國松孝次
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この項目では、警察官僚について説明しています。ドイツ文学者については「国松孝二」をご覧ください。

日本官僚國松 孝次くにまつ たかじ
生年月日 (1937-06-28) 1937年6月28日(84歳)
出生地静岡県
出身校東京大学法学部第2類
前職警察官僚外交官
現職認定NPO法人救急ヘリ病院ネットワーク会長
称号法学士(東京大学)
在スイス日本大使
在任期間1999年 - 2002年
警察庁長官
在任期間1994年7月12日 - 1997年3月30日
警察庁次長
在任期間1993年9月10日 - 1994年7月11日
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國松 孝次(くにまつ たかじ、1937年昭和12年)6月28日 - )は、日本警察官僚、元警察庁長官静岡県浜松市出身。目次

1 来歴

2 人物

3 著書

4 國松孝次を演じた俳優

5 脚注

6 関連項目

7 外部リンク

来歴

1937年静岡県生まれ[1]静岡県立浜松西高等学校東京大学法学部第2類(公法コース)卒業[1][2]。大学4年生に肺結核を患ったため、民間企業では採用されず、東京大学剣道部師範から警察試験を勧められて入庁[1]

1961年警察庁入庁[1]。警視庁本富士警察署長、警視庁総務部広報課長、在フランス日本国大使館1等書記官警視庁公安部長、兵庫県警察本部長、警察庁刑事局長などを経て、1993年に警察庁次長。1994年 警察庁長官に就任[2]

1995年、東京都荒川区南千住のマンションで狙撃され(警察庁長官狙撃事件[2][3]、一時危篤状態となったが2ヶ月半後に復帰[4][5]1997年 退官[1]1999年?2002年、在スイス特命全権大使[1]2003年、NPO法人救急ヘリ病院ネットワーク理事長に就任し、2012年から会長を務める[1]

この他、公益財団法人「犯罪被害救援基金」理事長代行、損保ジャパン顧間(非常勤)、日興コーディアルグループ特別顧間(非常勤)、丸紅社外取締役などを務める[6]
人物

1995年3月の警察庁長官狙撃事件で銃撃された経験から、救急医療の大切さを実感し、NPO法人救急ヘリ病院ネットワークの理事長就任依頼を受けた[4]

人々が実感する治安を体感治安という言葉で表現している[7][8]

DNA型鑑定犯罪捜査に導入することに尽力した[要出典]。

息子の國松大介は2008年の宇宙飛行士選抜試験で最終選考まで残っている(ドキュメント宇宙飛行士選抜試験)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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