており「屋形」と呼ばれることもある[5]。吊屋根になる以前は四本柱の上にある屋根を「屋形」と呼んでいたが、1952年(昭和27年)の秋場所より四本柱が廃止され吊屋根となった[5]

屋根には紫色の水引幕と赤青白黒の四色の大きなが付いている[5]。後者は四本柱に巻きつけられていた同色の布の名残で、柱の代わりに太い房を吊るようになったものである[11]。四色は五行説に基づくもので、四季や四方角の神を象徴し、東は青色(青房)で青龍、南は赤色(赤房)で朱雀、西は白色(白房)で虎(白虎)、北は黒色(黒房)で亀(玄武)を象徴する[3]。四隅の房は絹糸を寄り合わせて作られ、サイズは2.3メートル、太さが70センチメートル、重さ25キログラムである。

両国国技館の吊屋根は、2本のワイヤーで上下させられる常設式のもので、相撲開催時以外は天井まで巻き上げられる。総重量は照明機材を含めて6.25トン[12]。地方場所の会場(大阪府立体育会館愛知県体育館福岡国際センター)の吊屋根は軽量の組立式で、場所が終わると分解され、各都市の倉庫に収納される。

本場所の屋根の裏には照明機材が備え付けられている。

日本相撲協会では「荒木田土」に統一している。元々は、国技館近くを流れる荒川流域の東京都内でも採れたが、現在の両国国技館では埼玉県川越市で採取された土が使われている。粘性が高く、砂が適度(30%程度)混じっていて滑りにくく、大きな砂利やゴミの混入がないものが選ばれている[13]。これは土を盛ったとき型崩れしにくく、振動にも強いためでもある。総重量はおよそ45トン。

2017年名古屋場所までは年3回の地方場所ではそれぞれ開催地近郊の土を使っていたが、力士会から「滑りやすい」との指摘を受け、同年九州場所以降の地方場所でも川越から大阪名古屋福岡の各会場に輸送して使用される[14]

使用し終わった土は、力士がまく塩を含むため、産業廃棄物として処理される[15]
周辺用具

いずれも呼出が補充などを行う。

水桶 -
力水が入れられている。取っ手の横には力紙が吊るされている。蓋は2枚組となっており、一方の蓋を逆さまにしてもう一方に載せることでできる隙間はタオルを置く場所として使われる。

塩箱 - 縦横50センチメートル、高さ40センチメートルの箱。袋から出した塩をふるいに掛けこの箱に入れ水分を足して整える。東京開催の3場所で使用される塩は伯方の塩(粗塩)[16]

竹籠 - 縦横22センチメートル、高さ11センチメートル、約5キログラムの塩が入る[17]籠。塩箱から塩を取り東西の土俵隅に置く。

土俵作り

本場所で用いる土俵は呼び出しが毎場所手作業で、数日がかりで作る。地方場所では土台部分を含めすべて一から作り、場所が終わればすべて取り壊す。国技館では毎場所作り直すのは表面部分のみであり、土台部分は地下に収納し再利用する。その流れは以下の通り[18][19]
土台作り - トラックで運び込まれた土を盛り上げ、専用の道具でたたき固める。

円描き - 五寸釘コンパスのように用い、円を描く。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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