国領駅
駅舎(2015年7月11日)
こくりょう
Kokuryō
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所在地東京都調布市国領町三丁目18-1.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度39分1秒 東経139度33分31秒 / 北緯35.65028度 東経139.55861度 / 35.65028; 139.55861
国領駅(こくりょうえき)は、東京都調布市国領町三丁目にある、京王電鉄京王線の駅である。京王中央管区所属。駅番号はKO16。 戦前より運行されていた準急の停車駅であったが、1963年(昭和38年)10月1日ダイヤ改定で準急が廃止されてからは各停のみ停車となっている。 付近の地名である国領町による。「国領」の地名は、武蔵国の国府が管轄する国衙領であったことにちなむ。 島式ホーム1面2線を有する地下駅。新宿方には、地上線からのトンネルが見える。 駅部分は開削トンネルだが駅の調布寄りホーム先端でシールドトンネルへ切替わっている。 番線路線方向行先 当初は京王汎用接近チャイムを使用していたが、調布市からの要望により2021年(令和3年)2月20日に、石原プロモーション関連作品テーマ曲をアレンジしたメロディへ変更している。これは、かつて石原プロが市内に事務所を構えており、当駅がその最寄駅であったことに因んだものである[2][3]。 曲は1番線が『太陽にほえろ!のテーマ』(大野克夫作曲)、2番線が『西部警察メインテーマ』(宇都宮安重作曲)である[2]。メロディは櫻井音楽工房の制作で、編曲は櫻井隆仁が手掛けた[4]。 2022年度(令和4年度)の1日平均乗降人員は31,746人である[京王 1]。京王線の各駅停車のみが停車する駅では最も乗降人員が多い。 近年の1日平均乗降・乗車人員の推移は下表の通りである。 年度別1日平均乗降・乗車人員[5]年度1日平均
歴史
年表
1913年(大正2年)4月15日:国道20号(甲州街道)北側に京王電気軌道(現・京王電鉄)の駅として開設。なお、調布市教育委員会が設置した「京王線旧国領(北浦)駅跡」の碑には、地元の強い要望により一時期北浦駅であったと伝えられている旨の記載がされている。
1927年(昭和2年)12月17日:現在地へ移設。
1944年(昭和19年)5月31日:東京急行電鉄(大東急、現・東急電鉄)が京王電気軌道を吸収合併、同社京王線の駅となる。
1948年(昭和23年)6月1日:東急から京王帝都電鉄が分離。同社の駅となる。
2006年(平成18年)
11月12日:柴崎方上り線を仮線へ切替。
12月3日:柴崎方下り線を仮線へ切替。
2007年(平成19年)3月4日:仮設橋上駅舎・エレベーター使用開始[1]。これに伴い、従来の地下駅舎は使用停止。
2008年(平成20年)
3月16日:下り線切替、単式ホームとなる。
3月27日:当駅地下化工事中に不発弾が発見される。
5月18日:3月27日に発見された不発弾処理のため、京王線がつつじヶ丘 - 調布間で区間運休となる。
7月6日:上り線を切替、島式ホーム1面2線化。旧上りホームは使用停止となり、その後解体された。
2012年(平成24年)
8月19日:地下駅化。
8月26日:ホームドア使用開始。
2013年(平成25年)2月22日:KO16の駅ナンバリング導入。
2021年(令和3年)2月20日:接近メロディを石原プロモーション関連作品テーマ曲へ変更[2]。
駅名の由来
駅構造
のりば
1 京王線下り調布・橋本・京王八王子・高尾山口方面
2上り明大前・笹塚・新宿・ 都営新宿線方面
改札口(2023年4月)
ホーム(2023年4月)
接近メロディ
駅施設
トイレ:ユニバーサルデザインの一環として「だれでもトイレ」を併設。
公衆電話
自動販売機
待合室
エレベーター
エスカレーター
ホームドア:2012年(平成24年)8月26日より使用開始。
利用状況
乗降人員[6]1日平均
乗車人員[7]出典
1955年(昭和30年)8,477
1960年(昭和35年)12,639
1965年(昭和40年)17,679
1970年(昭和45年)16,718
1975年(昭和50年)13,510
1980年(昭和55年)17,968
1985年(昭和60年)20,489
1990年(平成02年)27,08913,329[* 1]
1991年(平成03年)14,150[* 2]
1992年(平成04年)13,929[* 3]
1993年(平成05年)13,948[* 4]
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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