国鉄12系客車
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国鉄12系客車
上越線を走行するJR仕様の12系
(2016年10月 井野駅 - 新前橋駅間)
基本情報
運用者日本国有鉄道
東日本旅客鉄道
東海旅客鉄道
西日本旅客鉄道
四国旅客鉄道
九州旅客鉄道
製造所新潟鐵工所富士重工業日本車輌製造
製造年1969年 - 1971年・1977年 - 1978年
製造数603両
主要諸元
軌間1,067 mm
最高速度110 km/h
車両定員80人(スハフ12・オハフ13)
88人(オハ12)
全長21,300 mm
全幅2,944 mm
全高3,985 mm
車体普通鋼
台車TR217
制動装置CL形応荷重機構付自動空気ブレーキ
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12系客車(12けいきゃくしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1969年昭和44年)から1978年(昭和53年)まで製造された急行形座席客車のグループである。
概要[ソースを編集]

当初は、1970年(昭和45年)の日本万国博覧会(大阪万博)輸送を念頭に、臨時列車団体列車を含めた波動輸送用車両として開発・製造された[1]

内外装にそれまでの客車とは一線を画す新しい機構を数多く取り入れ、本形式の設計はその後の国鉄客車の基本となった。また同時期に登場したキハ65形気動車にも、12系の基本設計が流用されている。

当時は動力近代化計画の進展によって、電車気動車が旅客輸送の主力となっていた時期であるが、あえて客車として製造されたのは以下の理由による。

臨時列車や団体列車などは多客期の運転が多く、閑散期には車両を車庫で留置しておかざるを得ない。このような用途に動力装置を持つ電車・気動車を増備することは、製造・保守のコストがかかる。

多客期においては貨物輸送が少なくなるため、普段は貨物輸送に使用されている機関車が容易に転用出来た。

当時、戦前に製造された客車(スハ32系オハ35系など)が多数在籍していたが、その老朽化による車両自体の取り替え需要が生じた。急行列車向けのボックスシートの座席客車は、10系客車のナハ11形・ナハフ11形が1959年(昭和34年)に製造終了して以来、増備されていなかった[注 1]

1960年代中期以降、急行用電車・気動車は普通車の冷房化が始まっており、客車も時代の傾向に応じる必要があった。

新造形式は、スハフ12形・オハフ13形・オハ12形の3形式のみではあるが、製造時期によって仕様は異なる。国鉄末期からJR発足にかけて近郊形やジョイフルトレインへの改造、接客設備の改良などが行われ、多数の新形式・番台区分が登場するようになった。
製造の状況[ソースを編集]

1968年(昭和43年)から1977年(昭和52年)までの予算は以下のとおりである[1]

客車製造の指定メーカーだった日立製作所が客車製造から撤退したため、気動車の指定メーカーである新潟鐵工所富士重工業が客車製造も担当することになった。

予算区分形式製造所両数
新潟鐵工所富士重工業日本車輌製造
昭和43年度
第4次債務負担オハ12形1 - 1112 - 20 28両
スハフ12形1 - 45 - 8 
昭和44年度
民有車両オハ12形21 - 6061 - 86 100両
スハフ12形9 - 1819 - 25 
オハフ13形1 - 1011 - 17 
昭和44年度
本予算オハ12形87 - 94142 - 154185 - 19244両
スハフ12形26・2741 - 4455・56
オハフ13形18・1933 - 3541・42
昭和44年度
第2次債務負担オハ12形95 - 141155 - 184193 - 214156両
スハフ12形28 - 4045 - 5457 - 64
オハフ13形20 - 3236 - 4043 - 50
昭和45年度
第1次債務負担オハ12形215 - 251252 - 271272 - 312150両
スハフ12形65 - 7475 - 7980 - 90
オハフ13形51 - 6061 - 6566 - 76
昭和51年度
本予算オハ12形313 - 324325 - 336 48両
スハフ12形101 - 112113 - 124 
昭和52年度
本予算オハ12形337 - 344345 - 349 26両
スハフ12形125 - 131132 - 137 
昭和52年度
第1次債務負担オハ12形350 - 354355 - 359 21両
スハフ12形138 - 144145 - 148 
昭和52年度
第2次債務負担オハ12形360 - 368369 - 374 30両
スハフ12形149 - 157158 - 163 
製造所別両数286両204両113両603両

構造[ソースを編集]
車体[ソースを編集]

在来客車の設計概念を脱却し、急行形電車の設計を基本的に踏襲して車体幅を約10 cm拡大、2.9 m級となった。また、車体長も20.8 m(全長21.3 m)に拡大して座席間隔を1,580 mmに広げ[注 2]腰掛自体も人間工学を考慮した形状改良を行っている。

塗色は、車体全体を20系より明るい青20号に、クリーム10号の2本帯とした。なお、屋根は灰色1号だが、のちにねずみ色1号に変更されている。

同時期の電車や気動車に倣い、2段式のユニット窓を初めとする合理化された構造を随所に取り入れた。当初は設計コストを抑えるために165系の図面を流用して製造することも計画された[2]。また、国鉄客車としては初めて自動ドアを採用し、電車・気動車並みの安全性を確保した。
台車[ソースを編集]

全車に新開発の空気ばね台車のTR217系を標準装備し、ブレーキは新開発のCL形応荷重機構付自動ブレーキ装置を採用した。ブレーキシュー材質は、従来の鋳鉄に代わり、高速域からの安定した制動力が得られるレジンシューに変更。


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