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国鉄30系電車(こくてつ30けいでんしゃ)は、1926年(大正15年)から1928年(昭和3年)にかけて日本国有鉄道の前身である鉄道省が製造した、車体長17m級3扉ロングシートの旧形電車を便宜的に総称したもので、鉄道省が製造した最初の鋼製電車である。
具体的には、三等制御電動車のモハ30形(30001 - 30205)、二等付随車のサロ35形(35001 - 35008)、三等付随車のサハ36形(36001 - 36045)の3形式258両を指す。製造当初は、それぞれデハ73200形、サロ73100形、サハ73500形と称したが、1928年10月に施行された車両形式称号規程改正により、上記の形式に改められた。 1923年(大正12年)の関東大震災以降、東京周辺の省電運転線区では輸送力の増強のため車体を大型化したデハ63100系電車が量産され、電車による長編成化と高速化が実施されていた。しかし、従来からの木製車体は、一般客車に比べて側面の開口部が多いうえ、換気の関係で強度上有利な上昇窓が採用できず、扉のある中央付近に乗客の荷重がかかるため構造的に脆弱で、加減速にともなう車体の歪みがひどく、また一たび事故となれば、木製車体は容易に粉砕され、事故の規模を大きくしていた。さらに、震災後の復興にともない木材価格が高騰し、良質な材料が入手困難になっていた。そこで、鉄道省は客車に先んじて木製車体の電車の新製を中止し、鋼製車体に切り替えることとした。これにより、1926年から新製されたのが本系列である。 鋼製化された車体に合わせ、機器も性能は大差ないものの刷新され、標準化が進められた。 従来の木製車は、鋼製の台枠の上に単に車体を載せただけのもので、台枠中央部の垂下は、床下に設けられたトラス棒に取り付けたターンバックルを伸縮することによって防いでいた。しかし、長さや幅の増大によりこのトラス棒式台枠では、車体の重量を支えることが困難になってきており、さらに、連結器が自動連結器に交換されたことにより、台枠中央部の負担力を増す必要が生じたため、本系列では台枠を構成する鋼材の中央部分の幅を増した魚腹型台枠(UF20形)が採用された。 その上に、車体外皮と骨組みを鋼製として、リベットで組立てた。窓の上下には補強用の帯(ウィンドウシル・ヘッダー)が巡らされている。側面の窓は、立客へのサービス改善のため天地方向を広げた二段窓となり、上昇式となった。従来の日除け鎧戸も廃されて、巻き上げ式のカーテンに変更された。 三等車の座席はロングシートで、背ずりをS字形の曲面とした短冊張りとし、座布団は緑色の布地張りとしている。 屋根の構造は、従来どおり明かり取り窓が側面に設けられた木造二重屋根(ダブルルーフ、あるいはレイルロード・ルーフとも呼ばれる)構造であるが、車体幅を最大限に広げたことから車両限界に抵触するため、雨樋は設けられず、扉の上部に水切りが設けられたのみであった(1929年の建築規程改正により、鋼製車にも取付けられるようになった)。通風の改善のため屋根上の通風器も従来の片側4個を6個に増強されている。 主電動機はMT15形(端子電圧675V時1時間定格出力100kW、定格回転数653rpm)が鉄道省と製造各メーカーの共同設計により、新規開発の上で採用された。 これは前世代のモハ10形用として各メーカーの競作となった、MT7(日立製作所)・MT9(芝浦製作所)・MT10(東洋電機製造)・MT12(メトロポリタン・ヴィッカース)・MT13(三菱電機)・MT14(奥村製作所)の各電動機の使用実績と、その保守部品管理の煩雑さから標準化を求められて開発されたものである。性能的にはそれらとほぼ同一仕様であったが、使用実績が良好で大量購入された日立のMT7[注釈 1]を基本として、他社製機種の利点を盛り込む形で設計されており、将来の地方線区への転用を睨んで勾配線での連続使用に耐えられるよう、熱容量を大きくとってあった[注釈 2]。また、フレームも強度重視の頑丈な構造で、重量と容積が大きく、定格回転数も当時としてはやや低めに抑えられているが、信頼性と汎用性が高く、性能に余裕があることが最大の特徴であった。 このMT15はその後標準電動機として長く量産され、1930年(昭和5年)の横須賀線向けモハ32形で高速運転対策として弱め界磁が付加されてMT15Aへ、さらに使用実績に基づく改良によりMT15がMT15Bへ、MT15AがMT15Cへ進化し、この内のMT15Cは20m級車である40系にも採用され、これらに続いて京阪神地区電化用として新設計された42系でも弱め界磁率を70%から58%に強化したことに伴って改良されたMT15D(1933年)が採用され、これがMT15としての最終モデル[注釈 3]となった。 