国鉄14系客車
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第15回(1972年ブルーリボン賞受賞車両

国鉄14系客車(こくてつ14けいきゃくしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1971年昭和46年)より設計・製造した客車の形式。
概要富士」で使用された14系15形14系・24系の多くの車両に使用されているTR217C形台車

客車の冷暖房用などのサービス電源を、床下のディーゼル発電機でまかなう「分散電源方式」を初めて採用した12系客車をベースとし、同じく分散電源方式を踏襲しつつ、特急列車での使用を前提とした車内設備に変更した客車が本系列である。昼行特急列車や座席夜行列車に使用する座席車と寝台特急列車に使用する寝台車があり、さらに寝台車は製造時期や仕様の違いにより14形と15形に分かれているが、いずれもサービス電源等の仕様は基本的に同一で、混用可能である[注 1][1]

第15回(1972年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞[2]
寝台車.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}.mw-parser-output .listen .side-box-text{line-height:1.1em}.mw-parser-output .listen-plain{border:none;background:transparent}.mw-parser-output .listen-embedded{width:100%;margin:0;border-width:1px 0 0 0;background:transparent}.mw-parser-output .listen-header{padding:2px}.mw-parser-output .listen-embedded .listen-header{padding:2px 0}.mw-parser-output .listen-file-header{padding:4px 0}.mw-parser-output .listen .description{padding-top:2px}.mw-parser-output .listen .mw-tmh-player{max-width:100%}@media(max-width:719px){.mw-parser-output .listen{clear:both}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .listen:not(.listen-noimage){width:320px}.mw-parser-output .listen-left{overflow:visible;float:left}.mw-parser-output .listen-center{float:none;margin-left:auto;margin-right:auto}}オハネ14 87の走行音(501列車 急行きたぐに、8号車)(東海道本線大阪-京都間、1985年3月3日)この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。

20系客車寝台列車として大成功を収めたが、列車内でのサービス電源を電源車から供給する「集中電源方式」を採用していたことから、多層建て列車として運行する際には、分割された編成に給電するための別の電源車を必要とし、これが運用上の制約となった[3]。さらに20系客車はブレーキ装置についても機関車から圧縮空気の供給を受けるシステムであったため、牽引機関車が増圧用元空気溜め管設備のある機関車に限定されるなど、こちらの方でも運用上の制約が大きかった。

この運用上の制約を排除するため、客車のサービス電源を床下のディーゼル発電機でまかなう「分散電源方式」を採用して増備していた、12系客車を基本とした寝台車として設計・製作された形式が14系寝台車である[注 2]。製造年度によりB寝台車室の違いなどから、14形・15形と2種類に分類[注 3]される。

20系では電磁ロックのみで開閉は手動式であった乗降用の折戸は、ドアエンジンを装備して自動化された。また、電動方向幕装置も設置されている。ブレーキは110km/h対応ながら機関車からの空気供給の必要性がないCL形自動空気ブレーキを採用したため、20系のような牽引機関車の限定をなくした。冷房装置は準集中型のAU76形を両端部の屋根上に[5]1両あたり2台搭載した。20系よりも広い寝台幅は好評でアコモデーションや乗り心地の改善も評価された[6]
製造の状況(寝台車)

1970年(昭和45年)-1977年(昭和52年)の製造予算は以下の通りである[7]

予算区分形式製造所両数
新潟鐵工所富士重工業日本車輌製造
昭和45年度
第3次債務負担オハネ14形123 - 710両
スハネフ14形123
昭和46年度
本予算オロネ14形  1 - 784両
オハネ14形8 - 11
37 - 4112 - 16
42 - 4616 - 36
47 - 53
スハネフ14形4 - 7
20 - 228・9
23・2410 - 19
25 - 27
オシ14形1 - 7  
昭和46年度
第3次債務負担オロネ14形  8 - 1263両
オハネ14形54 - 6970 - 8586 - 88
スハネフ14形28 - 3536 - 4344・45
オシ14形8 - 12  
昭和46年度
民有車両オロネ14形  13・1431両
オハネ14形89 - 9697 - 104105・106
スハネフ14形46 - 4950 - 5354
オシ14形13・14  
昭和52年度
第1次債務負担オハネ15形1 - 2223 - 42 63両
スハネフ15形1 - 1213 - 21 
製造所別両数92両81両78両251両

