国際興業バス
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この項目では、東京都・埼玉県の国際興業バスについて説明しています。大阪府の国際興業バスについては「国際興業大阪」を、その他の用法については「国際バス」をご覧ください。
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国際興業の乗合バス車両国際興業の高速バス車両国際興業の観光バス車両
2008年7月に観光バス事業を国際興業観光バスへ移管(写真は移管前のもの)。高速バス車両と塗り分けが若干異なる。

国際興業バス(こくさいこうぎょうバス)は、国際興業が経営するバス事業である。東京都および埼玉県内で乗合バス事業を営み、一般路線バス・深夜急行バス高速バスを運行している。また国際興業観光バスとして貸切バス事業も行っている。

運行エリアの各自治体からコミュニティバスの運行受託も行っており、1994年朝霞市内循環バスを皮切りに、1990年代後半から浦和市内循環バス(現:さいたま市コミュニティバス)、日高市内循環バス1996年運行開始、廃止)など、埼玉県内を中心に積極的に展開[1]2000年代には練馬区バス交通実験(現:「みどりバス」北町ルート)、足立区はるかぜ」で都内のコミュニティバスに参入[1]、近年では2010年板橋区りんりんGO」を受託開始している。
概要

乗合バスの営業エリアは以下のとおり(太文字は営業所の所在地の市区町村)。

東京都:
豊島区練馬区板橋区北区新宿区中野区杉並区足立区

埼玉県:戸田市川口市さいたま市北区西区を除く)、蕨市草加市越谷市蓮田市志木市和光市朝霞市新座市

埼玉県飯能地域:飯能市日高市毛呂山町、東京都青梅市

国際興業バスは、上記地域に10箇所の乗合バス営業所と900台以上の車両を有する大手バス専業事業者である。貸切バスについては「国際興業観光バス」を参照

毎年冬にはバスファン向けイベント「国際興業バスまつり」を実施している。1990年代には戸田営業所で開催していたが、2004年からはさいたま東営業所へ場所を移転して開催しており、このイベントのために飯能営業所から車両を移動させるなど、ファンサービスにも積極的に取り組んでいる。

国際興業バスのイラストレーターには、2004年から一貫して藤沢チヒロを起用している。
沿革

この節は大言壮語的な記述になっています。Wikipedia:大言壮語をしないを参考に修正して下さい。(2023年4月)
1936年頃の国際興業バス前身事業者の路線網(東京)

国際興業バスは、1946年(昭和21年)に当時の国際商事が、東京急行電鉄大東急)から、貸切バス事業者の東京観光自動車と、乗合バス事業者の東都乗合自動車を譲受した上で、両社を吸収合併したことで成立したものである[2][3]

ここでは主に乗合バスの沿革について、前身となったバス事業者の歴史を含めて記述する。
前身事業者の統合
板橋自動車

1919年(大正8年)2月19日、板橋自動車が創業[3]。最初の路線として、巣鴨駅 - 地蔵尊前 - 庚申塚 ‐ 板橋駅を開業した[注釈 1]。のちに板橋駅側を志村兵器庫前(現:赤羽車庫付近)まで延伸した。さらに、大塚駅 - 庚申塚、練馬横町 - 上板橋駅 - 豊島園などの路線を開設。1931年(昭和6年)7月5日板橋乗合自動車に商号を変更した[4]。1932年(昭和7年)2月18日に志村(志村坂下) - 赤羽駅 - 志茂七溜(志茂駅付近)間の赤羽乗合自動車商会(1925年(大正14年)3月16日開業)より事業を譲受している。
鳩ヶ谷自動車

埼玉県内では、1916年(大正5年)6月19日[5]に鳩ヶ谷自動車が創業[3]。最初の路線として、鳩ヶ谷 - 川口駅を開業した。のちに北部を西立野(現:埼玉高速鉄道戸塚安行駅付近)および風渡野へ延伸。南部では東京都内に出張所を設けた上で、赤羽駅 ‐ 下十条王子駅の路線を開業。さらに新荒川大橋の開通により、川口駅 - 赤羽駅の連絡経路を設定するなど、岩槻街道周辺を中心に路線を拡充。1932年(昭和7年)には越谷浦和志木など、現在の国道463号周辺における東西方向へ路線を拡充した。

また、北足立郡青木村(現在の川口市青木地区)を中心に蕨駅、鳩ヶ谷を結ぶ青木自動車が1922年(大正11年)12月15日に開業。1933年(昭和8年)7月16日路線は川口駅まで延伸した[6]が、1935年(昭和10年)9月30日鳩ヶ谷自動車に事業を譲渡して解散した[7][8]

