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国際協力(こくさいきょうりょく)は、政府間、他国間、あるいは民間で行われる、国境を超えた援助・協力活動のことである。起源は19世紀の赤十字活動などに求められるが、国際的に本格的に実施されたのは1960年代からである。日本の場合、1980年代以降活発に展開されている。 国境を越えた援助活動の原点は、赤十字国際委員会の前身である「5人委員会」(1863年設立)に求めることができる。第一次世界大戦後の1919年にはセーブ・ザ・チルドレン(英国)が誕生し、第二次世界大戦の前後にはOxfam(英国、1942年)、CARE(米国、1945年)、カリタス・インターナショナル
歴史
が設立されている。これらは民間活動として展開されていて、現在の国際協力NGOのルーツである。
国家間の国際協力の起源は1944年のブレトンウッズ会議
に始まる。ここにおいて国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(世界銀行)が設立された。米国は1948年より、戦災で復興が遅れていた欧州に対して復興援助計画(マーシャル・プラン)を実施する。これが国家間の経済援助の原点である。また、1950年には英国が主導して主に旧英国植民地を対象に「コロンボ・プラン」が実施された。政府間や国際組織を通して行われる国際協力は、1960年代の「国連開発の10年(United Nations Development Decade)」によって促進された。1959年、英国のロイド銀行
の頭取であったオリヴァー・フランクスは、イデオロギーと軍事の対立である東西問題に比肩する重要課題として、地球上の北側に位置する先進工業国(Industrial Countries)と南側に位置する開発途上国(Developing Countries、発展途上国ともいう)との大きな経済格差を南北問題として指摘した。南北問題は、戦後次々政治的独立を達成したアジアやアフリカの新興国が、植民地時代の従属的な経済関係によってすぐには経済的自立を達成することができなかったことに起因する。先進工業国と開発途上国の明確な分類の基準があるわけではない。一般に人口1人当たりの所得水準が低く、産業構造が第一次産業に偏った国を開発途上国と呼んでいる。国連、世界銀行、OECDなどの国際機関では、それぞれ異なった定義を用いている。OECDの開発援助委員会では開発途上国の定義をせずに、ODAの対象となる国々をリストに掲載している(DACリストと呼ばれる)。
開発途上国は1960年代までは後進国、低開発国などと呼ばれたこともあったがそれらの用語が差別的であるということで開発途上国に統一された。しかし、その後開発途上国から経済的に発展した新興工業経済地域(NIES)や逆に取り残された後発発展途上国(LLDC)などが出現してきたため、開発途上国という用語の有効性と妥当性について疑問が出された。「南」の国々というような通称が用いられることもある。 「開発」という多義的な用語が、世界規模の経済社会的な格差を是正するための国際間の営為として広く使用されるようになるのは、第二次世界大戦後のことである。とくに、国連総会が1960年代を「国連開発の10年(United Nations Development Decade)」とするように提唱したことから国際的に広く使用されるようになった。国連開発の10年は、その後も10年ごとに改訂されている。当初は各国政府と国連機関が国際開発の担い手であったが、1970年代後半には民間組織であるNGOが国際開発の重要な担い手として登場とした。NGOは住民を主体とする開発アプローチで成果を挙げたことから、1990年代には参加型開発
国際開発の動向
また、それまでの経済開発中心の開発ではなく、社会開発と人間開発を重視するアプローチが注目されるところとなり、国際連合開発計画(UNDP)は1990年より『人間開発報告書』を毎年発行している。社会開発の理念は1994年の世界社会開発サミットにおいて中心的な考え方として採用され、国際開発において重要な理念の1つとなっている。
2000年にはニューヨークにおいて国連ミレニアム・サミットが開催され、2015年までに国際社会が達成すべき課題として「ミレニアム開発目標(MDGs)」が設定された。MDGsには次のような8つの目標が掲げられている。以下の目標のもとに、具体的な18のターゲットが設定されている。 日本の政府開発援助はもともとは戦後の賠償という形で始まり、1954年にビルマとの間に最初の賠償協定を結んでいる。国際協力としては、コロンボ・プランの一環として1958年にインドに対して行われたものが最初である。戦災により疲弊した日本は、1954年から1966年にかけて米国と世界銀行より資金援助を受けていた。この時期は「被援助国」であった。日本政府による本格的な国際協力が始まるのは、1977年の「政府開発援助3年倍増計画」以降である。また、日本の民間協力も1979年をピークとするインドシナ難民問題 OECDの開発援助委員会では、次の3条件に当てはまるものを政府開発援助(ODA、Official Development Assistance)としている。 政府開発援助には2国間援助と多国間援助とがある。多国間援助には国際連合児童基金、国連難民高等弁務官事務所、世界銀行に対して供与される。2国間援助は国と国とが直接やりとりするもので、さらに贈与と政府間貸付に分類される。贈与には無償資金協力と技術協力とがある。 日本においては、ODAの実施機関として国際協力機構(JICA)がある。これまで主に技術協力を行い、専門家派遣、ボランティア派遣、研修生の受入れなどを行ってきた。青年海外協力隊事業もこの一部である。また、無償資金協力の一部の業務も行っている。2003年以後は、JICAは地域におけるNGOとの連携や開発教育の分野でもさまざまな事業を行うようになった。 NGO(Non-Governmental Organizations)という用語は、もともと国連が政府以外の民間団体との協力関係を定めた国連憲章第71条で使用したもので、「非政府組織」や「民間国際協力団体」などとも訳される。 国連経済社会理事会との協議資格をもつ「国連NGO」は社会福祉団体、労働組合、平和団体、婦人団体、青少年団体、経営者団体、宗教団体などが含まれる広範な概念となっている。
極度の貧困と飢餓の撲滅
普遍的初等教育の達成
ジェンダーの平等の推進と女性の地位向上
乳幼児死亡率の削減
妊産婦の健康の改善
HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延防止
環境の持続可能性の確保
開発のためのグローバル・パートナーシップの推進
日本の国際協力
政府開発援助(ODA)
中央および地方政府を含む公共部門ないしその実施機関により、開発途上国及び国際機関に対して供与されるものであること。
開発途上国の経済開発及び福祉の向上に寄与することを主たる目的とするものであること。
供与の条件が特に緩和されたもの(援助条件の緩やかさを示す指標であるグラント・エレメントが25%以上)であること。
NGO(民間国際協力団体)