制御器は電磁空気カム軸式のCS5形である。在来木造電車に搭載されてきた、ゼネラル・エレクトリック(GE)社製電空カム軸式「PC制御器」のライセンス生産品・芝浦製作所RPC-101(省形式CS1)の改良による上位互換型であった。主幹制御器はGE社製C36形マスターコントローラの改良国産化品であるMC1形が、在来木造車から引き続いて搭載された。 ブレーキはM三動弁を使用するM自動空気ブレーキで、当時の標準品であったGE社製J三動弁を使用するAVR自動空気ブレーキと互換性があるが、こちらはオリジナルは自動空気ブレーキの開発元であるアメリカ・ウェスティングハウス・エアブレーキ社(Westinghouse Air Brake Co. 本系列で実際に製造されたのは、デハ73200形、サロ73100形、サハ73500形の3形式であったが、三等郵便荷物合造車(デハユニ73800形)、三等荷物合造車(デハニ73850形)も計画されていた[注釈 4]。これは、京浜線や山手線では当時はまだ客荷分離がされていなかったためであるが、結局製造はされなかった。 本系列は全車が京浜線に投入されたが、一部は1928年から中央線や山手線に転出している。1928年度製造車は中央線国分寺 - 立川間の電化開業用名義であったが、実際は京浜線に投入され、そこからの捻出車が中央線用に転じている。 本系列の基幹となる制御電動車で、1928年までの3年間に205両が製造された。前述のように落成時の形式はデハ73200形で、1928年の改番により、モハ30形となった。側面窓配置はd1D22D22D2である。 本系列では唯一の運転台付きの形式で、前面を非貫通としたことから運転台の機器配置が余裕のあるものとなっている。1927年度製は、座席の背ずり形状を垂直に近い曲面に変更し、運転室扉の幅を10mm縮めて540mmとしている。また、ドアエンジンが全面的に採用されたのが最大の特徴となっている(1926年度製にも同年度から取付け)。 1928年度製は、台車を従来の球山形鋼組み立て式のTR14(後のDT10)から鋼棒組み立て式のボールドウィン形TR22(後のDT11)に改め、自重が約3t増加した。また、車内の電灯は、従来天井中央部に1列6個(LP8)のみであったが、出入口付近3か所を大型のグローブ灯(LP9)とし、座席部の照度を上げるため、座席上部のモニター欄間窓の柱からブラケット状に小型クローブ灯(LP23)を片側3か所に吊す構造としている。 本形式の年次ごとの製造状況は次のとおりで、奇数番号車は上り向き、偶数番号車は下り向きである。 1928年の改番にあたっては、番号の奇数偶数は固定したまま1から始めることとしたため、番号の入れ替わりが生じている。具体的には、73200, 73201, 73202, 73203… → 30002, 30001, 30004, 30003…といった具合である。
製造経緯
構造
車体
主電動機
制御器
ブレーキ
基本形式
モハ30形
1926年度(80両)
川崎造船所(23両) : 73200 - 73222 → 30001 - 30022, 30024
日本車輌製造(32両) : 73223 - 73254 → 30023, 30025 - 30054, 30056
田中車輛(15両) : 73255 - 73269 → 30055, 30057 - 30070
汽車製造東京支店(10両) : 73270 - 73279 → 30071 - 30080
1927年度(70両)
日本車輛(25両) : 73280 - 73304 → 30081 - 30104, 30106
川崎造船(25両) : 73305 - 73329 → 30105, 30107 - 30130
田中車輛(10両) : 73330 - 73339 → 30131 - 30140
汽車支店(10両) : 73340 - 73349 → 30141 - 30150
1928年度(55両)
川崎車輛(21両) : 30151 - 30171
日本車輛(22両) : 30172 - 30193
汽車支店(12両) : 30194 - 30205
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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