国鉄C58形蒸気機関車
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国鉄C58形蒸気機関車
秩父鉄道動態保存されているC58 363
基本情報
運用者鉄道省日本国有鉄道
東日本旅客鉄道
秩父鉄道
製造所汽車製造川崎車輛
製造年1938年 - 1947年
製造数431両
引退1973年
愛称シゴハチ
主要諸元
軸配置1C1
軌間1,067 mm
全長18,275 mm
全高3,900 mm
動輪上重量40.52 t
総重量100.20 t
動輪径1,520 mm
軸重13.50 t(第3動輪)
シリンダ数単式2気筒
シリンダ
(直径×行程)480 mm × 610 mm
弁装置ワルシャート式
ボイラー圧力16 kgf/cm2 (1.569 MPa; 227.6 psi)
大煙管
(直径×長さ×数)133 mm×4,580 mm×22本
小煙管
(直径×長さ×数)51 mm×4,580 mm×71本
火格子面積2.15 m2
全伝熱面積137.6 m2
過熱伝熱面積40.7 m2
全蒸発伝熱面積96.9 m2
煙管蒸発伝熱面積96.9 m2
火室蒸発伝熱面積10.0 m2
燃料石炭
制動装置自動空気ブレーキ
最高運転速度85 km/h
最大出力1,097 PS
定格出力880 PS
シリンダ引張力12,570 kg
粘着引張力10,130 kg
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国鉄C58形蒸気機関車(こくてつC58がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省運輸通信省運輸省が導入した蒸気機関車である。

ローカル線用の客貨兼用過熱式テンダー式蒸気機関車で、8620形の速度と9600形の牽引力を兼ね備えた共通の後継機として設計され[1][注 1]1938年(昭和13年)から1947年(昭和22年)にかけて、431両(国鉄向け427両(樺太庁鉄道向け14両含む)、天塩鉄道三井芦別鉄道向け各2両)が製造された。愛称はシゴハチである。
構造

国鉄のテンダー式蒸気機関車では唯一の2-6-2(1C1。プレーリー)型車軸配置を採用している。設計主任は細川泉一郎で、島秀雄は課長の立場で担当している[2]。形態的には、煙室上部の煙突前に装備された給水暖め装置など、D51形量産型に似ている箇所がある。

国鉄の蒸気機関車としては、初めて密閉型の運転室が採用され、床部後方に延長して炭水車に接する部分に扉を設けている。一番動揺の激しい炭水車との接続部が床になったことで、機関助士の労働環境は大きく改善されたが、温暖な九州では扉を外して使用したものもあった。

また、ボイラ設計としては18kg/cm2に耐えうるものであったが、大戦勃発により付属品の高圧化が据え置かれたため、16kg/cm2となっている[3]

太平洋戦争の戦況悪化により、戦前・戦中の製造は1943年(昭和18年)発注分で中止され、D51形などのような木製デフレクター(除煙板)やカマボコ型のドームを装備したいわゆる戦時型は製造されず、戦後は1946年(昭和21年)から製造が再開された。

戦後製造分(C58 383以降)は、ボイラー径の拡大(1,364mm → 1,396mm)、炭水車を6-17型(石炭6t・水17t)から10-20型(石炭10t・水20t)型に拡大、無台枠の船底型に変更、台車の変更(軸ばね形プレート式 → まくらばね形鋳鋼製)とするなどの設計変更が行われている[4]
製造

本形式は、汽車製造川崎車輛の2社で製造された。運用上の問題を抱えるC50形の代替と、9600形が大量(251両)に供出されたことから、増備は急ピッチで進められた。鉄道省向けのほかに樺太庁鉄道向けや民鉄向けにも製造されている。

製造年次ごとの番号と両数は次のとおりである。

1938年 - C58 1 - 50, 78 - 103, 105(77両)

1939年 - C58 51 - 77, 104, 106 - 198(121両)

1940年 - C58 199 - 259(61両)

1941年 - C58 260 - 309(50両)

1942年 - C58 310 - 329(20両)

1943年 - C58 330 - 351(22両)

1944年 - C58 352 - 368(17両)

1946年 - C58 383 - 407(25両)

1947年 - C58 408 - 427(17両)

製造所別の番号と両数は次のとおりである。

汽車製造(219両)

C58 1 - 10(製造番号1578 - 1587)

C58 78 - 196(製造番号1623 - 1642, 1648 - 1655, 1664 - 1671, 1694 - 1701, 1727, 1728, 1739 - 1760, 1772 - 1786, 1795 - 1809, 1820 - 1834, 1845 - 1850)

C58 275 - 289(製造番号2060 - 2074)

C58 310 - 329(製造番号2171, 2168, 2162 - 2167, 2169 - 2181)

C58 340 - 349(製造番号2332 - 2341)

C58 383 - 427(製造番号2519 - 2563)


川崎車輛(194両)

C58 11 - 77(製造番号1974 - 2003, 2022 - 2031, 2037 - 2041, 2062 - 2068, 2074 - 2088)

C58 197 - 274(製造番号2225 - 2234, 2245 - 2251, 2257 - 2262, 2277 - 2283, 2304 - 2310, 2316 - 2324, 2394 - 2410, 2480 - 2485, 2504 - 2512)

C58 290 - 309(製造番号2567 - 2576, 2594 - 2603)

C58 330 - 339(製造番号2781 - 2785, 2803 - 2807)

C58 350 - 368(製造番号2923 - 2932, 2938 - 2946)



樺太庁鉄道C51形

本形式は、樺太庁鉄道向けに製造された鉄道省C58形の同形機で、1941年から1943年にかけて14両が製造された。当初はC51形と称したが、後に鉄道省に準じたC58形に改称され、さらに1943年の南樺太内地化に伴う樺太庁鉄道の鉄道省への編入により、C58 369 - 382となった。1943年製の4両は、樺太庁鉄道が発注したものだが、落成時はすでに鉄道省への移管後となっており、直接鉄道省籍に編入された。


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