国鉄72系電車
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国鉄72系電車
クモハ73001+クハ79326
(山陽本線横川駅 1984年7月)
基本情報
運用者日本国有鉄道
製造年1952年 - 1958年
運用終了1985年
主要諸元
軌間1,067 mm
電気方式直流1,500 V
架空電車線方式
最高運転速度95 km/h
(荷物車・郵便荷物合造車形式は新性能車連結時100 km/h
全長20,000 mm
主電動機MT40A・MT40B
駆動方式吊り掛け駆動方式
歯車比2.87
定格速度全界磁 49.5 km/h
60 %界磁 62.5 km/h
制御方式抵抗制御、直並列組合せ、弱め界磁
制御装置CS10
制動装置自動空気ブレーキ
保安装置未装着(後年ATS-BATS-Sを装備)
備考新製車のデータ
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国鉄72系電車(こくてつ72けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が製造した直流通勤形電車の一つである。
概要

72系とは、同一の設計思想により製造された電車を便宜的に総称したもので国鉄正式の系列呼称ではない。

書籍等によっては、これらグループの電車をクモハ73形を基幹形式とみなした73系と表記する場合や、63系とを総称して63・72・73系と呼称する場合もある。

72系と呼称する場合、狭義には63系電車の改良型として、1952年から1958年にかけて新製されたグループ(72系新製車)およびこれらの改造車を指す。

広義には、1944年から1950年にかけ製作された63系電車に1951年以降安全対策・体質改善工事を実施して改称したグループ、戦前製20 m級2扉車(32系42系)の4扉化改造車(制御車付随車のみ)を含む。

ここでは主に狭義の72系電車(新製車)について記述することとし、63系改造編入車についても後段において記述することとするが、戦前型改造車については、それぞれの項で記すものとする。63系時代については国鉄63系電車を参照。
72系新製車
登場の背景

1945年8月の第二次世界大戦終戦後、戦後復興にともなう急激な輸送量増大に伴い、国鉄は輸送力増強の対応を迫られた。そこで大都市の通勤輸送向けとしては、戦時設計1944年に開発されていた63系電車(モハ63形、サハ78形)を標準型電車として緊急に大量生産し、1945年度下期から東京及び大阪の電車運転線区に投入することで、輸送力増強に一定の成果を挙げていた。1946年からは一部の大手私鉄にも割り当てられ、やはり輸送力増強の成果を挙げている。

しかし63系電車は、戦時中の資材不足のなかで基本的に各部の設計を極度(あるいは過度)に簡略化した戦時設計車であり、1951年には、その構造的欠陥から桜木町事故国鉄戦後五大事故の一つ)を引き起こし、多数の死傷者を出す大惨事に至った。欠陥電車として糾弾された63系電車は廃形式とし1951年から1953年にかけて徹底的な体質改善工事が実施され、モハ63形電装車はモハ73形(制御電動車、後のクモハ73)およびモハ72形(中間電動車)に、モハ63形未電装車(通称「クモハ63」・「サモハ63」)は、クハ79形(100番台)およびサハ78形(300番台)に改造・改番された。なお、詳細については後述する。

その後も大都市圏各線区の輸送量は増加するばかりで、車両のさらなる増備が望まれていた。これに対し、63系電車の基本設計を踏襲しながらも、1949年に登場した設計思想も取入れて通勤形電車が再設計された。これが72系新製車である。

72系新製車では、80系電車で採用し成功を収めた電車列車(列車を車両単位ではなく編成単位でとらえ、電動車を運転台のない中間電動車とし、先頭車はモーターのない制御車とする)の思想が採り入れられた。このため、このグループで新製されたのは、中間電動車のモハ72形 (72500 - ) 、制御車のクハ79形 (79300 - ) のみとされ、制御電動車のモハ73形、付随車のサハ78形は新製されなかった。

このグループは、台車や車体構造、特に先頭部形状などに改良を加えながら、1957年までにモハ72形234両(低屋根車の850番台15両を含む)、クハ79形179両の計413両が製造された。これらは半鋼製車であった。
半鋼製新製車の構造

72系新製車の半鋼製車グループは、基本的にモハ63形の基本設計を踏襲し、20m 級切妻車体に幅1,000 mmの片引扉を4箇所設けた構造を採用している。

窓も63系以来の3段窓が踏襲されたが、63系体質改善工事車と同様、中段も上昇できる構造となった。貫通扉は引き戸で貫通幌付きとなり安全性が向上した。車体外板も戦前型並みの標準板厚に戻り、63形では省略されていた扉上部の補強帯(ヘッダー)が復活し、台枠部分にも外板が張られた。

モハ72形は完全な中間車となり、モハ63形では扉はすべて運転台のない後位側に引かれていたが、車体中央から2枚ずつ車端側に引かれる構造となった。屋根高は63形の3,720 mmに対して3,650 mmとされ、若干屋根が浅くなり、車端部の断面から受ける印象が変わった。

電動台車は、新型の軸ばね式鋳鋼台車であるDT17(のちの増備車での電動台車は、鋼板プレス溶接構造のDT20になる)に、また付随台車も同時期製造の80系70系と共通の軸ばね式鋳鋼台車のTR48となり、主電動機は従来の63形と同等のMT40を改良したMT40A(端子電圧750 V時定格出力142 kW)である。後にMT40Bに変更された。

主制御器自動加速カム軸式多段制御器ではあったが、63系の電空カム軸式(空気圧作動式)のCS5から、80系で採用されていた電動カム軸式のCS10に変更され、作動性や加速性能が向上した。


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