国鉄DD54形ディーゼル機関車
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国鉄DD54形ディーゼル機関車
DD54形32号機
基本情報
運用者日本国有鉄道
製造所三菱重工業
製造年1966年 - 1971年
製造数40両
引退1978年
廃車1978年12月1日
主要諸元
軸配置B-1-B
軌間1,067 mm
全長15,300 mm
全幅2,922 mm
全高4,058 mm
機関車重量約70 t
台車DT131B(動力台車)
TR104(付随台車)
(DD54 1 - DD54 3)
DT131E(動力台車)
TR104A(付随台車)
(DD54 4 - 40)
動力伝達方式液体式
機関V型16気筒ディーゼル機関
85,973 cc
DMP86Z
変速機DW5 (入力1,660 PS)
制動装置DL14A形
自動空気ブレーキ・手ブレーキ
保安装置ATS-S
最高速度95 km/h
定格出力1,820 PS (1,339 kW) / 1,500 rpm
最大引張力16,800 kg
備考製造時期により外観に差異
32 - 37は元空気溜管引き通し装備
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DD54形ディーゼル機関車(DD54がたディーゼルきかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1966年(昭和41年)から設計・製造した液体式ディーゼル機関車である。
概要

亜幹線の無煙化を推進するため、すでに登場していたDD51形DE10形の中間を担う客貨用機関車として製作された。

新三菱重工業にて1962年(昭和37年)に試作したDD91をベースとし、1966年に3両が試作機として製造された。その後、1968年(昭和43年)から1971年(昭和46年)までの4年間に37両が量産車として製造された。

エンジンや変速機などの主要機器は三菱重工がライセンス契約を結んだ西ドイツメーカーの提携品を使用していたが、度重なる機器類のトラブル発生からいずれの車両も法定耐用年数(18年)を終えず運用を離脱した。結果、失敗機関車との烙印を押され、国鉄の資産運用について国会で質疑応答が行われる事態にまで発展した。

製造は全車三菱重工業が担当しており、製番は順に1389 - 1391・1485 - 1489・1631 - 1640・1738 - 1744・1750・1751・1753・1765 - 1776となる。製番が細分化されたのは、当時の三菱重工業三原製作所が国鉄向けの他形式の機関車も国鉄から受注・生産していたため[注 1] であり、欠落部分の番号の大半はそれらに割り当てられている。
構造
車体参考:ドイツ連邦鉄道216形(旧V160形)。1,900 PS級のマイバッハ社製エンジンとこれに対応した液体式変速機に加え、蒸気発生装置を搭載、車体上半分を内傾させた断面を持つ独特の車体デザインなど、機構・外形共にDD54形に大きな影響を与えた形式の1つ。

車体は前後に運転台を配した「箱形」[注 2] である。試作車にあたるDD91形ではいわゆる湘南形の2枚窓構造の運転台を備えた構造・形状であったが、本形式に先行して設計・製造されたED72形ED73形交流電気機関車および新幹線911形ディーゼル機関車と同様に窓下を突出させた「くの字」状の前面形態が採用され、車体断面も側板の上半分を内側に傾斜させた、ヨーロッパ調の独特のデザインとなっている。

総括制御による重連運用を考慮していないため正面貫通扉は装備せず、総括制御に必要な釣り合い管や制御用ジャンパ線受などを設置していない。

製造時期により外観は前灯の位置と前面窓の形状が異なるほか以下の相違点がある。
DD54 1 - 3(量産試作機)
ステンレス窓ガラス支持・前灯窓上・サイドエアフィルター形状・動輪輪芯形状
DD54 4 - 24[注 3]
ステンレス窓枠・前灯窓下・連結器解放テコ先端形状・砂箱形状
DD54 25 - 40
窓ガラスHゴム支持・前灯窓下・車体溶接構造の変更

大別で上述3タイプ、各部仕様で細分すると1 - 6次車に区分される。
主要機器

西ドイツのメーカーからのライセンス供与を受けて製作されたエンジン・変速機を搭載するが、動力台車や蒸気発生装置、それにブレーキシステムは同時期製作のDD51形や、DE10形などとの部品の共通化が図られている。

