国際連合
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「UN」と「国連」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「UN (曖昧さ回避)」、「国連 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

1920年から1946年まで存在した「国際連盟」とは異なります。

国際連合
各国語表記

United Nations(英語)
Organisation des Nations Unies(フランス語)
Организация Объединённых Наций(ロシア語)
?合国/聯合國(中国語)
Organizacion de las Naciones Unidas(スペイン語)
????? ???????(アラビア語)
国際連合紋章
国際連合旗
ニューヨーク市にある国際連合本部ビル
概要安全保障、経済・社会等の国際協力を目的とする国際機関
略称国連、ONU、UN
代表国際連合事務総長
アントニオ・グテーレス
状況活動中
決議国際連合憲章(1945年6月26日署名)
活動開始1945年10月24日 (78年前) (1945-10-24)
本部 アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン
活動地域 世界
加盟国:世界193か国
公式サイトwww.un.org
母体組織

連合国

国際連盟

下部組織

総会

安全保障理事会

事務局

国際司法裁判所

経済社会理事会

信託統治理事会 など

United Nations
Portal:国際連合
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ノーベル賞受賞者
受賞年:2001年
受賞部門:ノーベル平和賞
受賞理由:より良く組織され、より平和な世界のための取組みに対して[1]

国際連合(こくさいれんごう、UN、ONU; アラビア語: ????? ???????‎、中国語: ?合国/聯合國、英語: United Nations、フランス語: Organisation des Nations unies、ロシア語: Организация Объединённых Наций、スペイン語: Organizacion de las Naciones Unidas)は、国際連合憲章の下で1945年10月に設立された国際機関

第二次世界大戦の勃発を防げなかった国際連盟の様々な反省を踏まえ、1945年10月24日に51ヵ国の加盟国で設立された[2]。主たる活動目的は、国際平和と安全の維持(安全保障)、経済社会文化などに関する国際協力の実現である[2][3]2024年3月の加盟国は193か国であり[2]、現在国際社会に存在する国際組織の中では最も広範・一般的な権限と、普遍性を有する組織である[4]

なお英語表記の「United Nations(ユナイテッド・ネイションズ)」は第二次世界大戦中の連合国(英: the Allies[5]、Allied powers[6][7][8])の別名と同じだが、日本では「国際連合」の訳が一般に使用されている(詳細は名称を参照)。中国語では第一次世界大戦中央同盟国と第二次世界大戦の連合国を「同盟國」、国際連合を「?合国/聯合國」と分けて呼んでいる[9]フランス語でも第二次世界大戦の連合国は「Allies de la Seconde Guerre mondiale[10]」、国際連合は「Nations unies/Organisation des Nations unies[11]」と分けられている。
概要水色は現在の国際連合の加盟国。非加盟国は西サハラパレスチナバチカン市国。なお中華民国台湾)、コソボソマリランド南オセチアアルツァフ共和国アブハジアなどは他の加盟国の領土の一部とみなされている。水色は1945年の設立時の原加盟国、青は原加盟国の保護国や海外領土

国際連合は、第二次世界大戦を防ぐことができなかった国際連盟1919年 - 1946年)の反省を踏まえ、アメリカ合衆国イギリスソビエト連邦中華民国などの連合国(the united nations)が中心となって設立した。1945年4月から6月にかけてアメリカ・サンフランシスコで開かれたサンフランシスコ会議国連憲章が署名され、同年10月24日に正式に発足した。

発足時の原加盟国はイギリスやソビエト連邦の構成国であった一部の国を含めた51か国であった。2023年2月現在、国際連合の加盟国数は193か国で、世界のほとんどの全地域を網羅している。最も新しい加盟国は、南スーダン(2011年7月14日加盟)である[12]

国連の目的は国連憲章第1条に記されており、目的は次の三つである[13]

国際平和・安全の維持

諸国間の友好関係の発展

経済的・社会的・文化的・人道的な国際問題の解決のため、および人権・基本的自由の助長のための国際協力
ニューヨークにある国連本部

これらの目的を達成するため、総会、安全保障理事会、経済社会理事会、信託統治理事会、国際司法裁判所、事務局という6つの主要機関と、多くの付属機関・補助機関が置かれている。加えて、15の専門機関と多くの関連機関が国連と連携して活動しており、全体として巨大かつ複雑な国連システム(国連ファミリー)を形成している[14]

国際連合の本部は、アメリカ合衆国のニューヨークマンハッタン島にある。本部ビルは、オスカー・ニーマイヤーを中心とした建築家国際委員会が設計したが、現在老朽化しており、新館を建築家槇文彦が設計予定である(ただし、国際連合の資金難により計画は滞っている)。そのほか、ジュネーヴなど世界各地に事務所が置かれている。

国際連盟との間には法的な継続性がないものの、国際司法裁判所や国際労働機関(ILO)等の機関を連盟から引き継いでいる。また、旧連盟本部施設も連盟から移管されていて、部分的には継続した組織といえる。
名称公式ロゴ

