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「弁慶号」はこの項目へ転送されています。山口県下松市に保存されている蒸気機関車については「下工弁慶号」をご覧ください。
国鉄7100形蒸気機関車
交通科学博物館で保存されていた頃の7105号義經(現在は京都鉄道博物館に移動)
基本情報
運用者官営幌内鉄道
北海道炭礦鉄道
北海道官設鉄道(一部)
鉄道院・鉄道省
製造所 H. K. ポーター
製造年1880年 - 1889年
製造数8両
主要諸元
軸配置2-6-0 (1C)
軌間1,067 mm
全長12,173 mm
全高3,394 mm
機関車重量16.37 t(運転整備時)
14.20 t(空車)
動輪上重量13.84 t(運転整備時)
炭水車重量10.59 t(運転整備時)
5.60 t(空車)
動輪径914 mm (3 ft)
軸重4.84 t(最大・第1動輪上)
シリンダ数単式2気筒
シリンダ
(直径×行程)305 mm × 406 mm
弁装置スチーブンソン式アメリカ形
ボイラー圧力7.7 kg/cm2
ボイラー水容量1.8 m3
小煙管
(直径×長さ×数)45 mm × 2,404 mm × 119本
火格子面積0.93 m2
全伝熱面積40.6 m2
煙管蒸発伝熱面積30.6 m2
火室蒸発伝熱面積10.0 m2
水タンク容量3.64 m3
制動装置手ブレーキ(炭水車のみ)
空気ブレーキ(1, 2。のち撤去)
蒸気ブレーキ(3, 4)
カム・ドライバーブレーキ(1 - 4)
シリンダ引張力2,700 kg
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7100形は、かつて日本国有鉄道の前身である鉄道院、鉄道省に在籍したテンダー式蒸気機関車である。1880年(明治13年)の北海道初の鉄道(官営幌内鉄道)の開業にあたり、アメリカ合衆国から輸入された蒸気機関車である。 ピッツバーグのH. K. ポーター社で、次のように合計8両が製造された。 官営幌内鉄道は1889年に北海道炭礦鉄道に譲渡されたが、1906年(明治39年)に制定された鉄道国有法により買収・国有化され、全車が官設鉄道に編入されている。 この機関車は番号の他に歴史上の人物(北海道絡みが多い傾向)にちなんだ愛称を付されていることでも知られる。1 - 6には番号順に、「義經(義経/よしつね)」「辨慶(弁慶/べんけい)」「比羅夫(ひらふ)」「光圀(みつくに)」「信廣(信広/のぶひろ)」「しづか(静/しづか)」と命名されている(1889年製の2両は無名)。これは、当時のニューヨーク領事であった高木三郎の意見によったものといわれている[要出典]。 西部劇から抜け出てきたような、アメリカの古典的スタイルの機関車で、その愛称とともに日本の古典蒸気機関車の代表格として親しまれている。 動輪直径は914mm(3ft)、車軸配置2-6-0(1C)で2気筒単式の飽和式テンダー機関車である。弁装置はスティーブンソン式で、弁室をシリンダ上部に設置したアメリカ形である。 3つの動輪のうち真ん中の動輪にはフランジがない。 テンダー(炭水車)は2軸のボギー台車を2つつけた4軸のもので、側面に愛称名が漢字で大書されていた。これは、開拓長官黒田清隆の筆とも、大書記官山内堤雲の筆ともいわれている。 前述のように、典型的なアメリカ古典機スタイルで、前端梁に取り付けられたカウキャッチャー(牛よけ = 排障器)や大型のダイヤモンドスタック(火の粉止め)を取り付けた煙突、大型の油灯式前照灯、第1缶胴上に設けられたベル、木製の運転室などが、特徴的である。 ボイラーには、第2缶胴上に砂箱、ワゴントップ型の火室上に蒸気ドームが設けられている。 1880年に輸入された2両には、ウェスティングハウス・エア・ブレーキ製空気ブレーキが装備されており、客車とともに貫通制動ができるようになっていた。標準装備されていた自動連結器とともに、本形の先進的な部分である。当時、北海道以外の国内の鉄道では、真空ブレーキとリンク式連結器が用いられていた。 1880年11月28日、手宮駅 - 札幌駅間が開業し、1「義經」と2「辨慶」の使用が開始された。先立つ同年10月には試運転にも投入されている[1]。翌1881年(明治13年)8月30日には、明治天皇がこの区間に乗車し、「義經」が「開拓使号」客車を含むボギー客車9両編成のお召し列車を牽引している[2]。 1882年11月13日には札幌 - 幌内間が延伸開業し、3「比羅夫」と4「光圀」が増備されている。その後、5「信廣」と6「しづか」が増備されたが、1887年の増備はやや大型のボールドウィン製の1C形テンダー機関車(7, 8。後の7170形)となった。1889年には、再びポーター製が2両増備され「9, 10」となったが、後に前述の「7, 8」と番号を交換(10, 9→7, 8)し、ポーター製を「1 - 8」に揃えている。 北有社による請負営業を経て、1889年12月10日、幌内鉄道は北海道炭礦鉄道に払下げられ、本形式も同社に引き継がれた。北海道炭礦鉄道ではA形(1 - 8)、後にイ形とした。北海道炭礦鉄道5(改装後) 北海道炭礦鉄道では、本形に対し煙室の延長やダイヤモンド形煙突のパイプ形への交換、カウキャッチャーの撤去などの改造が行なわれ、原形が損なわれていった。
概要
1880年(2両) : 1, 2(製造番号368, 369)
1882年(2両) : 3, 4(製造番号487, 488)
1884年(1両) : 5(製造番号643)
1885年(1両) : 6(製造番号672)
1889年(2両) : 9, 10(製造番号1009, 1010)
構造
運転・経歴
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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