国際連盟
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1945年から現在まで存在する「国際連合」とは異なります。

この項目では、第二次世界大戦前にあった国際機関について説明しています。スポーツ競技に関する国際機関については「国際競技連盟」をご覧ください。

国際連盟
国際聯盟
英語: League of Nations
フランス語: Societe des Nations1939年に定められた半公式旗
国際連盟本部が置かれたパレ・デ・ナシオン(現国際連合ジュネーブ事務局)。
略称LN、LoN、SDN、SdN、連盟(聯盟)
後継国際連合
設立1920年1月10日[1]
解散1946年4月18日[2]
種類国際機関
本部 スイスジュネーヴ
パレ・デ・ナシオン
事務総長初代:エリック・ドラモンド
第2代:ジョセフ・アヴェノル
第3代:ショーン・レスター
主要機関総会
理事会
事務局など
^ ヴェルサイユ条約発効日。
^ 1946年4月12日から開催された「第21回総会」の終了宣言日(4月19日)の翌日。

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国際連盟[こくさいれんめい、国際聯盟(.mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}旧字体:國際聯盟)、英語: League of Nations(LON[1])、フランス語: Societe des Nations(SDN、SdN)]は、第一次世界大戦後の世界平和(英語版)の確保と国際協力の促進を目的として設立された国際組織であった[2][3]

当時のアメリカ合衆国大統領ウッドロウ・ウィルソンの提唱によって結成されたが、モンロー主義によって議会から否決された為にアメリカ合衆国は参加していない(後述)。第一次世界大戦を終結させたパリ講和会議の後、1920年1月10日に発足したが、第二次世界大戦後の1946年4月19日に活動を終了した。
概要

国際連盟規約に記載されている連盟の主な目的は、集団安全保障軍縮によって戦争を防止し、交渉と仲裁によって国際紛争を解決することであった[4]。また、労働条件先住民の公正な扱い、人身売買違法薬物の取引、武器取引、健康、戦争捕虜、ヨーロッパの少数民族の保護などが、この規約や関連条約に盛り込まれていた[5]。国際連盟規約は、1919年6月28日ヴェルサイユ条約の第1編として調印され、1920年1月10日に他の条約とともに発効した。連盟理事会の第1回会合は1920年1月16日フランスパリで、連盟総会の第1回会合は1920年11月15日スイスジュネーヴで開催された。1919年、アメリカ合衆国大統領ウッドロウ・ウィルソンは、連盟設立の立役者としてノーベル平和賞を受賞した。

連盟の外交理念は、それまでの100年間とは根本的に異なるものだった。連盟は独自の軍隊を持たず、第一次世界大戦で勝利した連合国フランスイギリスイタリア日本常任理事国)が決議を執行し、経済制裁を守り、必要に応じて軍隊を提供することとしていた。しかし、大国はそれに消極的だった。制裁措置は連盟加盟国に損害を与える可能性があるため、大国は制裁措置を遵守することに消極的だった。第二次エチオピア戦争の際、イタリア軍の兵士が赤十字社の医療テントを攻撃していると連盟が非難したとき、ベニート・ムッソリーニは「連盟は雀が叫んでいるときには非常によいが、鷲が喧嘩をしているときにはまったくよくない」と答えている[6]

また、人種的差別撤廃提案が否決されるなど、人種問題の解決を果たすこともできなかった。なお、2回目の提案の際、イギリス・アメリカ・ポーランド・ブラジル・ルーマニアの計5名の委員が反対した。

連盟の本部は1920年から1936年まではスイスジュネーヴのパレ・ウィルソン(英語版)に、1936年からは同じくジュネーヴのパレ・デ・ナシオンに設置されていた[注釈 1]パリ家モーリス・ド・ロチルド(英語版、フランス語版)の屋敷シャトー・ド・プレニー(英語版)も、1920年から1939年まで国際連盟の会場として使用された[7]

1934年9月28日から1935年2月23日までの間は、最多の58か国が加盟していた。連盟は、1920年代にいくつかの成功と初期の失敗を経験したあと、最終的に1930年代の第二次世界大戦の勃発を防ぐことができなかった。アメリカ合衆国は連盟に加盟せず、ソビエト連邦は遅れて加盟したあと、フィンランドへの侵攻後すぐに追放されたことで、連盟の信頼性は低下した[8][9][10][11]ドイツ、日本、イタリア、スペインなどは連盟を脱退した。第二次世界大戦の勃発により、連盟は「将来の世界大戦を防ぐ」という本来の目的を果たせなくなった。

第二次世界大戦終了後、国際連合(国連)が1945年10月24日に設立され、連盟が設立したいくつかの機関や組織は国連が引き継いだ。連盟は1946年4月20日をもって正式に解散した。連盟の存続期間は26年であった。
起源
背景ジュネーヴ条約。もっとも初期に制定された国際法の一つ。

「国家間の平和のための共同体」という概念は、初期にはイマヌエル・カント1795年の著書『永遠平和のために[12] で、国家間の紛争を抑制し、平和を促進するための国家連合体の設立を主張した[13]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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