国鉄D51形蒸気機関車
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国鉄D51形蒸気機関車
肥薩線にて混合列車を牽くD51 545・890
(1970年3月8日 大畑駅 - 矢岳駅間)
基本情報
運用者鉄道省日本国有鉄道
東日本旅客鉄道
西日本旅客鉄道
製造所川崎車輛
汽車製造
日立製作所
日本車輌製造
三菱重工業
鉄道省浜松工場大宮工場鷹取工場小倉工場長野工場土崎工場郡山工場苗穂工場
製造年1935年 - 1945年
製造数1,115両(国鉄在籍分)
引退1975年12月24日
主要諸元
軸配置1D1
軌間1,067 mm
全長19,730 mm
全高3,980 mm
機関車重量78.37 t(運転整備)
炭水車重量47.40 t(運転整備)
総重量125.77 t
動輪径1,400 mm
軸重14.30 t
シリンダ数単式2気筒
シリンダ
(直径×行程)550 mm × 660 mm
弁装置ワルシャート式
ボイラー圧力14.0 kgf/cm2 (1.373 MPa; 199.1 psi)(登場時)
15.0 kgf/cm2 (1.471 MPa; 213.4 psi)(戦後全車)
ボイラー水容量6.0 m3
大煙管
(直径×長さ×数)140 mm×5,500 mm×35本
小煙管
(直径×長さ×数)57 mm×5,500 mm×94本
火格子面積3.27 m2
全伝熱面積221.5 m2
過熱伝熱面積41.4 m2
全蒸発伝熱面積168.8 m2
煙管蒸発伝熱面積147.4 m2
火室蒸発伝熱面積17.5 m2
燃料石炭
燃料搭載量8.0 t(D51 1 - 954)
10.0 t(D51 1001 - 1161)
水タンク容量20.0 m3
制動装置自動空気ブレーキ
保安装置ATS-P/Ps(D51 498)
ATS-SW/ATS-P(D51 200)
最高運転速度85 km/h
最大出力1,400 PS
定格出力1,280 PS
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D51形蒸気機関車(D51がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計、製造した、単式2気筒で過熱式テンダー式蒸気機関車である。

主に貨物輸送のために用いられ、太平洋戦争中に大量生産されたこともあって、国鉄における所属総数は1,115両に達しており、ディーゼル機関車電気機関車などを含めた日本の機関車1形式の両数でも最大を記録した。この記録は現在も更新されていない[注 1]

この他に、台湾総督府鉄道向けに32両、胆振縦貫鉄道1944年昭和19年)に国有化)向けに5両(再掲)が製造され、戦後はソビエト連邦サハリン州鉄道向けに30両、台湾鉄路管理局向けに5両、朝鮮戦争における国連軍向けの標準軌仕様機が2両製造されており、製造総数は1,184両に及ぶ。

また、1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化時には、西日本旅客鉄道(JR西日本)に1両(D51 200)が継承され、翌1988年(昭和63年)には東日本旅客鉄道(JR東日本)で1両(D51 498)が復籍し、この2両が動態保存されている。JR東日本のD51 498は復籍後の初仕業で来日中のオリエント急行を牽引して復活、西日本のD51 200は2017年平成29年)に山口線SLやまぐち号で、本線運転に復帰した。

現場の機関士にも操作性の良さから人気があり[1]「デゴイチ」の愛称は、日本の蒸気機関車の代名詞にもなった[2][3]。もし、D51形がなければ日本はこれほど進歩しなかったかもしれないと極言する評価さえ存在し、その性能や扱いやすさは後世の試作研究の目標になるほどであった[4]
概要
誕生の背景

1929年(昭和4年)に始まった世界恐慌、その影響で日本国内で発生した昭和恐慌により、1930年代前半の日本における鉄道輸送量は低下していた。そのため、恐慌発生以前に計画されていた貨物用の新形機関車の製造は中断されていた。1901年(大正12年)のD50形以降、新型機を開発して製造されることがなかったのである。

その後、景気が好転して輸送量の回復傾向が顕著になってきたため、改めて新形の貨物用機関車が求められた。鉄道省では電気機関車専用のチームがあり基礎研究も行われていたが、電化区間がまだ短く蒸気機関車に輸送の大部分を頼らざるを得なかった。[5]

そこで1935年(昭和10年)に開発を始め1936年(昭和11年)から製造されたのがD51形である。C11形ボイラーで実用化された電気溶接技術を応用して製造され、当時の設計主任である島秀雄は「多くの形式の設計を手掛けた中でも、一番の会心作」としてD51形を挙げている[6][注 2]。C53形の複雑な設計や工作不良を反省し[7]、D51形では部分ごとの標準化やユニット化がされ整備や修理が容易になっている。このシステマチックな視点は80系電車から新幹線の開発でも大きく反映されシステム工学の先駆けともいえる鉄道車両であった[8]。当時の新聞には『お自慢づくしの機関車』として紹介され、新しい機械を導入せず従来のもので製造可能とした有力な機関車と評価された[9]
構造新橋駅汐留口前に保存展示されている国鉄D51形蒸気機関車の動輪。

設計の基本となったのは、同じく軸配置2-8-2(1D1=ミカド)のテンダー式機関車であるD50形で、三缶胴構成の燃焼室を持たない広火室構造のストレートボイラーを搭載し、棒台枠を採用するなどの基本設計は共通である。ボイラー使用圧力は当初D50形の13 kg/cm2に対して14 kg/cm2と1 kg/cm2昇圧、シリンダー径を縮小しつつ牽引力の若干の増大を図っている。新技術によりD50形よりも安定した優れた性能を発揮できるようになっている[10]

また、リベット接合部を電気溶接(アーク溶接)で置き換えるなど、構造と工法の見直しを行って軸重の軽減と全長の短縮を実現し、全国配備が可能となった。最大動軸重を14.3 tに引き下げ、これによりD50形では入線が困難だった丙線への入線が可能とされた。ただし、標準形以降は最大・平均ともに動軸重が増大し、特に最大動軸重は最終的に15.11 t(第4動軸)とD50形の14.99 t(第1動軸)以上の値となっている。全長は初期形でD50形より571 mm短縮された。フロントオーバーハングの大きいD50形は、退行運転や推進運転時に、軽量な二軸車を中心として連結相手を脱線させてしまう事故をしばしば起した。そのためD51形では前部デッキと先台車の設計変更により改善が図られたが、その反面先台車周辺の保守が難しくなり、検修陣にはD50形と比してD51形を嫌う者も少なくなかった。


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