国鉄20系客車
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「走るホテル」はこの項目へ転送されています。鉄道車両を用いた簡易宿泊施設全般については「列車ホテル」をご覧ください。

国鉄20系客車(こくてつ20けいきゃくしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1958年昭和33年)に開発した寝台列車用客車である。ナハネフ22 1
2004年9月18日 鎌倉総合車両センター
(現在は鉄道博物館に保存)
概要

1958年から1970年までに合計14形式473両が製造された[1]。他形式からの改造編入が6両あったほか、系列内での改造による形式増加があり、最終的には20形式479両となった[2]

最初に投入された列車にちなみ「あさかぜ形客車」とも呼ばれ、その設備の優秀さから登場当時は「走るホテル」とも評された[3]

電源車から一括供給される大容量の電力により、国鉄制式客車としては初となる全車空調装置の装備と、食堂車調理設備の完全電化を実現。また編成内の旅客車全車に空気ばね台車[注 2]を装備するなど、居住性を大きく改善した画期的な車両である[4]
構造.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}.mw-parser-output .listen .side-box-text{line-height:1.1em}.mw-parser-output .listen-plain{border:none;background:transparent}.mw-parser-output .listen-embedded{width:100%;margin:0;border-width:1px 0 0 0;background:transparent}.mw-parser-output .listen-header{padding:2px}.mw-parser-output .listen-embedded .listen-header{padding:2px 0}.mw-parser-output .listen-file-header{padding:4px 0}.mw-parser-output .listen .description{padding-top:2px}.mw-parser-output .listen .mw-tmh-player{max-width:100%}@media(max-width:719px){.mw-parser-output .listen{clear:both}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .listen:not(.listen-noimage){width:320px}.mw-parser-output .listen-left{overflow:visible;float:left}.mw-parser-output .listen-center{float:none;margin-left:auto;margin-right:auto}}ナロネ21 145 走行音この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。ナハネ20 105 走行音この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。

日本で初めて同一系列・同一意匠の車両による「固定編成」を組むことを前提とした体系的な基本構想の下に設計された客車である。本形式の要である電源車を中心とした軽量構造の固定客車は、東海道本線の全線電化の暁に目玉となる強力な電気機関車[注 3]で牽引する新特急計画で具体化しており、遅くとも1956年末までに実現する予定であった[5]。1955年に島秀雄が技師長に就任すると計画は見直され、動力分散方式へ方針は変更され[6]、計画されていた客車列車は「あさかぜ」のサービスアップ計画に活用されることになった[7]

塗装は青15号にクリーム色1号の帯[注 4]を3本巻いた外観はデザイン的にも優れ、以後の客車寝台特急も含めて「ブルートレイン」と呼ばれる起源となった。
車体

設計は先行する10系客車を基本とし、普通鋼使用であるものの、台枠だけではなく側板などにも荷重を負担させることで、梁や柱などの構造部材を省略して大幅な軽量化かつ側面を腰板部で絞った大断面準張殻構造車体を採用した。外板は1.6mm厚、屋根板は1.2mm厚の冷間圧延鋼板を使用し、イボ付絶縁屋根布を張っている[8]。鋼体内側には10mm厚のスプレーアスベストを吹き付け、防音・防熱性に配慮した[8]

屋根部は床下冷房搭載により扇風機カバーや通風器などの突起物を一切取り付ける必要が無くなったことから、車両限界を最大限に活用すべく丸く深い切妻構造の断面形状である。

また完全冷房化により、側窓は車掌室やトイレなど開閉の必要のあるものを除き全て複層ガラスとゴムシーリングによる固定窓とした。座席車はシートピッチに合わせた狭窓を、寝台車や食堂車は区画に合わせた広窓を採用し在来車の窓配置を踏襲する形で窓寸法が決定されている。

2段式1等寝台車では上段寝台明かり取り用小窓を幕板部に設置し、外観上の特徴となった。

編成の最前部・最後尾に連結される電源車は3枚の平面ガラス、緩急車は2面の曲面ガラス[注 5]を採用する丸妻型デザインである。また分割運用にも対応する編成中間の緩急車は、貫通路を備える切妻形デザインとした。

内装は当初は10系客車同様のハードボードと称する木質樹脂板を使用したが、途中からメラミン樹脂化粧板に変更された。

同時に寝台車の天井内張板も穿孔板から一般の化粧板に変更。

ナロネ20・22形では、「ルーメット」と称する1人用個室[注 6]を国鉄の営業用客車では初めて採用した[注 7]

2等寝台車は10系寝台車と同様、3段式の折りたたみ寝台を備える側廊下式配置で、組立・解体作業は手動で行った。

このため多数の人手と長い時間を要することから側廊下には跳ね上げ式の折りたたみ座席を設置した。

客用扉は自動ドアの採用を見送り、電磁弁で遠隔ロックのみ可能な手動式折り戸である。

開閉作業は列車給仕[注 8]により行われていたが、1976年10月の車掌補廃止[注 9]以降は開扉は乗客が行うようになった。閉扉は車掌の業務となったため扉が開いた状態のまま発車し走行中に車掌が各車を巡回して閉める光景も見られた[9][注 10]。そのため、各ドアには「手であけてください」等の2種類のドアステッカーが貼られた。
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1976年 上野「銀河」絵入りサインマーク

愛称板は非貫通タイプの電源車・緩急車では5角形のアクリル板[注 11]による電照式大形愛称表示装置を採用した。

初期には列車によって配色を変える試みがなされ、地色は「あさかぜ」は薄水色、「さくら」は桃色、「はやぶさ」は黄色、「みずほ」は水色(文字は黄色)が採用されたが、1964年の「富士」「はくつる」以降は簡略化のため白の地色に濃青の文字にほぼ統一され、前記の各列車も次第にそのスタイルに取り替えられた。

ただし「あけぼの」「ゆうづる」では、両列車に青森運転所(現・盛岡車両センター青森派出所)と秋田運転区(現・秋田総合車両センター南秋田センター)の運用が混在したことから区別のため、青森車が白地、秋田車が桃地とされた。

1978年より導入した「絵入りサインマーク」は、特急列車では、既に本系列が置換え対象となっていたため、1980年代に多客期の臨時列車として投入された「明星」「あかつき」「日本海」で新規に作成された程度で、急行列車では1980年の「銀河」を皮切りに九州地区の「かいもん」「日南」でも採用された。また、同時期から1990年代にかけて運行された臨時急行「おが」[注 12]「あおもり」「玄海」「霧島」「雲仙」で絵入りサインが採用された一方で、その他の定期急行運用では文字の「急行」表示のみとされた。

分割用緩急車であるナハフ21・ナハネフ21・ナハネフ23では貫通路を挟んだ形の2分割タイプのバックサインで、列車名のアクリル板を車内側の蓋を開けて差し込む構造である。


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