この項目では、1932年の映画『國士無双』およびそのリメイク作品について説明しています。その他の用法については「国士無双 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
國士無双
左・片岡千恵蔵、右・山田五十鈴。
監督伊丹万作
脚本伊勢野重任
原作伊勢野重任
出演者片岡千恵蔵
山田五十鈴
撮影石本秀雄
製作会社片岡千恵蔵プロダクション
配給 日活
第20回ポルデノーネ無声映画祭 (NFC復元版)
公開 1932年1月14日
2001年10月15日
上映時間84分
21分 (NFC復元版)
製作国 日本
言語日本語
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『國士無双』(こくしむそう、.mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}旧字体:國士無雙)は、1932年(昭和7年)製作・公開、伊勢野重任原作・脚本、伊丹万作監督による日本の長篇劇映画、サイレント映画である[1][2][3][4]。新字体表記『国士無双』[1]。先駆的映画表現が評価され昭和7年度キネマ旬報ベストテン6位を獲得、諧謔と風刺の精神をもつ明朗な「ナンセンス時代劇」として知られ、『赤西蠣太』(1936年)と並ぶ伊丹の代表作であり、サイレント時代の日本の喜劇映画の代表作とされる[5][6][7]。
テレビドラマとして1958年(昭和33年)に1回、1961年(昭和36年)に2回、1966年(昭和41年)に1回(『伊勢伊勢守異聞』)、劇場用映画としては1962年(昭和37年)に『あべこべ道中』(あべこべどうちゅう)のタイトル、1986年(昭和61年)に『国士無双』のタイトルでそれぞれリメイクされている[8][9]。 伊丹万作の旧制中学校時代の後輩で、当時満28歳の伊勢野重任のオリジナル脚本によるデビュー作であり、白川小夜子
略歴・概要『國士無双』(1932年)のスチル写真。左・片岡千恵蔵、右・山田五十鈴。『國士無双』(1932年)のスチル写真。左・片岡千恵蔵、中央・高勢実乗。『國士無双』(1932年)のスチル写真。左・片岡千恵蔵、右・高勢実乗。
成立
本作は、片岡千恵蔵が代表を務める片岡千恵蔵プロダクションが製作、嵯峨野の自社撮影所でセット撮影が行われた[1][2][3][4][6]。当時満27歳であった主演の片岡[16]の相手役・お八重役を務めた山田五十鈴は、日活京都撮影所所属の女優であり、当時満14歳であった[17]。お八重の父・本物の伊勢伊勢守(いせ いせのかみ)演じた高勢実乗は、おなじく日活京都撮影所の所属俳優であり当時満41歳、1915年(大正4年)以来17年の映画界でのキャリアがあった[18]。仙人を演じた伴淳三郎も、同撮影所の所属俳優であり、当時は千恵蔵より若くまだ満24歳であり、本作の出演ののちには東京の大都映画に移籍している[19][20]。角力する武士を演じた中村紅果までが日活所属であり、出演者のなかで片岡千恵蔵プロダクション所属であったのは、瀬川路三郎、沢村寿三郎、香川良介、渥美秀一郎、林誠之助、矢野武男、新人の白川小夜子である[1]。スタッフについては、監督の伊丹、脚本の伊勢野以外では、同プロダクション所属の撮影技師・石本秀雄のほかの人物についての資料もなく、不明である[1][2][3][4]。 本作を配給した日活では、同年の正月映画は、前年12月31日封切、片岡千恵蔵主演の『水野十郎左衛門』(監督清瀬英次郎、製作片岡千恵蔵プロダクション)と、日活京都撮影所のスター大河内伝次郎主演の『御誂次郎吉格子』(監督伊藤大輔)であり、正月第2弾は同年1月7日公開、沢田清
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