国鉄203系電車
[Wikipedia|▼Menu]

国鉄203系電車
JR常磐緩行線で運用されていた203系
基本情報
運用者日本国有鉄道
東日本旅客鉄道
KRLジャボタベック
フィリピン国鉄
製造所川崎重工業[1]
東急車輛製造[1]
日本車輌製造[1]
近畿車輛[1]
製造年1982年 - 1986年
製造数17編成170両
運用開始1982年11月15日
運用終了2011年9月26日
投入先常磐緩行線
主要諸元
編成10両編成(6M4T)
軌間1,067 mm狭軌
電気方式直流 1,500 V架空電車線方式
最高運転速度常磐緩行線:90 km/h
千代田線:80 km/h
設計最高速度100 km/h[3]
起動加速度3.5 km/h/s[3]
減速度(常用)3.23 km/h/s(ATC常用[3]
3.7 km/h/s(直通管最大[3]
減速度(非常)4.4 km/h/s[3]
編成定員先頭車:座席 48人・立席 88人[4]
中間車:座席 54人・立席 90人[4]
全長20,000 mm[2]
全幅2,800 mm[2]
全高4,086 mm[7]
車体アルミニウム合金
主電動機直巻整流子電動機 (MT60)
主電動機出力150 kW × 4基
駆動方式中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比14:85 (6.07)[2]
編成出力3,600 kW
定格速度48.0 km/h
制御方式サイリスタチョッパ制御 (CH1A)
弱め界磁制御 (CS53A)
制動装置回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキ、直通予備ブレーキ、手ブレーキ[2]
保安装置ATS-S, ATC-4A(CS-ATC)(製造時)[5]
ATS-SN, ATC-10(新CS-ATC)(晩年)[6]
テンプレートを表示

国鉄203系電車(こくてつ203けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1982年昭和57年)から投入した[8]直流通勤形電車

本稿では、インドネシアPT KAI Commuter Jabodetabekフィリピン国鉄に譲渡された車両についても述べる。また、各編成を「マト51」(「松戸車両センター第51編成」の略)のように呼称する。
概要

常磐緩行線帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄千代田線との相互直通運転に充当されていた103系1000番台[8]に代わる車両として導入された[8]。乗り入れ協定によって、勾配の多い区間でも高加減速が求められることから[2]、基本設計を踏襲した201系[9]と同様のサイリスタチョッパ制御を採用し、同時にアルミ製車体を採用して車体の軽量化とさらなるコストダウンを図ることとなった[7]
導入の背景203系100番台の新製回送

本系列の導入前は、常磐緩行線と千代田線との相互直通運転用に、国鉄では103系1000番台を直通開始当初から運用していたが[8]抵抗制御であるため加速時や発電ブレーキでの廃熱が地下鉄トンネル内の温度上昇をもたらしていた[8]。さらに、主抵抗器冷却扇を持たない自然通風方式であったこと、同様に抵抗制御車の運用されていた東西線とは異なり、比較的長い単線トンネル区間を高速で走行するため走行風による主抵抗器の冷却がほとんど期待出来ず、主抵抗器の発熱による車内の温度上昇や、主制御器の誤作動、床下機器の劣化があったこと、営団との協定の起動加速度性能の限界だったため、重量増となる冷房装置が搭載できないこと、などの問題点があった(常磐緩行線#複々線化の沿革と問題も参照)[注 1]

また、電機子チョッパ制御回生ブレーキを採用する営団6000系に比べて消費電力が大きく[注 2]、国鉄は営団車との電力消費量の差額を営団に支払うよう会計検査院から指導を受けていた[10][注 3]。このような経緯もあり、営団側からも国鉄に対し、早期のチョッパ制御化を望む申し入れがなされていた[8]

この問題を解決するため、先に登場していた201系に倣う方向で本形式の基本設計が検討された[9]。しかしながら、勾配区間が多い千代田線内でも乗り入れ協定に基づく高加減速が求められることから[2]、編成重量をより軽量化して主電動機への負担を減じる方策が必要とされた[2]。そのため、201系で採用されていたサイリスタチョッパ制御を本形式でも採用しつつ、201系の鋼製車体に対しアルミ製車体とすることで、主電動機への負担を抑えながら103系1000番台に比べ電動車比率を減少させ[注 4]、同時に製造費用の削減も達成した[7]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:121 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef