国際通貨基金
各国語表記
International Monetary Fund(英語)
Fonds monetaire international(フランス語)
Международный валютный фонд(ロシア語)
国???基金??(中国語)
Fondo Monetario Internacional(スペイン語)
????? ????? ??????(アラビア語)
シンボルマーク
IMF本部
概要専門機関
略称IMF
代表クリスタリナ・ゲオルギエヴァ
国際通貨基金(こくさいつうかききん、英語: International Monetary Fund, IMF)は、国際連合(国連)の専門機関の一つ。国際金融と為替相場の安定化を目的として設立された。本部はアメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.。2018年現在、加盟国は189か国である[2]。
加盟各国の中央銀行の取りまとめのような役割を負い、国際貿易の促進、加盟国の高水準の雇用と国民所得の増大、為替の安定などへの寄与を目的とする。具体的には、経常収支が悪化した加盟国への融資、為替相場と各国の為替政策の監視などを行っている。世界銀行と共に、国際金融秩序の根幹を成す。 1929年の世界恐慌は世界の経済システムに大打撃を与え、「金本位制」はほとんどの国で放棄された。国際金融や為替を管轄する国際機関は存在せず、これが経済混乱を助長する一因となった。各国間では通貨の切り下げ競争が起こり、一部の国は経済混乱を乗り切るために軍拡と侵略へと走り、第二次世界大戦が引き起こされた。こうしたことから、連合国の戦後構想の一環として、国際金融や為替について各国間の協力と調整を行う国際機関の設立が構想された。この組織をめぐってはイギリスのジョン・メイナード・ケインズの案とアメリカのハリー・ホワイトの案の二つが提出されたが、最終的な組織はホワイトの案に近いものとなった。 1944年7月、アメリカ合衆国ニューハンプシャー州ブレトンウッズにおいて、国際金融並びに為替相場の安定を目的として、国際連合の「金融・財政会議」が開催された。この会議において調印された「ブレトン・ウッズ協定」によって、第二次世界大戦後復興策の一環として、安定した通貨制度を確保するための国際通貨基金の設立が国際復興開発銀行と共に決定され、1945年12月27日に29か国で創設された[3][1]。 1947年3月にIMF協定が発効し、実際の業務を開始した。また、国際連合と協定を結び、国際連合の専門機関となった。一方、ソビエト連邦はブレトン・ウッズ会議には参加したものの結局批准せず、ソ連および社会主義諸国は1949年に経済相互援助会議(COMECON)を設立して「ブレトン・ウッズ体制」の枠外に立つことになった。こうしたことからIMFの本部はアメリカの首都であるワシントンD.C.に置かれることになり、他と懸絶した経済力を持つアメリカの発言権が強い組織となった。 発足当初は外為市場で交換される通貨を物理的に輸送していた。これを見かねた欧州経済協力機構が1950年にヨーロッパ支払同盟をつくった。これは各月末で決済する外為取引用の手形交換制度である。1958年、十分なキャッシュフローを備えるかたちでヨーロッパ通貨協定
沿革
ブレトン・ウッズ体制