国際藻類・菌類・植物命名規約
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国際藻類・菌類・植物命名規約(こくさいそうるい・きんるい・しょくぶつめいめいきやく、: International Code of Nomenclature for algae, fungi, and plants、ICN)は、国際植物学会議 (International Botanical Congress) の命名部会によって、6年ごとの会議で改正される、植物の学名を決める際の唯一の国際的な規範である。同様の任にある国際動物命名規約国際原核生物命名規約とあわせて、生物の学名の基準となっている。通例、改正された規約はその基となった国際植物学会議の開催地の名を冠して「○○規約」と呼ばれる(以下、本項目ではこの表現を用いる)。現在の最新版は2017年深?会議の結果を受けた深?規約(2018年)である。本規約が定めるのはあくまで学名の適切な用法であり、分類学的判断には一切関与しない。

メルボルン規約の前までは、国際植物命名規約(: International Code of Botanical Nomenclature、ICBN)と呼ばれていた。現行の英語名称は大文字で書かれる部分とそうでない部分がある。小文字で書かれた "algae, fungi, and plants"(藻類、菌類、および植物)は、これらの用語が系統群の正式な名称ではないことを示しているが、これらの生物のグループは歴史的にこれらの名称で知られており、伝統的に植物学者真菌学者藻類学者によって研究されてきた。
制定までの歴史

今でこそ、ほとんどの生物に用いられている学名であるが、最初にこのシステム(二名法)を使ったスウェーデン分類学者リンネ(大リンネ)が植物学者であったため、学名の起点は動物より植物の方が古い。

植物においては、命名規約制定当初は一部にリンネの Flora Lapponica(1735年)を起点にすべきだとの意見もあった。しかし現在認められているのは同じくリンネの Species plantarum(『植物の種』初版、1753年)であり、これが植物の命名法の起点の最古である。ほとんどの分類群においてこの書の発行を学名の起点としており、別書が起点に設定されている場合には全てこれ以降の出版である。一方で動物の学名の起点は、リンネの Systema Naturae 10th ed.(『自然の体系』第10版、1758年)とされているので、いずれにしても植物の起点は動物のそれに先立っている。

命名法の国際基準化における最初の試みは、1864年にブリュッセルの第1回植物学年会においてアルフォンス・ド・カンドルが国際規約の草案制作を委託されたことに端を発する。彼は亡き父、オーギュスタン・ド・カンドル1813年に著した Theorie elementarie de la Botanique(『植物学の基本理論』) などを参考に、その仕事を完遂した。

その成果は、3年後1867年にパリでフランス植物協会 (Societe botanique de France) によって開催された、第4回植物学年会において Lois de la nomenclature botanique(Lois、「ド・カンドル法」、「パリ法」などとも略される)[注釈 1]として公布された。これは国際的な植物命名規約としては世界初のものであった。ところが、イギリスドイツアメリカなどの国はこの規約を拒否する。そのため、形だけの国際基準に終わってしまった。

実質的な国際基準としての規約が完成するのは、1905年ウィーンにおける第2回国際植物学会議を待たねばならなかった。この会議上で採択され翌年発行された規則が、現在のものに直接つながる「国際植物命名規約」である。本規則は1867年のド・カンドル法を基本とするものであったが、この時にはイギリス・ドイツを初めとするほとんどの国がこれを受け入れた。一般的にはこれをもって国際命名規約の発行とみなされている。しかしながら、アメリカの学者は意見の相違からこのド・カンドル法を基とした国際規則に反発していた。ついには1904年に採択したアメリカ植物命名規約 (American Code of Botanical Nomenclature) を独自規約とし、ニューヨーク植物園コロンビア大学の研究者が中心となって国際植物命名規約に反旗を翻す結果となった。以後、四半世紀に渡ってこの対立構造は続くこととなる。このアメリカの離反が解消されたのは、1930年ケンブリッジにおける第5回国際植物学会議においてであった。ここまでにおけるアメリカ植物命名規約の国際植物命名規則に対する差異の主な例は以下のようになる。