14形寝台車銀河」で使用された14系14形(1985年ごろ 大阪駅)出雲3・2号」 オシ14 7 (1982年 鳥取駅)

車両の概要としては、上記にあるとおりであるが、特徴としては、B寝台車の内装が、それ以前の標準寝台幅52cmを踏襲した20系客車と異なり、B寝台車のベッド幅を581・583系電車で採用したのと同様の70cmと大型化し、またユニット方式で内装を製造して車内に取り付ける形を初めて採用した。また、寝台車のベッドの収納などを省力化するため、中段寝台の自動昇降装置を初めて取り付けた[注 4]
14形寝台車の新造形式

形式はB寝台車のオハネ14形・スハネフ14形、A寝台車のオロネ14形、食堂車のオシ14形が用意された。A寝台車は輸送力重視のため「プルマンタイプ」の開放式寝台車のみが製造された。合計188両が1971年から翌年にかけて製造されている。
オロネ14形(1 - 14)

A寝台車。20系ナロネ21に相当する形式で、客室はプルマン式で中央の通路を挟んでレール方向に2段寝台を7組ずつ設置、定員は28名である。上段は自動昇降装置により610mm上昇下降させることができる。前位側には洋式と和式の便所を各1つずつと、洗面台が2つ設けられている。後位側には更衣室と喫煙室、乗務員室、物置、出入台(デッキ)が設けられている。更衣室には非常口を設置している[8]
オハネ14形(1 - 106)

B寝台車。20系ナハネ20に相当する形式で、客室は側廊下式で枕木方向に3段式寝台が並び、定員48名[注 5]。前位側に和式便所と洗面台が2つずつ設けられている。後位側には更衣室と乗務員室、出入台が設けられている[9]
スハネフ14形(1 - 54)

B寝台緩急車。20系では分割併合に対応する切妻の貫通形[注 6]と編成端に連結される丸妻の非貫通形[注 7]の2タイプがあったが、本形式は分割併合運用のため12系緩急車同様の折妻の貫通型のみとなっている。12系と異なり貫通路には愛称名表示幕が設置されている。客室はオハネ14形と同じ3段寝台であるが、妻面に乗務員室を設けているためその分定員が少なく45名となっており、更衣室もない。出入台は客室と乗務員室の間に設置。便所・洗面台はオハネ14と同じく2つずつ前位に設置している。床下に発電装置を搭載しており、DMF15HS-G形ディーゼルエンジンとDM82形発電機(180kVA)を組み合わせ、三相交流440Vを発生する。自車を含めて5両分を給電できるが、食堂車を含む場合は4両分となる[10]
オシ14形(1 - 14)

食堂車。当時の電車・気動車の食堂車とほぼ共通の仕様となってコストダウンが図られた。食堂部分は20系ナシ20形の後期形に似た内装で、片持ち式テーブルとFRP製座席が各テーブルに4脚ずつ、定員は40名である。側窓にはカーテンを廃止しベネシャンブラインドを内蔵。小型ハンドルで操作できる。前位側に車内販売準備室と喫煙室があり、喫煙室は食堂従業員仮眠室として使用可能。片廊下式の配膳室・調理室を挟んで後位側妻部に従業員用洋式便所を設置している[11]
変遷

まず、1971年に急行「瀬戸(下り)2号・(上り)1号」に試作車のオハネ14 1 - 7とスハネフ14 1 - 3が連結され、試験的に運行を開始した。同列車では他の従来型客車と連結する必要があったため、試作車は蒸気暖房(SG)管と電気暖房用引通し線を新製時より搭載している[注 8]。同年の年末年始輸送では臨時寝台特急として下り「はくつる51号」(12月30日運転)と上り「ゆうづる52号」(1月3日運転)に充当された。

1972年3月ダイヤ改正で寝台特急「さくら」・「みずほ」・「あさかぜ(下り)2号・(上り)3号」の3往復で運用が開始された。


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