圜悟克勤
1063年 - 1135年
諡号真覚大師
生地彭州崇寧県(四川省成都市?都区)
宗派臨済宗楊岐派
師五祖法演
圜悟克勤(えんご こくごん、嘉祐8年(1063年) - 紹興5年8月5日(1135年9月14日))は、中国の宋代の禅僧。諡は真覚大師。俗姓は駱。字は無著。彭州崇寧県(四川省成都市?都区)の出身。南宋の高宗から圜悟、北宋の徽宗から仏果の号を賜ったので、圜悟克勤・仏果克勤といい、圜悟禅師、仏果禅師、真覚禅師と敬称される。 幼くして出家し、諸処の高僧のもとで修行し、最後に五祖法演
目次
1 生涯
2 著作
3 伝記
4 関連項目
5 脚注
6 外部リンク
生涯
のち、潭州道林寺、建康府(南京)蒋山太平興国寺、東京天寧寺、潤州金山竜游寺、南康軍建昌雲居山真如院の諸刹に歴住し、昭覚寺・夾山寺・道林寺に住する間に、雪竇重顕の『雪竇頌古』を提唱し、垂示・著語・評唱したものが公案集で名高い『碧巌録』であり、また、『雪竇拈古』を提唱したものが『撃節録』である。
紹興5年(1135年)8月5日示寂。享年73。
門下には、大慧宗杲や虎丘紹隆をはじめ百余人がある。没後、虎丘紹隆と若平によって『圜悟仏果禅師語録』二十巻が編され、子文によって『圜悟禅師心要』二巻が編録された。
大慧宗杲に批判的な道元の『正法眼蔵』に「生也全機現、死也全機現」(全機・心身学道)、「生死去来、真実人体」(諸法実相)、「盤走珠、珠走盤。偏中正、正中偏。羚羊掛角無蹤跡。猟狗遶林空?蹐」(春秋)等圜悟克勤の言葉が多く引用されている。 [ヘルプ]
著作
『碧巌録』十巻
『撃節録』二巻
『圜悟仏果禅師語録』二十巻
『圜悟禅師心要』二巻
伝記
『圜悟禅師傳』
『五灯会元』巻十九
『続伝灯録』巻二五
『嘉泰普灯録』巻十一
関連項目
禅林墨跡
東京国立博物館(国宝「流れ圜悟(圜悟克勤墨跡、印可状)」)[1]
脚注
^ ⇒印可状(流れ圜悟) - e国宝
外部リンク
⇒IRIZ>禅籍データベース>碧巌録
⇒IRIZ>禅籍データベース>撃節録
更新日時:2019年7月27日(土)19:16
取得日時:2019/08/26 17:25