国鉄70系電車
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国鉄70系電車
クハ76形300番台(1975年1月 東貝塚駅
基本情報
運用者日本国有鉄道
製造所日本車輌製造
東急車輛製造
近畿車輛
宇都宮車両
汽車製造
川崎車輛
日立製作所
帝國車輛工業
新潟鐵工所
国鉄大井工場
製造年1951年 - 1958年
製造数282両
改造数60両
運用開始1951年
運用終了1981年3月
主要諸元
軌間1,067mm
電気方式直流1,500V
車体普通鋼
台車DT13・DT16・DT17・DT20・DT20A・TR43A・TR45・TR45A・TR48・TR48A
主電動機MT40形
制御装置CS10形
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国鉄70系電車(こくてつ70けいでんしゃ)は、1951年から1958年にかけて、日本国有鉄道が導入した、3扉セミクロスシート旧形電車を便宜的に総称したものである[注釈 1]
概要

横須賀線京阪神緩行線中央東線など通勤と中距離の輸送性格を併せ持った路線用に開発された3セミクロスシート車。1951年3月から1958年3月にかけて、三等(のちの二等車→普通車)中間電動車のモハ70形および低屋根構造で歯車比の異なるモハ71形・三等制御車のクハ76形・二等(のちの一等車(現・グリーン車))付随車のサロ46形(後のサロ75形)の4形式合計282両が製造された[注釈 2]

本系列に類する20 m3扉車の新造計画については、戦後間もない時期から存在していた。

計画初期である1949年の図面では、切妻構造前面運転台部分・3段式客室側窓・ロングシート63系通勤形電車を3扉化したようなデザインで、先頭車の配置はd1D6D6D2[注釈 3][1]となっており、片運転台の制御電動車のモハ70形、中間電動車のモハ71形、付随車のサハ76形が設定されていた[2]。将来のクロスシート化が考慮されていた。

1950年の計画図ではクハ76形の前面は、80系1次車と同様に半流線型で非貫通型であるが小田急1700形第3編成に似たデザインの2枚窓となり、室内はセミクロスシートの座席配置であった[1]

その後計画が整理されて3扉セミクロスシート車とされ、横須賀線と京阪神緩行線への投入が決定した。なお、同時期に製造された80系と比較されることが多いが、長大編成による運用を考慮した中間電動車方式を採用した点以外は、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}メカニズム面を含め[要出典]相違点が多く存在する。また、基本的に同一系列のみで編成組成することを前提とした80系とは異なり、横須賀線では32系・42系と、京阪神緩行線では51系・72系と、中央東線では72系との混結の編成で運用された。長編成での運用を想定せず[要出典]、他系列との混結が前提であったこともあり、車両数が充足していた三等付随車は製造されていない。
構造

三等車の車体および座席のレイアウトは戦前型の51系をベースとした3扉セミクロスシートである。二等車は2扉クロスシートで、東海道本線湘南電車)に比較すると乗車距離の短い横須賀線向けとされたことから、湘南電車80系のサロ85形とは異なり、70系の二等車は横須賀線在来車の32系サロ45形と同様にデッキと客室との仕切は未設置とされた。
車体

車体の基本形状は80系と同一で、各形式とも車体長が19500 mm、車体幅が2805 mm、屋根高さ3650 mmとなっており、クハ76形の先頭部は80系のクハ86形86023以降と同一の、幅1200 mmの前面窓を2箇所配置した半流線形で通称「湘南型」と呼ばれる形態である。

モハ70形、モハ71形およびクハ76形の車体側面は51系に類似した片側3扉で、側面窓を扉間に6箇所、車端部連結面寄りに2箇所の配置としたもので、乗降扉は幅1100 mmで80系のものに準じた片引扉、側面窓は幅700 mmで高さを戦前の31系以降の電車と同じ870 mm(300番台車は895 mm)とした二段上昇窓である。

サロ46形の設計は80系のサロ85形を基本としており[3]、車体側面はサロ85形に類似した片側2扉で、サロ85形と同じく乗降扉は幅700 mmの片引扉、側面窓の幅は1200 mmであるが、窓高さを70系の他形式と同じ870mmとした二段上昇窓としている。窓配置はD8D1として扉間に側面窓を8箇所設置し、サロ85形とは異なり一方の乗降扉の車端側にトイレ・洗面所窓を設けている。また、車体構造もサロ85形と同様で、他の形式と異なり、屋根肩部まで外板を張って屋根中央部のみ木製屋根となっており、雨樋も位置は通常の高さで当初より鋼製雨樋であった一方、屋根肩部が幕板部と同じ車体色であったサロ85形と異なり、サロ46形では屋根中央部と同一色であった。

台枠はモハ70形およびモハ71形はUF132もしくはUF132A、クハ76形はUF133、サロ46形はUF134を使用しており、これらの台枠は、前後の枕梁間の中梁を省略して梯子状の構造とした80系のものとは異なり、近郊用と運用するために溝形鋼の中梁を車両全長に渡って通した従来通りの構造のものであるとされている[4][注釈 4]。また、屋根上のベンチレーターは、モハ70形、モハ71形およびクハ76形は63・72系と同じグローブ形、サロ46形は80系と同じ押込み形とした。

また、本系列は製造開始以降、床板や屋根板、内装に木材を使用した半鋼製車体であったが、モハ71形の71001は全金属製車体の試作車であり、1957年には80系300番台や72系920番台などと同じく全金属性不燃構造とした300番台が製造されている。
車内設備

モハ70形、モハ71形およびクハ76形の室内配置は51系と同様のもので、片側3か所の乗降扉間は中央部がクロスシート、扉横部と連結面寄り車端部はロングシートとした配置を基本としている。ロングシートは背摺りを含む奥行が500 mmで、戦前の旧型国電三等車で標準の480 mm(1934年まで)もしくは560 mm(1935年以降)の中間の値となっている。また、ボックスシートのシートピッチは1400 mmで、32系以降の旧型国電三等車や、80系0番台と同一となっているほか、背摺りを含む奥行は475 mm、シートの横幅は32系以降の三等車の970-975 mmから縮小されて80系0番台と同じ905 mmとなっている。また、室内の側面窓上部には網棚が、座席前部の天井には吊革が、乗降扉部の中央にはつかみ棒が設置されているほか、クハ76形の車端片隅部にはトイレが設置されている。

サロ46形(→サロ75形)の室内は前後車端部の客用扉間にクロスシートを配置しているほか、片側の客用扉のさらに車端部寄りにトイレと洗面所が設置されている。80系のサロ85形とは異なり、横須賀線在来の32系サロ45形と同様にデッキと客室との仕切は設置とされなかったが、客室とトイレ・洗面所の間は仕切壁と扉で仕切られている。ボックスシートのシートピッチは1950 mmで、31系以降の旧型国電二等車で標準の1760 mmより広く、80系のサロ85形の1910-1965 mmと同等となっているほか、背摺りを含む奥行は680 mm、シートの横幅は32系以降の二等車の975-980 mmから若干拡大されてサロ85形と同じ1000 mmとなっている。
主要機器

主電動機主制御器、駆動装置、台車、ブレーキ装置、電動発電機電動空気圧縮機、戸閉機械などは80系の同等の年次に製造された車両と同一もしくは同系列のものを搭載している。
主電動機

当時の国鉄電車の標準機種であるMT40系(端子電圧750 V時1時間定格出力142 kW、定格回転数870 rpm(全界磁時)・1100 rpm(60 %界磁時))のMT40AもしくはMT40Bを搭載する[注釈 5]。MT40系は、戦前の標準型主電動機のMT30[注釈 6]をベースに電機子の軸受転がり軸受に変更した[5]ものであり、本系列と80系に搭載されたMT40Aは、63系に搭載されたMT40のノーズ長さを変更した[6]もの、MT40BはMT40Aから主軸受の形状を変更したものである。

駆動装置は従来どおり吊り掛け駆動方式を採用し、歯車比は、モハ70形同じMT40系を装架する80系やMT30を装荷するモハ54形(1954年の歯車比変更後)と同じ2.56、モハ71形は同じくMT40系を装架する63・72系やMT30を装架するモハ60形・モハ54形(歯車比変更前)と同じ2.87である。
主制御装置

主制御器は直列7段・並列6段・並列弱め界磁1段(弱め界磁率 60%)のCS10もしくは直列7段・並列6段・並列弱め界磁2段(弱め界磁率60 %、75 %)のCS10A電動カム軸式主制御器を搭載する[注釈 7]。この主制御器は63系での試作開発結果[注釈 8]を受けて開発されたものであり、戦前の標準であったCS5との相違点は以下の通り。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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