英語: the United Nations」(連合国)という言葉が初めて用いられたのは、第二次世界大戦中、日独伊の枢軸国と対戦していた26か国がアメリカ合衆国のワシントンD.C.に集まり、1942年1月1日、枢軸国への対決を明らかにした「連合国共同宣言(ワシントン宣言)」においてである。この名称は、前日の1941年12月31日、ルーズベルト大統領がチャーチル首相に提案して同意を得たとされる[15]。戦後の国際的な平和組織の名称としては、前述の通り1943年8月に作成されたアメリカ国務省の案の中で既に使用されていたが、その後、連合国側の構想の中で使用されるようになった。一方のソ連は「世界連邦(せかいれんぽう)」という名称を提案していた。

国際連合の設立に尽力したルーズベルト大統領は、サンフランシスコ会議開幕直前である1945年4月12日に死去した。会議では、「United Nations」という英語は複数形であり国際機構を意味するものとしては不適当ではないかとの意見もあったが、彼に対する敬意を表してこの名称を採用することが合意された。しばらくは文法上の理由からUnited Nations Organization(UNO)という名称も使われたが、次第に使われなくなった[16]

一方、フランス語では「機構」を示す「Organisation」を付してOrganisation des Nations uniesから、「ONU」との略称を用いている。スペイン語(Organizacion de las Naciones Unidas)、イタリア語 (Organizzazione delle Nazioni Unite) も同様である[16]。ドイツ語でも正式名称はOrganisation der Vereinten Nationenであるが、通常は Vereinte Nationen「連合国」を用いることが多い。略称は「UN」が一般的である。

日本においては、戦争中の国家連合の名称としては「連合国」(れんごうこく)、国際機構に対しては「国際連合」(こくさいれんごう)との訳語が一般に用いられてきた。後者を軍事同盟の連合国と区別するために「国際連合」と意訳したのは外務官僚であるとされる[17]。ただし、連合国側も枢軸国の占領時には連合国について "the Allied Powers" と表記しており、"the United Nations" という用語を軍事的な意味で継続して使用する意思はなかった。1944年(昭和19年)10月にダンバートン・オークス会議で発表された「国際連合憲章の原案(「一般的国際機構設立に関する提案」)」を同年12月に外務省が翻訳した際には、既に「国際連合」という訳語が用いられており[18]、その後も国際機構を指す言葉としては戦中[19]から戦後、現在に至るまで使用されている。朝日新聞は、当時条約局事務官で、後に駐英大使を務めた森治樹が名付け親だとする話を報じている[注釈 1]

日本と同様に漢字を使用している中華民国台湾)や中華人民共和国では「聯合國/?合国」が主に用いられている[21]
歴史
設立に至る経緯国際連合の設立に主要な役割を果たした(左から)ウィンストン・チャーチルフランクリン・ルーズベルトヨシフ・スターリンヤルタ会談にて)。

公称では、国連の前身は国際連盟である[22]国際連盟は、1919年、国際協力を促進し、平和安寧を完成することを目的として設立された。しかし、アメリカが参加せず、ソビエト連邦も1934年まで加盟せず、一方、日本、ドイツ、イタリアが脱退するなど、有力国の参加を欠いたこともあって、十分な力を発揮することができず、第二次世界大戦の勃発を防ぐことができなかった[23]

1941年8月、カナダ東海岸ニューファンドランド島沖のプリンス・オブ・ウェールズの艦上で、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領とイギリスのウィンストン・チャーチル首相が会談し、大西洋憲章を提唱した。そこでは、第二次世界大戦後の世界に国際連盟に代わる国際平和機構を創設するとの構想が、抽象的にではあるが既に示されていた[24]。その後、アメリカ国務省の内部で、戦後国際機構の構想が急速に進み、サムナー・ウェルズ国務次官の下に国際機構小委員会が設置され、1942年10月作業を開始して1943年3月には「国際機構憲章草案(英語: Draft Constitution of International Organization)」がほぼ完成していた。コーデル・ハル国務長官がこれを練り直して、同年8月「国際連合憲章(英語: The Charter of the United Nations)草案」を完成させ、ハルは「国連の父」と呼ばれることになる[25][26]

同年7月、イギリスもヨーロッパの安全保障に力点を置いた構想を策定してアメリカに提示したが、アメリカの案は、より世界的な機構とし、安全保障だけでなく経済社会問題も扱うべきだとの考えに基づいたものであった。そして、同年8月にケベックで米英首脳会談が開かれたが、その時点で、米英ソ中の4国が「すべての国の主権平等に基礎を置き、大国小国を問わずすべての国の加盟のために開放される、国際の平和と安全の維持のための一般的国際機構」を創設する必要があるとの、後のモスクワ宣言の草案が既に作成されていた[27]


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