保存名もしくはそれに相当するものの規定がない。

記載にラテン語が必須でない。

たった一つの模式標本によってタクソンを決定する。

この会議において、国際植物学会議はアメリカ派の主張を盛り込んだ改正を行った。すなわち、例での3番目の点である、「模式標本は単一の標本でなければならない」という条文が国際植物命名規則に加えられたのである。逆に言えば、それまでの国際植物命名規則は複数の標本を模式標本として認めており、むしろ現在の常識に反していたことになる。同時期にすでに模式標本を単一と決めていた動物分類学に対し、「個体」が明確でなく変異の幅も非常に大きい植物の場合、典型的な器官を網羅するためには複数標本もやむを得ないとの判断だったという見方もある。しかし、この点についてはアメリカ派の主張が正しかったというのが現在でも一般的な見解である。

この非常に重要な点での主張が受け入れられたことにより、ラテン語使用などの他の点を譲歩して、アメリカ派は独自規約から国際規約に移行することを承諾した。ここにいたって国際植物命名規則は真に「国際的な規約」となったのである。
改訂の沿革

現在4版までしかでていない動物命名規約に比して、上記のように定期的に開催される国際植物学会議ごとに改定されるため、植物命名規約は改訂版がはるかに多い。慣例として第○版という言い方はほとんどされないが、現行の深?規約は版で言えば第16版となる。

1864年:第1回ブリュッセル年会 - 植物命名法の国際基準化(国際規約の制定)が諮られる。

1865年:第2回アムステルダム年会。

1966年:第3回ロンドン年会。

1867年:第4回パリ年会 - 同年ド・カンドル法発行。


1900年:第1回パリ会議(規約改定なし)。

1905年:第2回ウィーン会議 - 規則発行は同年(第2版:1912年)。

1910年:第3回ブリュッセル会議。

1926年:第4回イサカ会議(規約改定なし)。

1930年:第5回ケンブリッジ会議 - 規則発行は1935年

1935年:第6回アムステルダム会議 - 規約発行は1947年[注釈 2]

1950年:第7回ストックホルム会議 - 規約発行は1952年

1954年:第8回パリ会議 - 規約発行は1956年

1959年:第9回モントリオール会議 - 規約発行は1961年

1964年:第10回エディンバラ会議 - 規約発行は1966年

1969年:第11回シアトル会議 - 規約発行は1972年

1975年:第12回レニングラード会議 - 規約発行は1978年

1981年:第13回シドニー会議 - 規約発行は1983年

1987年:第14回ベルリン会議 - 規約発行は1988年

1993年:第15回東京会議 - 規約発行は1994年

1999年:第16回セントルイス会議 - 規約発行は2000年

2005年:第17回ウィーン会議 - 規約発行は2006年

2011年:第18回メルボルン会議 - 規約発行は2012年

2017年:第19回深?会議 - 規約発行は2018年(印刷版:6月26日、電子版:6月27日)。

また、最近の規約についての簡単な説明を以下に記述する。
ベルリン規約(1988年)
1987年の第14回ベルリン会議を受けて発行 (ISBN 3-87429-278-9)。この規約において初めて植物命名規約の和訳が刊行される (ISBN 4-924876-01-1)。動物分類学では旧規約の萬国動物命名規約が出版された翌年(1906年)には早くも和訳が行われているのと対照的に、植物命名規約の和訳はこの規約の和訳が刊行された1992年まで存在しなかった。
東京規約(1994年)
1993年の第15回東京会議を受けて発行 (ISBN 3-87429-367-X)。和訳は大橋広好訳『国際植物命名規約』津村研究所、1997年 (ISBN 4-924876-03-8)。植物の「門」にも動物と同じく "phylum" の呼称が認められ、これまで言語指定がなかった化石植物の記載にも「英語またはラテン語」でなければならないという限定がなされた。その表紙の色から「紫規約」(purple Code) との通称がある。なお、実際の国際植物学会議は命名部会会議も含めて横浜で行われており、東京ではない。
セントルイス規約(2000年)
1999年の第16回セントルイス会議を受けて発行 (ISBN 3-904144-22-7)。


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