国際法
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国際法(こくさいほう、(: International Law, Law of Nations、: Droit international, Droit des gens、西: Derecho Internacional)とは、国際社会(「国際共同体」: the international community、: la communaute internationale、西: la comunidad internacional)を規律するをいう[1]国際私法と対比させて国際公法(: Public International Law、: Droit international public、西: Derecho Internacional Publico)ともいわれるが、国内法制度における私法公法の関係のように両者が対立的な関係にあるわけではない[1]条約慣習国際法、法の一般原則が国際法の存在形式(形式的法源)とされる[2]。かつては国家間の関係のみを規律する法と考えられてきたが、現代では国際組織や個人の関係や、これらと国家との関係を規律する法と考えられている[1]

朝貢国際関係の主体とする華夷秩序や、江戸時代初期の朱印船貿易は、一般的には国際社会全体を拘束する国際法であるとは見做されていない。
概説

国際法は、オッペンハイムが定義する文明諸国家相互間の関係で、国家行為を拘束する規則または原則の一体である、といわれる。そして国際法は成文化されたもの(条約)と慣習によって成り立つ不文のもの(慣習法)、法の一般原則によって成り立っており、国家および国際機構の行動、そして今日ではこれに加えて、個人の行動(特に、国際人道法国際刑事法)や多国籍企業の行動(特に、国際投資法)も、これによって法的に規律される。
用語

「国際法」という言葉は、1873年箕作麟祥が「International Law」の訳語として考え出し、1881年東京大学学科改正により正式採用されたものである。それ以前の幕末当時には、タウンゼント・ハリスが初代駐日公使となり、日米修好通商条約締結を求めた際に国際法は「万国普通之法」と訳されている。その後隣国清朝でヘンリー・ホイートンの Elements of International Law が『万国公法』と訳されるとそれが国境を越えて流布し、以後しばらく中国や日本では「万国公法」という訳語が「International Law」の訳語として使用された[3]。また、他にも「列国交際法」、「宇内の公法」とも呼ばれていた[4]。また、Law of Nationsは、「国際法」と訳されることがあるが、「諸国家の法」「諸国民の法」などと訳されることもある[5]

フランス語では、「国際法」として、「Droit international public」(国際公法)と「Droit des gens」(万民法)という二つの用語がある。今日では前者が一般に用いられるが、ラテン語の「ius gentium」(ユス・ゲンティウム)つまり万民法に由来する後者は古典的な用語法で、現代では特に人々を念頭においたときに用いられる(例えば、ジェノサイドを"un crime de droit des gens"と表現するものとして、「ジェノサイド条約に対する留保」国際司法裁判所勧告的意見、C.I.J.Recueil 1951, p.23)。ヨーロッパの大学における国際法の講義の名称として、"Droit des gens"を今日でも続けて用いている大学もある。

オランダ語では、 「internationaal publiekrecht」(国際公法)と「volkenrecht/volkerenrecht」(万民法)、「Internationaal recht」(国際法)という呼称がある。

ドイツ語では、「Internationales Offentliches Recht」(国際公法)と「Volkerrecht」(万民法)という二つの呼称がある。

なお、「比較法/比較法学」は、国際法と全く異なる概念である。
発達史
実定国際法の成立

国際法は国家主権の確立によって発展するが、それまでの国際法は「君主間の法」とも呼ばれ、国家を人格的に代表する君主は人間であるために自然法により規制されるという考えによる法体系となっていた。

国際法は16世紀から17世紀のヨーロッパにおける宗教戦争の混乱を経て、オランダの法学者グローティウスや、スペインの神学者であり法学者であったスアレス(Francisco Suarez)、ビトリア(Francisco de Vitoria)らが創始したと考えられている。スアレスによれば、万民法(jus gentium)は慣習法として成立し、それが実定法として国際社会全体を拘束すると考えた。また、グローティウスの『自由海論』は当時の国際法的思考に大きな影響を与えたといわれる。ウェストファリア条約以降、国家間の紛争、通商および外交関係を規律する法として成立、発展していった。
近代国際法の発展

伝統的な「国際社会」(: la societe internationale)は、主権国家の並列状態のみが想定されており[6]、したがって国際法の主体となりうるものは国家のみであった。この基本的な構造はそのため従来的な国際法とは、国家間の合意もしくは不文律のことのみを意味していた。会社などの法人個人は国際法の主体となりえず、せいぜい国家が国際法に関する権利を行使する過程で影響を受ける存在でしかなかった。これはそもそもかつての国際法で紛争を抑制するために定められた国内管轄権に関する事項を規定しない内政不干渉の原則がウェストファリア体制で確立されたことに起因している。
現代国際法への移行

しかし現代では、国際人権法、国際人道法に見られるように、個人も国際法上の権利、義務の主体として位置づけられるようになった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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