国鉄DD16形ディーゼル機関車
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国鉄DD16形ディーゼル機関車
DD16 11号機
基本情報
運用者日本国有鉄道
製造年1971年 - 1975年
製造数65両
消滅2021年12月27日
主要諸元
軸配置B-B
軌間1,067 mm
全長11,840 mm
全幅2,805 mm
全高3,925 mm
機関車重量48.0 t
台車DT113H
軸重12.0 t
動力伝達方式液体式
機関V型12気筒ディーゼル機関
61,070 cc
DML61S / DML61Z
変速機DW2A
最高運転速度75 km/h
定格出力800 PS / 1,330 rpm
最大引張力14,400 kgf
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DD16形ディーゼル機関車(DD16がたディーゼルきかんしゃ)は、1971年(昭和46年)に登場した日本国有鉄道(国鉄)の小型液体式ディーゼル機関車である。
概要

ローカル線簡易線)機関車の無煙化を目的として、1971年から1975年(昭和50年)にかけて国鉄長野工場(現・長野総合車両センター)・日本車輌製造川崎重工業大阪工場で[1]65両が製造された。

当時、国鉄はディーゼル機関車による無煙化を進めていた。しかし、軌道構造の弱い線区では軸重が12 tに制限されているので、DD13形DE10形は入線できないか、たとえ入線できても大幅な速度制限を受けたため、蒸気機関車C12形C56形が依然として運用される結果になった。そこで、これらの線区に残存した蒸気機関車の置き換え用として開発されたのが本形式である[2]

搭載されている機器はDD51形、DD13形、DE10形等と同一のものか、もしくは使用されているものを多少改造して搭載した。これは、既存の使用実績のある機器を採用することによって製造費の低減や部品共通化、保守共通化による保守費の抑制を目論むとともに、現場への導入をしやすくしたものである。
構造DT113H形台車

車体はDE10形をさらに短くした凸型の外観をしている。エンジンを搭載する側のボンネットが長く、運転室が中心からずれたセミセンターキャブのデザインとし、車体や台車等の軽量化によって運転整備重量48 t(軸重12 t)を実現している。

車両の一端に大型のエンジンを載せているが、その反対側に重量物を設置してバランスを取ることができないため、運転室を車端に寄せるとともにその床下に燃料タンクを配置し、短いほうのボンネットの中は機器室として機関予熱器、蓄電池箱、制御器箱などを収めて軸重不均衡への対策としている。

台車はDD13形85号以降で用いられたDT113を軽量化したDT113Hを採用した。エンジンは出力不足の初期不調が相次いだDD51形1-19号機に搭載されていたエンジンを載せ替えて余った狭幅クランク軸受けのDML61S機関の出力を1,000 PSから800 PSに落とした上で再活用、またはDD51形20号機以降と同じインタークーラー付のDML61Z機関の出力を1,100 PSから800 PSに落とした上で搭載している。液体変速機はDD51形と同じDW2Aであるが、使用線区の最高速度等の面から減速比を大きくして搭載した。DW2Aは出力軸を1方向または2方向に出すことが選択可能な設計[3]で、DD51形ではこのうち1軸を使用し1台車を駆動、本形式では2軸を使用し2台車を駆動する。

なお、投入路線の輸送規模や運用形態も勘案して非重連仕様とされ、簡易線の旅客列車は気動車に置き換えられていたことから基本的には旅客列車での使用は考慮せず、列車暖房用蒸気発生装置 (SG) も搭載されていない。空気ブレーキ装置はセルフラップ式でDE10形とほとんど同じであるが、非重連形であるので、重連用の機器を取り外して使用している。2基ある運転席はDE10形をモデルとした左側マスコンハンドル、右側ブレーキハンドルの操作系であるが、ローカル線での長時間運行も考慮して、操作卓左側が途中から45度手前に折れ曲がった準L字形の本線入換折衷型ともいえる運転台を採用し、乗務員が前方を向きやすいような配慮がなされている。
番台区分
0番台鹿児島運転所の62号機(1998年)

1971年から1974年にかけて65両が製造された。製造は7次にわたり、その都度各部にモデルチェンジが行われている。日本全国に配置されたため、DD51形やDE10形同様に寒地向け・暖地向けで仕様に相違点がある。

1号機と2号機は国鉄長野工場で製造されたが、国鉄工場で機関車が製造されるのは実に30年ぶりで戦後初、ディーゼル機関車としては初めてのことであった。運転整備重量は50 t(軸重12.5 t)である。昭和46年度第3次債務車の11号機以降は、設計変更により運転整備重量が48 t(軸重12 t)で落成した。昭和48年度第1次債務車の25号機以降は、車両番号表記が切り抜き文字からナンバープレートに変更された。
300番台大糸線で運用される303号機(1991年)

1979年から1983年にかけて、飯山線および大糸線用として、2・5・4・13号の4両が両端に脱着式の単線ラッセル式除雪ヘッドを取り付け可能なタイプに改造され[4][5]、それぞれ301 - 304号として300番台に区分された。ラッセルヘッドは、DD15形のようにラッセル装置を機関車本体に取り付けると軸重が過大となり、またDE15形の着脱式ラッセルヘッドも軸重が13 tと簡易線乗り入れ規格を上回っていたため、ラッセル車キ100形を近代化させたような新設計のボギー式ラッセルヘッド車両を別途製作し、これを機関車本体の前後に連結する方式を採用した。これにより、全長は約36 mにも達する。なお、300番台への改造に際し、ラッセルヘッドから機関車本体を遠隔制御するための改造もあわせて行われ、車端部に制御回路を引き通すジャンパ栓が増設された。

最後まで稼働していたのは、富山地域鉄道部富山運転センター所属の304号機(糸魚川運転センター常駐)であった。304号機は単線仕様であり、大糸線糸魚川駅 - 南小谷駅間の除雪を担当していた。304号機は2015年をもって廃車となり、同年8月に津山まなびの鉄道館に収蔵された[6]
運用

投入時はC12形・C11形やC56形を置き換えて地方ローカル線の無煙化に貢献したが、1970年代後半から国鉄ではローカル線の貨物輸送廃止を推し進めたため、次第に使用線区も減少していった。そして1982年11月15日国鉄ダイヤ改正以降から、本形式しか入線できない簡易線規格のローカル線の廃線第三セクター化が進められ、用途を失ってしまった。また、入換などについても軽軸重仕様が仇となって、専用機関車と比較すると空転しやすい(重量のある貨物列車を引っ張るので入れ替えでは軸重の重いほうが有利になる)上に、操車場自体の縮小および廃止が進められたため、他のディーゼル機関車と同様に大半の車両が国鉄分割民営化で新会社に継承されることなく廃車となった。

JRへの承継は北海道旅客鉄道(JR北海道)1両、東日本旅客鉄道(JR東日本)4両、西日本旅客鉄道(JR西日本)3両、九州旅客鉄道(JR九州)2両の10両のみに留まったが、300番台は用途の特殊性から4両全車が継承された。

2021年10月現在、車籍のある車両はJR東日本長野総合車両センター所属の11号機のみとなった[7]。工事列車や臨時列車の牽引に使用されていた。2019年10月5日 - 10月6日には臨時列車「飯山線開通90周年号」の牽引を行った[8]


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