国鉄42系電車
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42系電車(42けいでんしゃ)とは、1933年(昭和8年)から1935年(昭和10年)にかけて鉄道省日本国有鉄道の前身)が製造した2扉クロスシート旧形電車を便宜的に総称したものである。

具体的には、モハ42形(42001 - 42013)、モハ43形(43001 - 43037)、モハユニ44形(44001 - 44005)、サロハ46形(46100 - 46103)、クハ58形(58001 - 58025)、クロハ59形(59001 - 59021)の105両のことである。1935年から1937年(昭和12年)にかけて京阪神地区の急行電車用に製造されたモハ52形を基幹とするグループは、別項(国鉄52系電車)で述べる。

なお、広義には上記の52系を当系列の一部として扱う考え方も存在し、実際に当系列と52系はしばしば共通運用された。

Template ■ノート

 戦前形鋼製国電2扉クロスシート車記事一覧形式32系42系52系62系備考
モハ32形001 - 045---17m車
モハ42形-001 - 013--
モハ43形-001 - 037038 - 041-
モハユニ44形-001 - 005--
モハ52形--001 - 006-
モハ62形---001 - 003鋼体化
17m車
サロ45形001 - 013---
サロハ46形001 - 013100 - 103
(014 - 017)*018-*:1936年
に改番
クハ47形001 - 010---
サハ48形001 - 028-029 - 033-
クロ49形001, 002---
クハ58形-001 - 025--
クロハ59形-001 - 021--
サロハ66形--016 - 019-
クハ77形---001 - 003鋼体化
17m車

第2回(1985年エバーグリーン賞受賞車両

カテゴリ / テンプレート
概要国鉄42系電車(クモハ42形)クモハ42形車内クモハ42001の製造銘板.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}.mw-parser-output .listen .side-box-text{line-height:1.1em}.mw-parser-output .listen-plain{border:none;background:transparent}.mw-parser-output .listen-embedded{width:100%;margin:0;border-width:1px 0 0 0;background:transparent}.mw-parser-output .listen-header{padding:2px}.mw-parser-output .listen-embedded .listen-header{padding:2px 0}.mw-parser-output .listen-file-header{padding:4px 0}.mw-parser-output .listen .description{padding-top:2px}.mw-parser-output .listen .mw-tmh-player{max-width:100%}@media(max-width:719px){.mw-parser-output .listen{clear:both}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .listen:not(.listen-noimage){width:320px}.mw-parser-output .listen-left{overflow:visible;float:left}.mw-parser-output .listen-center{float:none;margin-left:auto;margin-right:auto}}クモハ42001の走行音 446M普通列車(小野田線長門本山?宇部線宇部新川間、1986年11月22日)この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。

42系電車は、本系列で唯一東京地区(横須賀線)に投入されたモハユニ44形を除き、東海道山陽線京阪神地区に投入された。1934年(昭和9年)7月20日、吹田 - 須磨間が電化開業し、電車の運転が開始されたのに伴い新製投入されたものである。東海道・山陽線の関西地区電化区間は、のち同年9月に須磨 - 明石間、1937年(昭和12年)には京都 - 吹田間を延伸している。

1930年代、阪神間では阪神電気鉄道本線および阪神急行電鉄神戸線(現・阪急電鉄)が、京阪間では京阪電気鉄道京阪本線新京阪線(現・阪急京都線)がすでに開業していた。特に阪急や新京阪では、強力な1時間定格出力150kW[注釈 1]あるいは170kW[注釈 2]級の主電動機を装備した優秀な電車が高速運転を行なっていた(新京阪P-6形阪急920形など)。

東海道・山陽線の京阪神間電化は、これらに対抗するため、同線での急行電車の運行を企図した背景がある。それゆえ本系列は、当時としては比較的長距離の運行を想定し、片側2扉の20m級車体にクロスシートを装備した。なお横須賀線用に製造された32系ではまだ付随車のみ20mで電動車は17mのままであったが[注釈 3]、42系では電動車も含め20m級とされたものである。

しかし搭載主電動機は、それ以前の40系電車と同じ100kWの標準品(MT15C[注釈 4])であり、並行私鉄の同クラスの電車と比べて出力が小さかった。また内装が木製の半鋼製であり、既に全鋼製車両も存在した並行私鉄に比して、やや見劣りする感は免れなかった[注釈 5]

当初の歯車比は、モハ32形と同じく高速型の1:2.26で、駅間距離が長い高速運転に適応させ、加速力は度外視している。電動車の台車はTR25(後のDT12)を、付随車用にはTR23を使用している。これらはいずれも軸バネ式で、ホイールベースを除いては類似設計であり、既に40系電車で採用されていた。

本系列は、太平洋戦争の勃発により最も大きな変貌を遂げた系列で、扉を増設して3扉、4扉となったものがあり、4扉となったものは40系電車の歯車比の大きい低速台車との交換を行なっている。戦後は、1950年(昭和25年)に東京地区の旧モハ51形のモハ41形と交換で横須賀線に転属している。ここでも、3扉の70系電車と併用されることから、主電動機交換による出力増強や扉の増設が行なわれている。

1950年代には、クハが静岡鉄道管理局管内の身延線飯田線に転出し、1960年代には電動車も地方への転出が本格化している。特に飯田線での長距離運用は著名であった。小野田線に残ったクモハ42001は、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)に継承され、最後の営業用旧形電車として2003年(平成15年)3月まで運用された[1]ことが特筆される。
基本形式

42系電車 製作年度・製作所別番号表製作年度製造所日車川車梅鉢大阪田中汽車
形式
昭和8年
(1933年)モハ42001 - 004005 - 009010 - 013
モハ43001 - 003
020 - 024012 - 019004 - 011
クハ58001 - 004005 - 011012 - 022
クロハ59001 - 008009 - 015
昭和9年 1次
(1934年)モハ43025 - 028029 - 032033 - 036
サロハ46100 - 103
クロハ59016 - 020
昭和9年 2次
(1934年)モハ43037
モハユニ44001 - 005
クハ58023
クロハ59021
昭和9年 3次
(1934年)クハ58024
昭和10年 1次
(1935年)クハ58025

車体の基本構成は、1932年(昭和7年)に登場した32系電車と同様の2扉クロスシートであるが、扉両側の窓は、32系の600mm1枚から、700mm2枚となって、立席スペースが増大されている。また、モハユニ44形を除いて、運転台は半室構造の貫通式とされ、車両間には貫通が設置されている。

また、1934年(昭和9年)製造車は、屋根上の通風器が3列となっている。
モハ42形

1933年(昭和8年)に13両が製造された両運転台式の制御電動車である。主に増結用として使用された。定員104名(座席68名、立席48名。両運転台であるが、002, 004, 006の3両は、パンタグラフが偶数(下り)向きであった[注釈 6]側面窓配置は、d1D2122D1d[矛盾構体 (鉄道車両)#側面窓配置]。
モハ43形クモハ43015

1933年(昭和8年) - 1934年(昭和9年)に37両が製造された片運転台式の制御電動車で、本系列で最も多く製造された基幹形式である。定員129名(座席74名、立席55名)。向きは、奇数番号車が奇数(上り)向き、偶数番号が偶数(下り)向きに統一されている。側面窓配置は、d1D2122D2。

1937年に(昭和12年)急行電車用の43038 - 43041(4両)が新たに追加製造されているが、こちらについては別項(国鉄52系電車#第3次車)を参照されたい。
モハユニ44形

1934年(昭和9年)に横須賀線のモハユニ30形置換え用に製造された三等郵便荷物合造車で、5両が製造された。


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