国鉄EF81形電気機関車
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EF81形電気機関車
あすかを牽引するEF81 107
(2010年8月27日 島本駅
基本情報
運用者日本国有鉄道
東日本旅客鉄道
西日本旅客鉄道
九州旅客鉄道
日本貨物鉄道
製造所日立製作所
三菱電機三菱重工業
製造年1968年 - 1992年
製造数164両
主要諸元
軸配置Bo - Bo - Bo
軌間1,067 mm
電気方式直流1,500 V
交流20,000 V (50/60 Hz)
架空電車線方式
全長18,600 mm
全幅2,900 mm
全高4,221 mm
4,251 mm(EF81 75 - 152、300番台、一部の400番台)[1]
運転整備重量100.8 t(全番台)[1]
台車DT138形(両端)・DT139形(中間)
動力伝達方式1段歯車減速吊り掛け式
主電動機直流直巻電動機
MT52A×6基:EF81 1 - 136、300番台、400番台[1]
MT52B×6基:EF81 137 - 152、500番台[1]
MT52C×6基:450番台[1]
歯車比18:69 (3.83)
制御方式抵抗制御・3段組合せ・弱め界磁[2]
制動装置EL14AS形自動空気ブレーキ
保安装置ATS-S(新製時)
最高運転速度110 km/h
設計最高速度115 km/h[2]
定格速度直流区間 45.7 km/h[2]
交流50 Hz区間 43.2 km/h[2]
交流60 Hz区間 42.1 km/h[2]
定格出力直流区間 2,550 kW[2]
交流区間 2,370 kW[2]
定格引張力直流区間 19,980 kgf (195.94 kN)[2]
交流区間 18,200 kgf (178.48 kN)[2]
備考基本番台のデータ
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EF81形電気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)が1968年昭和43年)に開発した、交流直流両用電気機関車である。国鉄分割民営化後にも、日本貨物鉄道(JR貨物)が1989年平成元年)から追加導入を行った。
概要

異なる方式で電化が進捗した日本海縦貫線において、50 Hzおよび60 Hzの交流電化区間と直流電化区間を直通して走行できる電気機関車として開発され、1969年(昭和44年)の北陸本線糸魚川駅 - 直江津駅間直流電化開業に合わせて営業投入された。1979年(昭和54年)までに156両が日立製作所、三菱電機三菱重工業で製作され、当初想定の日本海縦貫線や常磐線をはじめ、一部仕様を変更した車両が関門トンネル区間の特殊用途にも使用された。1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化では156両全機が東日本旅客鉄道(JR東日本)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・九州旅客鉄道(JR九州)の各旅客会社とJR貨物に承継され、加えてJR貨物では増大する輸送量に対応するため1989年から本形式を再製作した。

本形式の総製作数は164両に達し、後述の問題はあったが(後述と書かれているが、具体的にどのような問題があったのかが記述されていない)汎用性の高さもあって1990年代まで全機が使用され、現在は客車列車の廃止や後継形式の導入により徐々に淘汰されつつある。
開発の経緯

日本海縦貫線の電化は1957年(昭和32年)10月1日北陸本線田村駅 - 近江塩津駅 - 敦賀駅間に始まったが、この電化は1956年(昭和31年)5月に国鉄交流電化調査委員会から出された「交流電化方式は直流電化方式に比し輸送量の多少にかかわらず、投下資本においても、年間経費に置いても、つねに有利である」との答申から従来の直流1,500 Vではなく交流20 kV・60 Hzが採用され、以東も同様の方式で順次電化が進められた[3]。しかし、新潟地区はすでに上越線が直流1,500 Vで電化されていたこと、東京 - 新潟間の輸送密度が比較的高いことから1962年(昭和37年)の信越本線長岡駅 - 新潟駅間は直流電化で開業した[3]

このため1964年(昭和39年)ごろから日本海縦貫線の電化方式は再検討されることとなり全面直流化・交流化なども検討されたものの[3]、まず1964年(昭和39年)2月6日の国鉄第309回常務会で北陸本線は「電源事情および信越線の直流電化方式との関連から」糸魚川駅 - 梶屋敷駅間に交直デッドセクションを設け以東を直流1,500 V電化とすることが決定[3]、続いて1965年(昭和40年)には奥羽本線が同年2月18日の国鉄第316回理事会で既存直流電化区間も含め交流20 kV・50 Hzでの電化が決定[4]羽越本線は同年3月3日の国鉄第342回常務会で羽越本線村上駅 - 間島駅間に交直デッドセクションを設け以南を直流1,500 Vで電化、以北を交流20 kV・50 Hzでの電化とすることが決定し[4]、最終的に日本海縦貫線は3種の方式で電化されることとなった。

このため北陸本線糸魚川駅 - 直江津駅間直流電化開業に備えた機関車は、今後の湖西線開業や奥羽・羽越本線電化に伴う運用を考慮することとなり、国鉄では1967年(昭和42年)から具体的な計画に着手し、以下の5種が検討された[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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