国際連合パレスチナ難民救済事業機関
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国際連合パレスチナ難民救済事業機関
各国語表記

United Nations Relief and Works Agency for Palestine Refugees in the Near East(英語)
Office de secours et de travaux des Nations unies pour les refugies de Palestine dans le Proche-Orient(フランス語)
Agencia de Naciones Unidas para los Refugiados de Palestina en Oriente Proximo(スペイン語)
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UNRWAのロゴ
概要補助機関
略称UNRWA
代表フィリップ・ラッザリーニ(英語版)
状況活動中
活動開始1950年5月
本部ガザパレスチナガザ地区
アンマンヨルダン首都)
公式サイトUNRWA
Portal:国際連合
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国際連合パレスチナ難民救済事業機関(こくさいれんごうパレスチナなんみんきゅうさいじぎょうきかん、英語: United Nations Relief and Works Agency for Palestine Refugees in the Near East、略称:UNRWA、ウンルワ[1]またはアンルワ[2])は、国際連合事業機関の一つで、約500万人のパレスチナ難民に対してパレスチナ国ガザ地区およびヨルダン川西岸地区)、ヨルダンレバノンシリアで活動している。その内容は教育、社会福祉、医療を3本の柱[3]としており、救急援助および人間開発も担っている。
概要

UNRWAは第一次中東戦争を受けた1949年12月8日の国際連合総会決議302 (IV) により設置された。この決議は国際連合総会決議194を補強するものでアラブ諸国イスラエルの支持を受け反対なく(東側諸国および南アフリカ共和国は棄権)可決された[4]1950年5月から活動を開始したが、当初想定された活動期間は3年間だった[5]。しかしその後パレスチナ問題に進展がみられないまま、3年単位で活動期限が更新され続け現在に至っている[5]

UNRWAは難民が人道支援を受けられるように難民の地位の定義を変えるように取組んできた。パレスチナ難民とは、1946年6月1日から1948年5月15日の間にパレスチナに住んでおり、その家と生計を失った者とその子孫であることと定義される。1948年12月11日の国連総会決議194 (III) では帰還権や補償を受けるには適格性が求められるが、UNRWAによるものはそれより緩やかである。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}このためUNRWAの認定による難民は一般の定義の難民認定を受けるかもしれない。[要検証 – ノート]全てのパレスチナ難民はUNRWAに登録され、支援が必要なものはサービス利用者となる。2013年1月1日時点でUNRWAの登録難民は約500万人である。

UNRWAは、58の認められた難民キャンプで援助を行っている[6]。難民キャンプでは1952年までイスラエル領内の避難民にも援助が行われていた。難民キャンプは当初テント村だったものが外見では都市スラムかコンクリートの要塞か分からないものにまで発展した。難民の29%は難民キャンプに住む。UNRWAは認められた難民キャンプ外に住む多くの登録難民にも支援を提供している。あるキャンプが UNRWAに認められるにはUNRWAとホスト国政府の間でキャンプの使用に関する協定が必要となっている。UNRWAは自らで難民キャンプを運営せず、警察権や行政権を持たず、サービスのみを提供する。
組織と運営

UNRWAは国際連合機関の中でも最大の組織であり、総職員は約33,000人を数える[3]。その内の99%はパレスチナ人の現地職員である[7]。本部は、パレスチナのうちガザ地区の中心都市であるガザと、ヨルダンの首都アンマンに置かれている。

UNRWAの予算は年間数億米ドルであり、そのほとんどは支援国が拠出している。ごく一部が国連から提供される。2012年度は6.55億ドルであり、最大はアメリカ合衆国(米国)の2.33億ドル、次いで欧州連合(EU)欧州委員会の2.04億ドル、その他イギリススウェーデンなどが続く。

UNRWAは国連総会の補助機関であり、その権限は3年毎に更新される。
活動

UNRWAの活動は教育、保健、救急、社会福祉であり、マイクロクレジット融資も行っている。
教育

UNRWAは703の学校を運営しており、中東でも最大規模の学校システムとなっており、教師および支援職員は22,885人である。1950年以来パレスチナ難民への初等中等教育の主な提供者である。教育はUNRWAの最大の事業であり、予算の半分と職員の8割近くがこれにあたる。基礎教育は、15歳までに無料で全ての登録難民のこどもが受けることができる。2013年の生徒は約49万人である。UNRWAのカリキュラムはホスト国のものに準拠している。これはUNRWAの生徒がホスト国の地元で成人教育や就職に進むことを可能にし、またホスト国の国家主権的な要求にも適うものである。

1960年代ではUNRWAの学校はこの地域で最初に男女平等を達成した学校となった。40人から50人の過密な学級が一般的であり、UNRWA のほぼ全ての学校は二交代制である。全ての難民のこどもがUNRWAの学校に通うわけではない。ヨルダンとシリアではこどもたちは住居に近いためにその国の学校に通う。UNRWAは合わせて約6,200人の学生を受け入れる9つの職業・技術訓練所と2つの教員養成大学も運営している。
救済、福祉

パレスチナ人の難民社会では男性の稼ぎ手のいない家庭は非常に弱い。未亡人、離婚女性、障害者の父を持つ家庭はおよそ貧困である。UNRWAは、これらの家族に食糧援助、資金援助と保護施設を提供する。
保健

全体で144の診療所を有し、約500名の医師と1,000名近い看護師が携わっている[3]。その内、ガザの診療所は22か所となっている(2019年時点)[3]。なお2010年に清田明宏が保健局長に就任(WHOからの出向)し、アンマンを拠点として現在(2024年3月段階)まで勤めている[8]
活動への障害
戦火による影響

2009年には、イスラエル軍ガザ侵攻による職員死亡を理由に、人道援助活動を3日間、全面停止した。

2023年には、ガザ地区を実効支配するハマースによる対イスラエル奇襲への反撃で、開戦後1カ月でガザ地区駐在の国連職員が100人以上死亡し、同年11月13日に追悼が行なわれた[9]
米トランプ政権での資金拠出停止

2017年12月にドナルド・トランプ米政権がエルサレムをイスラエルの首都と認めたことで、パレスチナとは断交状態に陥り、これに対し米国はUNRWAに対する支援を打ち切った。2017年にアメリカは合計10.5億ドルの支援金のうち3.5億ドル以上を拠出したが、2018年は年初に拠出予定だった1.25億ドルのうち0.65億ドルの支払いを凍結すると1月に発表し、同年9月、トランプ政権は資金拠出の全面中止と、難民と認定されるパレスチナ人の数の大幅削減を要求することも決め、2019年からは資金拠出を完全に停止した[10][11]。2019年6月25日、UNRWAは国連本部で資金調達のための会合を開くが、同末に活動が立ちゆかなくなる可能性があることが報じられた[11]


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