川口駅周辺で営業していた川口乗合自動車[3]は通称「銀バス」といい1924年(大正13年)9月21日柳元春平が開業。1929年(昭和4年)6月13日合資会社に[9]1932年(昭和7年)9月25日株式会社にそれぞれ改組して規模を拡大した。東部は千住、西部は笹目経由で、美女木までの路線を有し、川口駅 - 赤羽駅の路線も運行しており、鳩ヶ谷自動車と競合していた。このため鳩ヶ谷自動車は1937年(昭和12年)2月28日[10]、川口乗合自動車を買収[3]して同社の路線を継承した。

1936年(昭和11年)2月15日、京王電気軌道の傘下に入り、これまでの経営陣が退陣して京王系に入れ替わった[11]
中仙道乗合自動車

1923年(大正12年)12月、杉野金市が王志乗合自動車商会を創業[3]。当初は王子駅 - 板橋役場 - 戸田橋の路線を運行していた。1932年(昭和7年)1月10日中仙道乗合自動車株式会社に改組された。

中仙道乗合自動車は経営状況が極めて悪かったため、昭和初期に他社への身売りが検討され、東京大宮乗合自動車を買収先として一度は契約が締結された。ところが同社の将来性に着目した東京横浜電鉄社長の五島慶太が割って入り、契約を破棄した。その結果、一転して1936年(昭和11年)8月24日に中仙道乗合自動車は東京横浜電鉄傘下へ収まることとなった。五島は、中仙道乗合自動車を傘下に収めた勢いをそのままに、埼玉県の中山道周辺で競合していた各事業者を次々に合併・買収していった。1936年(昭和11年)10月に浦和駅 - 蕨駅 - 戸田橋、蕨駅 - 笹目で運行していたワラビ自動車(1924年(大正13年)9月13日設立)を買収して事業を吸収。1937年(昭和12年)5月19日に与野町周辺で営業していた与野自動車(1926年(大正15年)2月26日足立自動車として創業。1927年(昭和2年)6月28日与野自動車に改称。)を合併。同年11月には浦和‐美女木間を運行していた美谷本乗合(1930年(昭和5年)2月28日小川周吉が開業)を買収して事業を吸収した。[12]
そして中仙道乗合自動車は1940年(昭和15年)2月16日、池袋乗合自動車を合併した[3]

池袋乗合自動車[3]は、池袋駅から成増石神井方面に向けて交通の結節点を効率よく結んだ路線網を有する優良会社であった。同社は1925年(大正14年)4月15日[13]大久保暢が池袋 - 成増間を開業させ、1931年(昭和5年)7月20日[14]西武鉄道社長を務めていた山本源太の手により株式会社化したもの。1937年(昭和12年)9月11日[15]に東京横浜電鉄の傘下に入っていた。なお、成増 - 石神井(現:石02系統)は、前身である本橋清(石神井乗合自動車商会名義。1930年(昭和5年)10月10日開業)から1934年(昭和9年)1月19日に引き継いだ路線であった。
東都乗合自動車

1935年(昭和10年)8月10日、京王電気軌道玉川電気鉄道の共同出資により東都乗合自動車を設立[3]。板橋乗合自動車は東都乗合自動車へ全事業を譲渡した[3]

1938年(昭和13年)4月1日、玉川電気鉄道は東京横浜電鉄へ合併された。これにより東都乗合自動車は東京横浜電鉄の関係会社にもなった。同年4月2日には陸上交通事業調整法が公布、1940年(昭和15年)1月31日には陸運統制令が公布され、鉄道・バス事業者の戦時統合が進む。これにより東京横浜電鉄が統合主体のひとつとなり、1942年(昭和17年)5月1日東京横浜電鉄は京浜電気鉄道小田急電鉄を合併して東京急行電鉄に改称。いわゆる「大東急」が成立した。

1944年(昭和19年)5月31日、京王電気軌道も東京急行電鉄へ合併され、東都乗合自動車と鳩ヶ谷自動車も東京急行電鉄が継承した。東都乗合自動車は同1944年12月30日、鳩ヶ谷自動車と中仙道乗合自動車の2社を合併した[3]

東都乗合自動車は以上のようにして、東京都城北地域から、埼玉県中山道・岩槻街道・国道463号周辺に路線を有する事業者となるに至った。
国際興業バスの成立

小佐野賢治自動車産業の将来性に着目し、1940年(昭和15年)5月15日に自動車部品販売会社として第一商会を創業[2]


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