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園まり
別名薗部毬子
生誕 (1944-04-12) 1944年4月12日(80歳)
出身地 日本・神奈川県横浜市
ジャンル歌謡曲、和製ポップス
職業歌手、女優
担当楽器歌
活動期間1962年 - 1994年
2001年 -
事務所株式会社ミュージック・オフィス合田
公式サイトミュージックオフィス合田オフィシャルサイト
園 まり(その まり、本名:薗部毬子〔そのべ まりこ〕、1944年4月12日 - )は、日本の歌手、女優。 神奈川県横浜市出身。1954年10歳で安西愛子に師事しコーラスグループ“杉の子子ども会”を経て、キング児童合唱団へ入団。1956年、本名の薗部毬子名義で、キングレコードから「つゆの玉ころり」で童謡歌手としてデビュー。同時に岸惠子、有馬稲子と共にミシンの広告モデルとしても活動。 元々はクラシックの歌手を目指していたが、1960年11月NET『あなたをスターに』で優勝。1961年4月渡辺プロダクションに入社。1962年5月「鍛冶屋のルンバ」でレコードデビュー。7月フジテレビ『レッツゴー三人娘
略歴
洋楽の日本語カバー「マッシュ・ポテト・タイム」「太陽はひとりぼっち」「女王蜂」「花はどこへ行った」がヒット。1964年「何も云わないで」がNHK”きょうのうた”で放送され、歌謡曲の初ヒットとなる。その後「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」「何んでもないわ」「愛は惜しみなく」 等のヒットも記録し、園まり節と呼ばれる[誰によって?]歌唱法でヒット。また、「夢は夜ひらく」は藤圭子歌唱によるバージョンも存在する。これら3作は同名タイトルで日活で映画化された。『NHK紅白歌合戦』には1963年から1968年まで6回連続出場(1963年の「キューティ・パイ・メドレー」と1964年の「夢みる想い」は、中尾・伊東と三人娘で歌唱)。
1966年 - 1967年マルベル堂のブロマイド売り上げ女性歌手第1位。
その後、ディナーショーや女優としてのドラマ出演などで活動。1990年代に一時[いつ?]、芸能界を退いていたが、芸能活動を再開[いつ?]。2006年に25年ぶりのシングル「2人はパートナー」(原曲:ペ・ヨンジュン主演・韓国ドラマ「初恋」挿入歌)を発売。「逢いたくて逢いたくて」は2007年、映画『歌謡曲だよ、人生は』の第9話(主演:妻夫木聡)の歌に起用された。
2009年3月4日放送、テレビ朝日『徹子の部屋』で、初期の乳がんだったことを告白[出典無効]。2007年に発見したが、翌2008年1月に手術して克服し、早期発見の大切さを訴えた[いつ?]。
2010年4月「アクティブシニア2010」園まりふれあいコンサートinナゴヤドーム、6月「大人の文化祭2010」園まりふれあいコンサート in 長野エムウェーブなどのシニア向けコンサートに出演。
2011年(2011年6月・7月NHK「ユアソング」)「もう一度逢いたくて」発売。
現在[いつ?]はコンサート、人生体験を交えた「語りでつづるライブ」、3人娘コンサートなどさまざまな音楽活動の傍らで、老人ホームなどでのボランティア活動にも取り組んでいる。
近年では2019年8月5日放送の『徹子の部屋』へ、『スパーク3人娘』の伊東ゆかりと二人で共演した[1]。 この節で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。ご存知の方は加筆 #発売日規格品番面タイトル作詞作曲編曲備考
特記事項
東京・練馬の小学校時代、放送部に所属、部史に残る評判の名アナウンサーだった。
全盛期[いつ?]、日劇で開催された『園まりショー』では、ザ・ドリフターズや布施明が前座をつとめていた。
遠藤周作が、著書『足のむくまま気のむくまま」』(文春文庫 1986年)で、園まりファンを公表。
1967年4月に行われた東京都知事選挙では、松下正寿の推薦人に名を連ねた。選挙母体である都政懇談会の機関紙に「都民の本当の味方」とのコメントを寄せた[2]。
おっとりと初々しい雰囲気が人気の一因であったが、作家の小林信彦が放送台本も手掛けていた時代、売り出し中の彼女から、自分が芸能界に向いていないのではないかと相談を持ち掛けられた思い出を後年のエッセイに記している。
2003年、文藝春秋で発表された小説「忌中」(車谷長吉・著)の中に、復活直後の様子が取り上げられている(のちに文庫化)。
ベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」を日本語詞でカバー。レコーディングはされていないが、ステージソングでは欠かせない1曲に。訳詞は大塚彩子に依頼。2011年11月16日に発売された、ベン・E・キングのアルバム「Dear Japan,」に収録された日本語版「スタンド・バイ・ミー」には、園まりヴァージョンの訳詞が採用されている。
音楽作品
シングル
ポリドールレコード
11962年5月10日DJ-1232A鍛冶屋のルンバ訳詞 タカオカンベ
Bベルリンの街角で訳詞 漣健児ハイノ・ガーツェ
21962年7月20日DJ-1235A恋する悲しさ訳詞 タカオカンベJ・ドラン
B私のハートに賭けないで訳詞 青島幸男リンダ・スコット
31962年7月20日DJ-1248Aマッシュ・ポテト・タイム訳詞 タカオカンベシェルダン=ランド
B愛の白夜訳詞 星タカシベレッタ=レオン
41962年9月10日DJ-1262A太陽はひとりぼっち訳詞 タカオカンベジョヴァンニ・フスコ(イタリア語版)
B家へ帰ろうポール・アンカ
51963年2月10日DJ-1309Aグッドバイ・ジョー星加ルミ子H.ウィットスタット
B約束して
61963年4月1日DJ-1332A燃える太陽訳詞 池すすむリギュアル=ボニュファイ東海林修