国際連合事務総長の選出
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国際連合事務総長の選出(こくさいれんごうじむそうちょうのせんしゅつ)は、次期国際連合事務総長を選出するプロセスである。ある人物が事務総長の候補者になるためには、国際連合安全保障理事会(安保理)の9か国以上の理事国からの承認票を得なければならず、かつ、いずれの常任理事国からも拒否権を行使されないことが必要である。その後、安保理によって選出された候補者は国際連合総会に勧告され、総会の過半数の承認票が得られた場合に事務総長に任命される。

この選出プロセスは非公式に「選挙」と呼ばれているが[1]、国連では「次期国連事務総長を選出して任命する手続き」[注釈 1]と呼んでいる[2]。安保理から勧告された候補者が総会によって拒否されたことはこれまでになく、次期事務総長は実質的に安保理の選出によって決定されている。
歴史

事務総長の選出を規定する正式な規則はほぼ存在しない。唯一の指針となる文言である国際連合憲章第97条には、「事務総長は、安全保障理事会の勧告に基いて総会が任命する。」とだけ記されている。これは最低限の規定であり、プロセスの詳細は手続き規則や慣習によって補完されてきた。1946年、総会は「安全保障理事会が総会での審議のために候補者を1人だけ勧告し、総会において指名に関する議論を避けることが望ましい」とする決議を採択した[3]

安保理での候補者の選出に対して、常任理事国5か国は拒否権を行使することができる[4]。常任理事国が候補者に拒否権を行使した場合でも、投票は非公開で行われるため、「安保理決議の拒否権行使」とはカウントされない。1981年、中国が過去最多となる16回の拒否権行使をして選考が行き詰まったため、その打開のために安保理は無記名による事前投票(straw poll)を行うこととした[5]:411。この仕組みは、1996年に「ウィスナムルティ・ガイドライン」(Wisnumurti Guidelines)として明文化された[6]
手順

現事務総長の任期が終了する数か月前に、安保理理事国の間で無記名による第一次の事前投票が行われる。投票は、特定の候補者について「奨励する」(encourage)、「落胆する」(discourage)、「意見なし」(no opinion)のいずれかの票を投じることで行われる[6]。第一次の事前投票の投開票は、常任理事国・非常任理事国の票を区別せずに行われる。事前投票の結果によって、その候補者を除外し、新たな候補者を指名することができる。

第二次以降の事前投票は、常任理事国は赤い紙で、非常任理事国は白い紙で投票することで、どれが常任理事国による票であるかを明確にして行われる[6]。常任理事国の票の中に「落胆する」票があった場合、これは本投票での拒否権行使の可能性が高いものとして扱われる。事前投票は、他の候補者よりも「推奨する」票を多く獲得し、かつ、全ての常任理事国の票が「落胆する」票以外である候補者が現れるまで続けられる。その後、安保理は、その候補者を総会に勧告するための本投票を行う。1996年以降は、満場一致で事務総長が勧告されるように、事前投票が行われている[7]

最終段階として、総会において、安保理から勧告された候補者を正式に事務総長に任命する。1950年を除き、これまでの総会では満場一致で事務総長が任命されてきた[5]:404。安保理から勧告された候補者が総会で否決されたことは過去に一度もない。しかし、規定上は、安保理の勧告を覆して総会で否決をすることは可能である。

事務総長の選出プロセスは、しばしば次期ローマ教皇選出のために行われるコンクラーヴェと比較される[8][9][10]。投票は少数の国に限定され、秘密裏に行われ、複数回の投票を経て、簡単に行き詰まるためである。また、投票用紙を燃やして白黒の煙を出すことはないが、事前投票には紅白の紙が使用される。投票は無記名ということになっているが、事前に結果を記者にリークする外交官が必ずいる[8][11]:206-207。常任理事国が事務総長候補者に対する拒否権を持っているように、1903年のコンクラーヴェ(英語版)までは、カトリック大国の君主が教皇候補者に対する拒否権(Jus exclusivae)を持っていた。
候補者の資格

事務総長に就任するための資格は、これまで正式に定められたことはない。しかし、いくつかの慣習的な資格が非公式に定められており、中国とフランスは、資格要件を満たさない候補者に対して拒否権を行使してきた。アメリカとイギリスはその資格要件を認めておらず、資格要件に適さない候補者を支持してきた。

常任理事国の国民は、国連への権力集中を強めることになるとして、これまで事務総長に立候補したことはない[12]
任期の制限

事務総長には、任期が2期までという非公式の制限がある。1981年、中国はクルト・ヴァルトハイムの3期目の選出に16回の拒否権を投じ、ヴァルトハイムは最終的に立候補を見送った。1981年以降、3期目に立候補しようとした事務総長はいない。
出身地域

現事務総長が2期(以上)務めた場合、次期事務総長の選考では、現事務総長と同じ地域グループの候補者は選考段階で除外される。

1976年、中国は西欧人のクルト・ヴァルトハイムに対して象徴的な拒否権を発動した。

1981年、中国はアフリカ出身の候補者を支持し、ヴァルトハイムが最終的に立候補を見送るまで16回の拒否権を行使した。安保理はラテンアメリカ出身の候補者を選ぶことで行き詰まりを打開した。

1991年、アメリカとイギリスは、全ての地域の候補者に対し選考を開放しようと試みたが、中国とフランスはアフリカ出身の候補者への支持を表明した[13]


1996年、フランスの国連大使は次期事務総長を「アフリカ出身者にする」と発言した[14]。他の地域からの候補者を指名しようとしたが、中国がアフリカ以外の候補者に拒否権を行使すると考えた外交官たちによって却下された[15]

2006年、中国は次期事務総長はアジア出身者であるべきだと発言し、アジア出身の候補者全員に賛成票を投じた[16]

英語とフランス語の流暢さ

事務総長は英語フランス語の両方を流暢に話すことができればベストである。過去には、フランス語を話せない候補者に対して、フランスは拒否権を行使するか[17]、投票を棄権した。

1946年、ノルウェーのトリグブ・リーがフランス語を話せないことから、フランスは当初反対したが、他の4つの常任理事国が合意に達したことから賛成に回った[18]。アメリカは、ベルギーのポール=アンリ・スパークが英語が話せないことを問題視し、スパークは総会議長に選ばれた[19]

1971年、フィンランドのマックス・ヤコブソン(英語版)は、フランス語が話せないことを理由にフランスの支持を得られなかった[20]。フィンランド代表団は、1回目の投票でのフランスの拒否権の行使を非難したが、実際にはフランスは棄権した[21]

1991年、次期事務総長の有力候補だったブトロス・ブトロス=ガーリバーナード・チゼロがある会議で同席となった。チゼロは、会話の途中で突然フランス語で話し始め、フランス語の流暢さをアピールした。ブトロス=ガーリは、「彼はフランス語訛りの英語も話せるから、フランスに気に入られるだろう」と冗談を言った。事前投票では、どちらに対しても拒否権は行使されなかった[17]

1996年、フランスの国連大使は次期事務総長について、「アフリカ出身の、フランス語を話せる人になってほしい」と述べた[14]


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