なお、ライセンス生産となったエンジンや変速機については契約上、日本側での設計変更や改造は認められておらず、あくまで製造のみが認められていた。この契約事項が同機関車の運命を決定づける要因になった。
動力台車

本形式は軸重上限の低い亜幹線での使用を前提とし、動軸重軽減のため軸配置を B-1-B とした。参考:DE10形用DT131E台車

一般的なアウトサイドフレーム(外側台枠)式の軸ばね台車を装着していたDD91形とは異なり、2軸インサイドフレーム(内側台枠)式台車であるDT131B(DD54 1 - DD54 3)あるいはDT131E(DD54 4 - DD54 40)を装着する。

これらは1965年設計のDD53形用DT131の派生機種にあたり、最終減速機の歯数比も、本形式と同じ1966年に設計されたDE10形試作車(DE10 1 - 4)用DT131Cと同じ4.482となっているなど、極力他形式と共通の部品を採用することで保守の合理化を図っている。

なお、量産車が装着するDT131Eは、DE10形基本番台(DE10 5以降)および500番台などに採用されたものと全く同一品であり、試作車もDD54 2は後述する脱線転覆事故での修理に際し事故で破損した1位側台車をDT131Eに交換している[1]
中間台車

2台の動力台車の間にTR104(DD54 1 - 3)あるいはTR104A(DD54 4 - 40)と呼称する、リンク機構により横動を許容される構造の1軸中間台車を装着する。量産車は、試作車用のTR104で台車装架であったATS車上子が車体床下装架に変更になった事に伴う設計変更を反映したものである。この中間台車の装着により、本形式は自重約70 tの大型機でありながら軸重は約14 tに抑えられ、4級線への入線が可能となっている。
機関・変速機

使用予定線区の実輸送量に鑑み、DD51形よりやや出力を抑えた設計もDD91形から継承された。

搭載機関は西ドイツマイバッハ社(Maybach=現・MTUフリードリヒスハーフェン)設計によるMD870を三菱重工業がライセンス生産を行ったDMP86Z[注 4]、液体変速機は爪クラッチを介在させた4段変速機構をもつDW5で、マイバッハ社のMekydro(メキドロ)K184Uのライセンス生産品である。この変速機構のため、力行中の変速進段時に一旦エンジン回転数が下がる変速音を発しながら加速するという独特の走行音であった。なお、1次車でシリンダーの水漏れトラブルが発生し、その対策をしたことから2次車の落成が遅れた。
ブレーキ

同時期の国鉄ディーゼル機関車で標準となっていた、DL14Aブレーキ装置を搭載する。
蒸気発生装置

旅客列車牽引運用への対応として、全車が列車暖房用蒸気発生装置(SG)を搭載する。

SGはDD54 1 - 3がDD51形初期車と共通のSG4、DD54 4 - 24がこれを改良して蒸気発生量を増大させたSG4A、そしてDD54 25 - 40がSG4Aを完全自動運転方式に改良したSG4A-Sをそれぞれ搭載する。

いずれも同時期製造のDD51形に搭載されたものと同一設計品で、縦型水管式ボイラーを備える機種である。
改造工事

1968年(昭和43年)6月28日、山陰本線鳥取 - 湖山間の岩吉踏切付近で、急行「おき」を牽引中だったDD54 2の推進軸ユニバーサルジョイント)が突如破損落下し、横転する事故が発生した。続く1969年(昭和44年)11月にも、山陰本線浜坂 - 久谷間の勾配力行中などのDD54 11、14が、落下した推進軸を原因とする床下からの出火事故を起こした。全般検査から間もない時期にも関わらず推進軸に起因するトラブルが続発したことから、福知山機関区では一斉点検を行いつつ同年12月以降鷹取工場へ順次入場、推進軸の強化や脱落防止加工を施工した[注 5][2]


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